みほちゃんという子
看護学生の頃、友達と遊びに行った先で交通事故を目撃しました。
勉強中の身ではあったのですが、救急隊員が駆け付けるまでの間、友人の手も借りながら車に撥ねられた女の子の応急処置をしました。
やがて救急車が到着し、女の子は一人だったので私達も一緒に救急車に乗り込み病院へ。
しかし女の子は病院へ向う途中、出血多量(その後、内臓破裂も判明)で救急車の車内で亡くなりました。
私はショックで看護師になるのを躊躇いました。
しかしあの場に居合わせた友達や、看護学校の友達や講師の励ましに背中を押され、私は無事に学校を卒業。看護師の資格も取得しました。
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看護師一年目で配属されたのは外科病棟でした。
覚え切れないほどの病名や専門用語、毎日のように訪れる患者さんの死、先輩看護師や医師からの虐めや暴言。
精神的にきつくなって来たある日、夜勤明けに病院の屋上で景色を眺めていました。
暫し景色を楽しみ、後ろを振り返って金網に寄り掛かると、見覚えのある顔が…。
看護学生時代に助けた、あの女の子でした。
事故当時は衣服や顔も血だらけでしたが、救急車の車内で顔の血は拭き取ったので、顔は忘れませんでした。
名前もその時に聞いてあります。みほちゃんという子でした。
みほちゃんはあの時の服のまま(血は付いていません)、ただただ微笑んでいました。
私が「みほちゃん」と声を掛けると、消えてしまいました。
それからと言うもの、みほちゃんは病院のあらゆる場所に現れました。
病棟の廊下、ナースステーションの前、病室や職員用食堂の窓際。
いずれも微笑んですぐに消えるだけ。
共通していたのが、私が精神的(または肉体的)にしんどい時や、重病患者さんの治療やケアで腕を試されるような時でした。
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それから数年後、私は主任を任されるほどになりました。
主任として初めて出勤する朝、少し早めに私服で更衣室に入ると、私のロッカーの前にみほちゃんが立っていました。
私が近付くと、みほちゃんは笑顔でこう言いました。
「みほを助けてくれて、ありがとう。
みほね、あの時、お姉ちゃんの声、死ぬまでずっと聞こえていたんだよ。
『大丈夫だよ』『あともうちょっとで病院だからね』
処置しながらずっと言ってくれたよね」
私は当時を思い出して泣きました。
「ほら、お姉ちゃん。時間だよ?
苦しんでる人が、お姉ちゃんを待っているよ。
お姉ちゃんのこと心配で傍にいたんだけど、もう、みほも行かなきゃ。
お姉ちゃん、ううん、看護師さん。
ありがとう、そしておめでとう」
そう言うと、みほちゃんは微笑みながら消えました。
それ以来、姿は見かけなくなりました。
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私は現在、小児科病棟に配属され、師長として頑張っています。
みほちゃんのことは一生忘れません。