両親は大切に
人前では殆ど泣いたことのない俺が、生涯で一番泣いたのはお袋が死んだ時だった。
お袋は元々ちょっと頭が弱くて、よく家族を困らせていた。
思春期の俺は、普通とは違う母親がむかついて邪険に扱っていた。
非道いとは自分なりに認めてはいたが、生理的に許せなかった。
高校を出て家を離れた俺は、そんな母親の顔を見ないで大人になった。
その間、実家に帰ったのは三年に一回程度だった。
※
俺も良い大人になり、それなりの家庭を持つようになったある日のこと。
お袋が危篤だと聞き、急いで病院に駆け付けた。
意識が朦朧として、長患いのため痩せ衰えた母親を見ても、幼少期の悪い印象が強くあまり悲しみも感じなかった。
そんな母親が臨終の際、俺の手を弱々しく握ってこう言った。
「ダメなおかあさんでごめんね」
精神薄弱のお袋の口から出るには、あまりにも現実離れした言葉だった。
「嘘だろ? 今更そんなこと言わないでくれよ!」
間もなくお袋は逝った。
※
その後、葬式の手配や何やらで不眠不休で動き回り、お袋が逝ってから丸一日が過ぎた真夜中のこと。
家族全員でお袋の私物を整理していた折、一枚の写真が出てきた。
かなり色褪せた、何十年も前の家族の写真。
まだ俺がお袋を純粋に大好きだった頃。みんな幸せそうに笑っている。
裏には下手な字(お袋は字が下手だった)で、家族の名前と当時の年齢が書いてあった。
それを見た途端、何故だか泣けてきた。それも大きな嗚咽交じりに。
いい大人がおえっおえっと泣いている姿はとても見苦しい。自制しようとした。
でも止めど無く涙が出てきた。どうしようもなく涙が出てきた。
俺は救いようがない親不孝者だ。格好なんて気にすべきじゃなかった。
やり直せるならやり直したい。でもお袋はもう居ない。
後悔先に立たずとは、正にこれのことだったんだ。
その時、妹の声がした。
「お母さん、笑ってる!」
みんな布団に横たわる母親に注目した。
決して安らかな死に顔ではなかったはずなのに、表情が落ち着いている。
薄っすら笑みを浮かべているようにさえ見えた。
「みんな悲しいってよ、お袋…。一人じゃないんだよ…」
気が付くと、そこに居た家族全員が泣いていた。
※
あれから俺は事ある毎に、みんなに両親は大切にしろと言っています。
これを読んだ皆さんも、ご健在であるならば是非ご両親を大切にして欲しい。
でないと、俺のようにとんでもない親不孝者になっちゃうよ…。