大切な幼馴染

公開日: ちょっと切ない話 | 友情

教室(フリー写真)

私には、大好きな男の子がいた。

その子は幼馴染で、小さな頃からずっと一緒だった。

私はいつも支えてくれた彼が大好きだった。

でも、彼は自ら命を絶った。

首を吊り自殺した。

理由は、虐め。

彼は頭も良く、運動神経も良くて女子とも仲が良かった。

そのせいで、他の男子の嫉妬が向けられたのだ。

男子達が彼を無視し始め、悪口を言い始めた。

そうすると、仲の良かった女子達は離れて行き、次第に彼は独りになって行った。

そうして追い詰められ、彼は最悪の決断をした。

私は追い詰められる彼を見て、何も出来なかった。

直接、無視した訳でもない。

ても、彼の悪口に反論が出来なかった。

自分も虐められたくなくて…。

彼は、私を助けてくれたのに。

昔、虐められていた私を庇ってくれたのに。

私は弱くて、怖くて、彼を助けられなかった。

彼の家に行った私は、彼のお母さんの前で泣き崩れた。

ごめんなさい、ごめんなさい。

そう言い続けていた。

そんな私に、彼のお母さんは言ってくれた。

「あの子、あなたのこと恨んでなかった。

突然、他の子の話をしなくなった時でも、あなたの話はずっと楽しそうに話してた。

あの子は言ってた。

あなたはずっと、大切な幼馴染だって。

親友なんだって」

その話を聞いた私は、泣いた。

ずっと、声を上げて泣き続けた。

ごめんね。

助けられなくてごめん。

でも、今度はちゃんと助ける。

彼みたいな人がいたら、今度こそ助けてみせる。

もう、弱い自分とはさよならするから。

私はこの出来事がきっかけで変わりました。

引っ込み思案で、気が弱い私をやめました。

よく言いますよね。

勇気を振り絞るのは一瞬だけど、後悔は一生残る、と。

本当に、その通りだと思いました。

勇気を出すことに躊躇ったら、一生後悔が残ってしまう。

だからこそ、勇気を出すんです。

少しだけでいい。

ほんの少しだけでいいから、勇気を出してみてください。

そうすれば、未来は変わります。

後悔を作りません。

私と同じ思いをする人が、一人でも減りますように。

関連記事

夕日と花を掴む手(フリー写真)

泣くな

ある日、教室へ行くと座席表が書いてあった。 私の席は廊下側の前から二番目。彼は窓側の一番後ろの席。離れてしまった。 でも同じクラスで本当に良かった。 ※ クラスに馴染ん…

カップル

君への罪滅ぼし

高校二年の終わり、図書館で偶然隣に座った君に、僕は一目惚れをした。 僕はそれから学校が終わると駆け足で図書館に通い、いつも君を事を探していた。 勇気を出して話し掛けてみた…

宮古島

沖縄の約束

母から突然の電話。「沖縄に行かない?」と彼女は言った。 当時の私は大学三年生で、忙しく疲れる就職活動の真っ只中だった。 「今は忙しい」と断る私に、母は困ったように反論して…

献花(フリー写真)

課長の笑顔

私の前の上司(課長)は無口、無表情。雑談には加わらず、お酒も飲まず、人付き合いをしない堅物でした。 誠実公平、どんな時でも冷静なので頼もしい上司なのですが、堅過ぎて近寄り難い雰囲…

天国(フリー素材)

天国のおかあちゃんへ

もう伝わらないのは解っているけど、生きている内に伝えられなかった事を今、伝えるね。 まずは長い闘病生活、お疲れ様。最後まで絶対に諦めなかったおかあちゃんの姿、格好良かったよ。 …

コザクラインコ(フリー写真)

ぴーちゃんとの思い出

10年前に飼い始めた、コザクラインコのぴーちゃん。 ぴーちゃんという名前は、子供の頃からぴーぴー鳴いていたから。 ぴーちゃんは、飛行機に乗って遠く九州から東京にやって来ま…

食堂

美味かったな

二十年前のことです。当時、私たち家族は母一人による育てられ、非常に厳しい経済状況にありました。母は私たち三人の子供を育てるため、夜も眠らずに働いていましたが、それでも生活は極貧でした…

カーネーション(フリー写真)

親心

もう5年も前の話かな。 人前では殆ど泣いたことのない俺が、生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。 お袋は元々ちょっと頭が弱く、よく家族を困らせていた。 思春期の…

母に渡す花(フリー写真)

お母さんの看病がしたいよ

19歳の頃、癌で入院中のお母さんに、泊り込みで付き添っていた。 その頃、私は予備校に行っていた。 お母さんが 「看護婦さんになって欲しい」 と言ったから、一つく…

浅草

母の秘密の願い

都会の喧騒とは異なる田舎の空気。 私はその中で母の日常を想像していた。彼女はいつも家のことに追われ、人混みの多い場所に足を運ぶことはなかった。私が東京に単身赴任してからも、母は…