約束の土曜日

3歳の頃から、毎日のように遊んでくれたお兄ちゃんがいた。
一つ年上で、勉強もスポーツもできて、とにかく優しい。
一人っ子の僕にとって、彼はまるで本物の兄のような存在だった。
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小学4年生のある日、僕たちはいつものようにサッカーをしていた。
林にボールが飛び込み、僕が取りに行って戻ってくると、兄ちゃんが突然倒れていた。
驚いて駆け寄り、抱き起こすと、彼は嘔吐してしまった。
その時は「風邪だから大丈夫」と言われて、手を振って別れた。
でも、それから間もなく、兄ちゃんが入院したと聞いた。
詳しい病名も分からなかったけれど、お見舞いに行った。
しばらくして退院はしたけれど、もう学校には滅多に来なくなった。
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外に出ちゃいけないと聞いていたから、毎週の土日は兄ちゃんの家でファミコンをして過ごした。
兄ちゃんのママが、よく言ってくれた。
「来てくれてありがとうね」
近所のおばさんにもこう言われた。
「○○君と遊んであげてるなんて、偉いわね」
その言葉の意味が、当時の僕にはさっぱり分からなかった。
『え? 友達なんだから当たり前でしょ?』
本気で、そう思っていた。
きっとまたすぐ良くなって、外で一緒に遊べると信じていた。
親も、兄ちゃんのママも「そのうち良くなるよ」と言っていたから。
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ある日、兄ちゃんの家に抜け毛がやけに多いことに気がついた。
気づけば僕の方が背が高くなっていて、兄ちゃんの肌は外に出ていないせいで真っ白だった。
腕も細くて、すぐに折れそうだった。
それを親に話すと、ようやく教えてくれた。
「脳腫瘍という、難しい病気なんだよ」
それを聞いて、初めて「兄ちゃんはもう長くないかもしれない」と理解した。
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それからだ。兄ちゃんと顔を合わせるのが辛くなってしまった。
だんだん遊びに行くのをやめてしまい、最後にはまったく会いに行かなくなった。
そんなある日、晩ごはんを食べていると、テレビのニュースで「病気と闘う中学生」の特集が流れた。
そこには、兄ちゃんが映っていた。
僕はすぐにチャンネルを変えた。
その瞬間、親に思い切りビンタされた。
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兄ちゃんと再び会うことができたのは、2年後。
それは、彼が棺の中で眠っていた時だった。
兄ちゃんのママが、静かに言った。
「何か言ってあげて」
その声は、優しかった。とても、悲しいくらいに。
僕が遊びに行かなくなってから、兄ちゃんは、毎日どんな気持ちで過ごしていたんだろう。
そう考えたら、胸が張り裂けそうになって、何も言葉が出てこなかった。
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結局、僕は自分のことしか考えていなかった。
もっと、たくさん会いに行けばよかった。
ずっと遊んでくれた兄ちゃんに、ちゃんとありがとうって言えばよかった。
本当にごめん。
いくら謝っても、きっと足りないけれど。
あれから、僕は身近な人をもっと大切にしようと心に決めた。
忘れないよ、兄ちゃん。
今年も、土曜日にお線香をあげに行くよ。
また来るね。ちゃんと、会いに行くよ。