私は長いあいだ、父を父だと思えませんでした。
私が五つのとき、母が再婚しました。
それから家にいるようになった、無口な男の人を、私は「お父さん」と呼びました。
けれど、その三文字を口にするたび、いつも喉の奥が、わずかにつかえました。
血が、つながっていなかったからです。
物心がつくのが早かった私は、この人は本当の父ではない、とどこかでずっと思っていました。
だから「お父さん」という呼び方が、こそばゆくて、たまりませんでした。
それでも、ほかに呼びようがなかったのです。
※
父は、左官職人でした。
朝の暗いうちに家を出て、夜は星が出てから帰ってきました。
作業着からはいつも、生乾きの漆喰のような、白っぽい匂いがしました。
手のひらは、乾いた土のようにごつごつとして、ひび割れていました。
父は、ほとんど喋りませんでした。
食卓でも、テレビを見ながら、ただ黙って箸を動かしているだけ。
私が学校であったことを話しても、「そうか」と低く言うきりでした。
笑った顔を、私はほとんど見たことがありませんでした。
怒鳴られた記憶もありません。
ただ、いつも、分厚い壁のように、黙ってそこにいる人でした。
その沈黙が、子どもの私には、冷たさのように感じられたのです。
「あの人、私のこと、どう思ってるんだろう」
あるとき、母にそう尋ねたことがあります。
母は、少し困った顔をして、こう言いました。
「不器用な人なのよ。許してあげて」
許す、という言葉の意味が、当時の私には、わかりませんでした。
※
小学校の運動会のことを、いまでも、よく覚えています。
その年、私は徒競走で、一等になりました。
ゴールしたあと、ふと観客席に目をやると、父が、いました。
仕事を抜けてきたのか、白い粉のついた作業着のままでした。
父は、拍手をするでもなく、ただ、まっすぐに私を見ていました。
目が合うと、父はすぐに、気まずそうに視線をそらしました。
私は、駆け寄りませんでした。
昼の弁当の時間も、私は友達の輪に入り、家族のところへは戻りませんでした。
父は、母と幼い妹と三人で、隅のほうで、黙って弁当を食べていました。
帰り道、父は、ぽつりとひとことだけ、言いました。
「速かったな」
私は「うん」とだけ返して、わざと先を歩きました。
いま思えば、父は、私のたった一回の一等を見るために、現場を抜けてきたのです。
あの短い「速かったな」に、どれほどの思いが込められていたのか。
当時の私は、想像しようとも、しませんでした。
※
小学校の高学年になると、私は妹の世話をするようになりました。
父と母のあいだに、二つ下の妹が生まれていたのです。
妹は、父によく似た、まるい目をしていました。
父は妹を、それは可愛がりました。
膝に乗せ、ぎこちない手つきで、髪を梳いてやっていました。
その姿を見るたび、私の胸の奥が、ちりちりと痛みました。
あの膝に、私は乗ったことがない。
あの手で、私の髪が梳かれたことは、一度もない。
血のつながった妹と、つながらない私。
父の優しさには、見えない線が引かれているのだと、私は思い込みました。
妹は、私のことを、心から慕ってくれました。
血のつながりなど、幼い妹には、関係のないことでした。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と、いつも私の後ろをついてきました。
その無邪気さが、ときどき、まぶしすぎて、私は目をそらしました。
血にこだわっていたのは、結局、私のほうだけだったのかもしれません。
だから私は、いっそう父を遠ざけました。
家にいても、自分の部屋にこもり、ひたすらプラモデルを組み立てていました。
小さな部品を、ピンセットでつまみ、接着剤でつなぐ。
その作業に没頭しているあいだだけ、私は家族のことを忘れられました。
父が廊下を通る重い足音がすると、私はわざと、息をひそめました。
顔を合わせたくなかったのです。
プラモデルに夢中だった頃、接着剤が、よく切れました。
お小遣いの少ない私は、それを、なかなか言い出せずにいました。
ところが、ある朝、机の上に、新しい接着剤が置いてあったのです。
誰が買ってきたのか、私には、わかりませんでした。
母に聞いても、首をかしげるばかり。
それからも、切れる頃になると、決まって、新しいものが、机の隅に現れました。
私は、それを当たり前のように使い、礼のひとつも、言いませんでした。
いまなら、わかります。
父は、誰もいない昼間に、そっと私の部屋を覗いていたのです。
何も言わず、ただ、足りないものを、黙って満たしてくれていた。
それが、言葉を持たないあの人の、たったひとつの、愛し方でした。
父も、私の部屋の扉を、ノックすることはありませんでした。
※
一度だけ、父の仕事場を、見に行ったことがあります。
小学校の帰り道、父が、古い民家の壁を塗っているのを、偶然、見かけたのです。
父は、私に気づいていませんでした。
鏝を持つ父の手は、家にいるときとは、まるで別人のようでした。
壁に漆喰をのせ、すうっと、なめらかに引いていく。
無駄な動きが、ひとつも、ありませんでした。
その横顔は真剣で、どこか、美しくさえありました。
通りかかった近所の人が、父に声をかけていました。
「いつも、きれいな仕事だねえ」
父は、照れたように、小さく頭を下げていました。
家では一度も見たことのない、表情でした。
私は、声をかけられないまま、その場を、そっと離れました。
あの背中を、もっと、ちゃんと見ておけばよかったと、いまは思います。
※
中学に上がる頃には、私と父は、ほとんど口をきかなくなっていました。
おはようも、おやすみも、いつのまにか消えていました。
私は、家にいる時間が、だんだん減っていきました。
放課後はあてもなく街をふらつき、夜遅くに、こっそり帰る。
そんな日が続きました。
母は、そんな私を、ただ心配そうに見ていました。
「お父さんも、あんたのこと、気にしてるのよ」
「あの人が? まさか」
私は鼻で笑いました。
気にしているなら、なぜ何も言わないのか。
なぜ、妹にだけ笑いかけるのか。
子どもの私には、沈黙の奥にあるものなど、見えるはずもありませんでした。
父と私は、同じ屋根の下で、ただ静かに、すれ違い続けていました。
※
中学の卒業式にも、父は来ていました。
体育館の、いちばん後ろの壁際に、ぽつんと立っていたのを覚えています。
私は、友達の手前、父に気づかないふりをしました。
式が終わり、みんなが家族と写真を撮るなか、私はひとりで校門を出ました。
父は、追ってきませんでした。
ただ、遠くから、私の背中を、じっと見送っていたのだと思います。
その日、家に帰ると、食卓に、私の好きな赤飯が炊いてありました。
てっきり、母が炊いたものだと思っていました。
ずっとあとになって、それを炊いたのが父だったと、母から聞きました。
左官の、ごつごつとした手で、不器用に米を研いでいたそうです。
※
高校を卒業する、その春のことでした。
私が専門学校への進学を決め、家を出ることになった日。
珍しく、父と二人きりになりました。
母と妹が、買い物に出ていたのです。
気まずさに、私が部屋へ戻ろうとしたとき、背中に、父の低い声がかかりました。
「車は、もう決めたのか」
振り返ると、父が、湯呑みを手に、こちらを見ていました。
「……まだ、だけど」
「中古でいい。必要なら、探しといてやる」
それは、父から私への、初めての申し出のようなものでした。
「いいよ、自分で何とかする」
私は、つい、突き放すように答えてしまいました。
父は、「そうか」とだけ言って、また黙りました。
そのとき、ふと、父の頭が、真っ白になっていることに気づきました。
記憶の中の父より、ずっと小さく、ずっと老けていました。
いつのまに、こんなに。
私は、何も言えずに、部屋へ戻りました。
扉を閉める間際、父が、ひとり湯呑みを見つめている横顔が、目に残りました。
※
家を出てしばらく経った頃、私は母から、初めて父の生い立ちを聞きました。
父は、親のいない子どもたちが暮らす施設で、育ったのだそうです。
父親の顔も、声も、知らないまま大きくなった。
「だからね、お父さんは、父親というものが、よくわからないの」
母は、静かに話しました。
父親とは、威厳があり、家族を黙って支える、強い存在でなければならない。
甘えさせることも、笑いかけることも、父にとっては、どうしていいかわからないことだった。
父は、自分が知らなかった「父親」を、見よう見まねで、必死に演じていたのです。
不器用なその沈黙は、冷たさではありませんでした。
それは、愛し方を、誰にも教われなかった人の、精いっぱいの形でした。
母は、こんなことも、話してくれました。
父は施設で、年下の子の面倒を、よく見ていたそうです。
自分が甘えられなかったぶん、誰かを守ろうとした。
それが、父という人の、生き方だったのかもしれません。
「お父さんね、あなたを引き取るとき、こう言ったの」
母の声が、少し、震えていました。
「この子の父親に、俺はなれないかもしれない。でも、屋根にはなる。雨風だけは、絶対に通さない。って」
私は、その言葉を聞いて、胸が、詰まりました。
屋根。
たしかに父は、ずっと、私たちの屋根でした。
飾り気もなく、ただ黙って上にあって、雨の音にも気づかせないほど静かに、私たちを守っていた。
私は、その屋根の下にいることを、当たり前だと思い込んでいたのです。
私は、受話器を握ったまま、長いこと言葉が出ませんでした。
※
父が倒れたのは、それから二年後のことでした。
病室に駆けつけたとき、父はもう、多くを話せませんでした。
やせて小さくなった手を、私はそっと握りました。
あのごつごつとした、漆喰の匂いのする手は、ずいぶん柔らかくなっていました。
病室には、すっかり大人になった妹も、来ていました。
妹は、父の手を握って、泣いていました。
「お兄ちゃん」
妹が、涙をぬぐいながら、私を見て言いました。
「お父さんね、お兄ちゃんのこと、いつも自慢してたよ」
「自慢?」
「あいつは手先が器用だ。きっと、いい仕事をする。って」
私は、知りませんでした。
あの無口な父が、誰かに、私のことを、それも誇らしげに語っていたなんて。
妹の言葉が、胸の奥に長くつかえていた固いものを、静かに溶かしていきました。
「お父さん」
私は、生まれて初めて、つかえることなく、その三文字を呼びました。
父は、うっすらと目を開け、何か言おうとしました。
けれど、声にはなりませんでした。
ただ、私の手を、かすかに、握り返してくれました。
その夜、父は、静かに息を引き取りました。
※
その夜、私は病院の廊下で、ひとり、声を殺して泣きました。
間に合わなかった、という思いが、波のように、押し寄せてきました。
もっと早く、知りたかった。
もっと早く、呼びたかった。
お父さん、と、心の底から。
四十九日が過ぎ、私は父の遺品を整理しました。
道具箱には、使い込まれた鏝が、きれいに並べてありました。
その奥に、古い菓子の缶が、ひとつ。
開けると、中には、私のものが、ぎっしり詰まっていました。
小学校の頃の通信簿。図工で賞をもらった、稚拙な絵。
私が捨てたはずの、出来そこないのプラモデルの、小さな部品まで。
父は、私が見もしなかったあいだに、それらを、ひとつずつ拾い、しまっていたのです。
缶の中には、もうひとつ、折りたたまれた紙がありました。
広げると、それは、中古車店のチラシでした。
何枚も、ていねいに、はさんでありました。
予算の欄に、父の字で、几帳面に数字が書き込まれていました。
私が断ったあとも、父は、ひとりで車を探し続けていたのです。
いつか私が帰ってきたら、黙って渡せるように。
その日が来ることは、とうとう、ありませんでした。
缶の底には、すり切れた、小さな手帳がありました。
めくると、父の、たどたどしい字が並んでいました。
そこには、父が言えなかった言葉が、練習するように、何度も書きつけてありました。
「がっこうは、たのしいか」
「むりを、するな」
「よく、がんばった」
一度も、私には言われなかった言葉ばかりでした。
そして、最後のページに、ひとことだけ。
「血など、つながっていなくていい。お前は、本当の息子だ」
※
私はずっと、父の沈黙を、拒絶だと思い込んでいました。
けれど本当は、その沈黙こそが、父の精いっぱいの言葉だったのです。
言葉を持たない人は、行いで語ります。
新しい接着剤で。炊いてくれた赤飯で。現場を抜けて見にきた、運動会で。
私は、そのすべてを、見落としてきました。
受け取る側に心の準備がなければ、愛は、ただ静かに通り過ぎてしまうのだと思います。
そのことを、私は、父を失ってから、ようやく学びました。
※
私はそのとき、ひとつ、決めていたことを思い出しました。
両親が離れて暮らすことになり、私は、母の旧姓を名乗る手続きを、進めようとしていました。
血のつながらない父の名字を、これ以上、背負う理由はない。
そう、思っていたのです。
けれど、私はその手続きを、取りやめました。
私は、父の名字を、名乗り続けることにしました。
私を本当の息子だと、最後まで信じてくれた人の名を、捨てたくなかったのです。
あの白い頭。あの湯呑みを見つめる横顔。
車を探してやる、と言ってくれた、不器用な申し出。
私はあのとき、「うん、お願い」と、なぜ言えなかったのでしょう。
もう一度だけ、あの食卓に戻れるなら。
黙って箸を動かす父に、私は、たくさんのことを話したい。
学校は楽しいよ、と。
そして、ありがとう、と。
いま、私の名刺には、父からもらった名字が、刷られています。
それは、私が一生かけて、背負っていく、誇りです。
※
父の葬儀のあと、私は、ひとつの決心をしました。
私もまた、左官の道へ進むことにしたのです。
父が遺した鏝を、私はいま、毎日、握っています。
壁に漆喰を塗るたび、あの白い匂いが、ふわりと立ちのぼります。
それは、子どもの頃、いちばん近くにあった、父の匂いです。
うまく塗れた日には、なんとなく、墓前に報告したくなります。
「お父さん、今日は、まっすぐ塗れたよ」
返事は、ありません。
それでも、風が、漆喰の匂いを、どこかへ運んでいくような気がするのです。
そのたびに私は、もう一度、心の中で呼びます。
お父さん、と。
今度は、少しも、つかえずに。
親というものは、子が思うよりずっと多くを、黙って胸にしまっているのだと思います。
そして子は、それに気づくのが、いつも、少しだけ遅いのです。
父の鏝で壁を塗っていると、ときどき、その手が、父の手に重なる気がします。
不器用さも、無口さも、いつのまにか、私は受け継いでいました。
血はつながっていなくても、確かに、私は父の子です。
あの缶の中に詰まっていたのは、言葉にならなかった、十数年ぶんの愛でした。
もし、いま父に会えるなら。
私は、あの食卓で、父の隣に座って、こう言いたい。
屋根になってくれて、ありがとう、と。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。