パパ、本当にありがとう

公開日: 子供 | 家族 | 心温まる話

手紙

俺が30歳のとき、一つ年下の女性と結婚した。
今では、娘が三人と息子が一人。

長女は19歳、次女は17歳、三女が12歳。
長男は10歳。

この話をすると、よく聞かれるのが――
「長女と次女は奥さんの連れ子?」

違う。そうじゃない。
長女と次女は、俺と血がつながっている。
けれど、俺の“子ども”ではないんだ。

俺には、三歳年上の姉がいた。
姉は25歳で結婚し、二人の娘をもうけた。

しかし、義兄は夢ばかりを追いかける男で、職を転々とし続けた。
デザイナーだ、設計士だ、最終的には議員になると選挙に立候補までしたが、どれも失敗。

借金も膨らみ、姉も必死に働いていた。

そんなある日。
深夜のコンビニのバイトを終えて帰る途中、姉夫婦は飲酒運転の車に追突された。
二人は、そのまま帰らぬ人となった。

結婚したばかりだった俺は、何も手につかず、ただ呆然とした。
『なんでこんなことが起きるんだ』『神様なんていない』
そんなふうにしか考えられなかった。

5歳と3歳の姪たちが残された。

今後どうするか、家族で話し合いが始まった。

俺の両親は、姉の苦労をよく知っていたから、
「私たちが育てよう」と言ってくれた。

けれど、義兄の家族は「お父さんはもう定年で収入もない」と難色を示した。

じゃあ、自分たちが引き取るかと言えば、それもはっきりとは言わない。
結局、俺は姪たちに聞いた。

「俺と一緒に住むか?」

二人は、うなずいた。

嫁に相談すると、こう言ってくれた。
「二人産んだと思えばいいよ」

裁判を起こすとまで言っていた義兄の家族も、
「若くて、収入のある人が育てるなら」と納得してくれた。

こうして、俺は突然、二人のパパになった。

姪たちは素直だったけど、「パパ」「ママ」と呼ぶことには抵抗があったらしい。

次女は比較的早く、嫁のことを「ママ」と呼ぶようになった。
嫁はそれを聞いて、一人で泣いていた。

俺のことを「パパ」と呼び始めたのは、次女が小学校に入った頃だった。

でも、長女はなかなか呼んでくれなかった。
「ママ」と呼ぶまでに、7年かかった。
そして俺は、ついに「パパ」とは呼ばれなかった。

それでも――高校生になった長女が、自分の夢を語るようになった。

「音大に行って、音楽の先生になりたい」

嫁が三者面談でその話を聞いたとき、俺はすぐにピンと来た。

姉は小さい頃からピアノを弾いていた。
長女も、三歳からピアノを習っていた。

――きっと、母の記憶を心の中で繋いでいたんだろう。

彼女は東京の音大を希望し、推薦を受け、この春、無事に合格した。

結局、俺は最後まで「パパ」と呼ばれることはなかった。
彼女は、ずっと俺のあだ名で呼んでいた。

長女が東京に旅立つ日、俺は海外出張中だった。

帰国すると、嫁から一通の手紙を渡された。
長女が、家族全員に宛てて書いたものだった。

その手紙を読んで、俺は声を出して泣いた。

○○ちゃんへ

泣きながら、(次女の名前)と二人で○○ちゃんと暮らし出したのを、昨日のことのように覚えています。

怒られてムカついたし、
一緒に遊んでくれてすごく嬉しかったし、
本当に感謝してます。ありがとう。

そんな私を東京の音大にまで出してくれて、
本当に、本当にありがとう。

今まで以上に、言うこと聞いて、
いい子になって帰ってきます。

最後に。

パパ、本当にありがとう。大好き。

……泣いた。どうしようもないくらいに。

「パパ」と呼ばれたのは、その手紙が初めてだった。

けれどそれで十分だった。

ああ、俺も――お前のことが、大好きだよ。

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