弟は黙って研いでいた

暖かい蕎麦と雪景色

弟の顔を見るのは、親父の葬式以来だった。

三年ぶりに店の引き戸が開いて、雪まみれのダウンジャケットを着た男が立っていた。

「砥石、返しに来た」

それだけ言って、健二は古新聞に包んだ四角いものをカウンターに置いた。

俺は新潟の山あいにある蕎麦屋「高坂」の三代目だ。

親父が四十年、祖父から数えれば七十年近く続いた店を、俺が二十三のときに継いだ。

弟の健二は四つ下で、子供の頃から蕎麦粉にまみれて育った。

水回しも延しも、俺より筋がよかった。

親父も「健二は手がいい」とよく言っていた。

だからこそ、あいつが十八で「こんな山奥の蕎麦屋なんか継がない」と東京に出ていったとき、俺より親父のほうが堪えていたと思う。

三日ほど、親父は打ち台の前に立たなかった。

四日目の朝、何も言わずにいつも通り粉を量り始めた親父の背中を、俺は厨房の隅から見ていた。

あのとき親父の手が一度だけ止まったのを、俺は忘れていない。

こね鉢の縁に、健二が子供の頃につけた小さな傷があった。

親父はその傷を親指でなぞってから、何事もなかったように水回しを始めた。

それから二十年以上、健二はほとんど帰ってこなかった。

東京でIT関係の会社に勤め、結婚もしたと年賀状で知った。

俺は返事を書かなかった。

盆にも正月にも、健二の車が集落の坂道を上がってくることはなかった。

親父が倒れたと連絡したとき、健二は翌朝の新幹線で来た。

病室で親父の手を握って何か言っていたが、俺は廊下にいたから聞こえなかった。

葬式のあと、形見分けをした。

蕎麦打ちの道具一式は当然俺が引き取った。

健二が欲しいと言ったのは、親父の天然砥石だけだった。

「蕎麦も打てないくせに、砥石だけ持ってってどうすんだ」

俺がそう言うと、健二は何も答えずにそれを鞄に入れた。

あれが、三年前に交わした最後の言葉だった。

目の前の砥石を新聞紙から出して、俺は息を飲んだ。

親父が使っていた奥殿の天然砥石だ。

間違いない。

だが、三年前に見たときより、中央の窪みが明らかに深くなっている。

天然砥石は使えば使うほど真ん中が沈む。

これだけ窪むには、何百回、いや千回以上は刃を当てなければこうはならない。

「お前、何を研いでたんだ」

健二は答えなかった。

代わりに車に戻って、大きな木箱を抱えて入ってきた。

蓋を開けると、蕎麦切り包丁と、のし棒と、こね鉢が入っていた。

どれも使い込まれていて、包丁の刃は鏡のように光っていた。

「打ち台、借りていいか」

健二はそれだけ言って、エプロンを取り出した。

俺は何も言えず、黙って打ち台の前を空けた。

店は昼の営業が終わったあとで、客はいなかった。

外は日が落ちかけて、窓から差し込む光が薄くなっていた。

俺はカウンターの端に腰を下ろして、腕を組んだ。

健二がそば粉と水を量り、こね鉢に粉を広げた。

水回しが始まった瞬間、俺の手が止まった。

指先で水を弾くように散らし、粉全体に均一に行き渡らせるあの動き。

親父の癖だった。

右手の小指をわずかに浮かせて、薬指の腹で粉を押さえる独特の手つき。

教わらなければ絶対に出ない動きだ。

「誰に習った」

「親父に電話で聞いた」

健二の声がかすかに揺れた。

「倒れる一年くらい前から、月に一回電話してた。蕎麦の打ち方を一から教えてくれって頼んだ」

俺は知らなかった。

親父は何も言わなかった。

健二が東京の狭いアパートで、週末のたびにあの砥石で包丁を研ぎ、蕎麦を打っていたことを。

親父が毎月、電話口で「もっと手前に引け」「水が多い」と指導していたことを。

俺と親父は毎日同じ厨房にいて、言葉を交わすのは仕込みの段取りくらいだった。

それなのに健二には、月に一度の電話で、蕎麦の打ち方を手取り足取り教えていた。

腹が立つというより、胸の奥が詰まった。

親父にとって、健二はずっと弟子だったのだ。遠くにいても。

延しに入った健二の動きは、正直言って荒かった。

生地の厚みが均一ではなく、角の処理も甘い。

だが蕎麦切りの瞬間、リズムが変わった。

トン、トン、トン。

一定の間隔で、刃が板を叩く音が店に響いた。

親父と同じ音だった。

俺が何年もかけて真似しようとして、結局たどり着けなかったあのリズムだ。

切り終えた蕎麦は不揃いで、少し太かった。

店には出せない。

だが健二は、それを丁寧にまとめて、俺のほうを見た。

目が合った瞬間、健二がわずかに顎を引いた。

子供の頃、親父に蕎麦を見せるときの仕草と同じだった。

俺は大鍋に湯を沸かした。

健二の蕎麦を茹でて、氷水で締めて、親父がずっと使っていたざるに盛った。

二人でカウンターに並んで座った。

こうして隣に座るのは、子供の頃に親父の蕎麦を並んで食べて以来のことだった。

あの頃、俺たちはいつも肩がぶつかるくらい近くに座っていた。

親父が「静かに食え」と言うのに、健二はいつも「うまい」と声を出した。

俺はそれが恥ずかしくて、黙って食べた。

一口すすると、蕎麦の角が少し丸かった。

喉越しはまだ甘い。

でも噛んだ瞬間、蕎麦粉の香りが口いっぱいに広がった。

親父の蕎麦と同じ匂いだった。

「なんで蕎麦だったんだ。お前、この店が嫌で出てったんじゃないのか」

「親父が最後の電話で言ったんだ。『お前は好きに生きろ。ただ、蕎麦の打ち方だけは忘れるな。それが高坂の血だ』って」

健二の箸が止まった。

「忘れるなって言われても、そもそも覚えてなかったから。だから一から教えてくれって頭下げた」

窓の外で雪が降り続けていた。

健二の打った蕎麦は、すぐに食べ終わった。

量が少なかったのは、きっと二人前を打つにはまだ粉の加減がわからないからだろう。

健二が帰り支度を始めたとき、俺は自分でも驚くような言葉を口にしていた。

「砥石、持って帰れ」

健二が振り向いた。

「まだ窪みが足りねえ。親父はあの砥石を四十年使って、あと五年は持つって言ってた。お前が使い切れ」

健二は目を伏せて、しばらく動かなかった。

やがて砥石を古新聞に丁寧に包み直して、両手で抱えるようにして鞄にしまった。

「延しが下手すぎる。来月また来い。教えてやる」

俺は健二のほうを見ずに言った。

引き戸が開いて、冷たい風が店に入り込んできた。

「兄貴」

振り向くと、健二が頭を下げていた。

雪が肩に積もっていくのに、あいつはしばらくそのままだった。

引き戸が閉まったあと、打ち台に蕎麦粉が少しだけ残っていた。

俺はそれを指先ですくって、匂いを嗅いだ。

この集落でしか採れない在来種の蕎麦粉と、同じ産地の粉だった。

あいつは東京にいながら、わざわざこの粉を取り寄せていたのだ。

カウンターに健二が使った箸が置いたままになっていた。

持ち上げると、箸先に小さな歯形がついていた。

子供の頃からの癖だ。緊張すると箸を噛む。

あいつも怖かったのだ。

十五年ぶりにこの店に立つことが。俺の前で蕎麦を打つことが。

店の壁にかかった親父の写真が、いつもと同じ顔でこちらを見ていた。

何も言わない。何も言わないが、口元がほんの少し緩んでいるように見えた。

来月、あいつが来たら、親父の打ち方の続きを教えてやろう。

延しと蕎麦切りのあいだの、あの一呼吸。

親父が俺にだけ教えた間合いを、今度は俺があいつに渡す番だ。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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