父の名字

私は長いあいだ、父を父だと思えませんでした。

私が五つのとき、母が再婚しました。

それから家にいるようになった、無口な男の人を、私は「お父さん」と呼びました。

けれど、その三文字を口にするたび、いつも喉の奥が、わずかにつかえました。

血が、つながっていなかったからです。

物心がつくのが早かった私は、この人は本当の父ではない、とどこかでずっと思っていました。

だから「お父さん」という呼び方が、こそばゆくて、たまりませんでした。

それでも、ほかに呼びようがなかったのです。

父は、左官職人でした。

朝の暗いうちに家を出て、夜は星が出てから帰ってきました。

作業着からはいつも、生乾きの漆喰のような、白っぽい匂いがしました。

手のひらは、乾いた土のようにごつごつとして、ひび割れていました。

父は、ほとんど喋りませんでした。

食卓でも、テレビを見ながら、ただ黙って箸を動かしているだけ。

私が学校であったことを話しても、「そうか」と低く言うきりでした。

笑った顔を、私はほとんど見たことがありませんでした。

怒鳴られた記憶もありません。

ただ、いつも、分厚い壁のように、黙ってそこにいる人でした。

その沈黙が、子どもの私には、冷たさのように感じられたのです。

「あの人、私のこと、どう思ってるんだろう」

あるとき、母にそう尋ねたことがあります。

母は、少し困った顔をして、こう言いました。

「不器用な人なのよ。許してあげて」

許す、という言葉の意味が、当時の私には、わかりませんでした。

小学校の運動会のことを、いまでも、よく覚えています。

その年、私は徒競走で、一等になりました。

ゴールしたあと、ふと観客席に目をやると、父が、いました。

仕事を抜けてきたのか、白い粉のついた作業着のままでした。

父は、拍手をするでもなく、ただ、まっすぐに私を見ていました。

目が合うと、父はすぐに、気まずそうに視線をそらしました。

私は、駆け寄りませんでした。

昼の弁当の時間も、私は友達の輪に入り、家族のところへは戻りませんでした。

父は、母と幼い妹と三人で、隅のほうで、黙って弁当を食べていました。

帰り道、父は、ぽつりとひとことだけ、言いました。

「速かったな」

私は「うん」とだけ返して、わざと先を歩きました。

いま思えば、父は、私のたった一回の一等を見るために、現場を抜けてきたのです。

あの短い「速かったな」に、どれほどの思いが込められていたのか。

当時の私は、想像しようとも、しませんでした。

小学校の高学年になると、私は妹の世話をするようになりました。

父と母のあいだに、二つ下の妹が生まれていたのです。

妹は、父によく似た、まるい目をしていました。

父は妹を、それは可愛がりました。

膝に乗せ、ぎこちない手つきで、髪を梳いてやっていました。

その姿を見るたび、私の胸の奥が、ちりちりと痛みました。

あの膝に、私は乗ったことがない。

あの手で、私の髪が梳かれたことは、一度もない。

血のつながった妹と、つながらない私。

父の優しさには、見えない線が引かれているのだと、私は思い込みました。

妹は、私のことを、心から慕ってくれました。

血のつながりなど、幼い妹には、関係のないことでした。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と、いつも私の後ろをついてきました。

その無邪気さが、ときどき、まぶしすぎて、私は目をそらしました。

血にこだわっていたのは、結局、私のほうだけだったのかもしれません。

だから私は、いっそう父を遠ざけました。

家にいても、自分の部屋にこもり、ひたすらプラモデルを組み立てていました。

小さな部品を、ピンセットでつまみ、接着剤でつなぐ。

その作業に没頭しているあいだだけ、私は家族のことを忘れられました。

父が廊下を通る重い足音がすると、私はわざと、息をひそめました。

顔を合わせたくなかったのです。

プラモデルに夢中だった頃、接着剤が、よく切れました。

お小遣いの少ない私は、それを、なかなか言い出せずにいました。

ところが、ある朝、机の上に、新しい接着剤が置いてあったのです。

誰が買ってきたのか、私には、わかりませんでした。

母に聞いても、首をかしげるばかり。

それからも、切れる頃になると、決まって、新しいものが、机の隅に現れました。

私は、それを当たり前のように使い、礼のひとつも、言いませんでした。

いまなら、わかります。

父は、誰もいない昼間に、そっと私の部屋を覗いていたのです。

何も言わず、ただ、足りないものを、黙って満たしてくれていた。

それが、言葉を持たないあの人の、たったひとつの、愛し方でした。

父も、私の部屋の扉を、ノックすることはありませんでした。

一度だけ、父の仕事場を、見に行ったことがあります。

小学校の帰り道、父が、古い民家の壁を塗っているのを、偶然、見かけたのです。

父は、私に気づいていませんでした。

鏝を持つ父の手は、家にいるときとは、まるで別人のようでした。

壁に漆喰をのせ、すうっと、なめらかに引いていく。

無駄な動きが、ひとつも、ありませんでした。

その横顔は真剣で、どこか、美しくさえありました。

通りかかった近所の人が、父に声をかけていました。

「いつも、きれいな仕事だねえ」

父は、照れたように、小さく頭を下げていました。

家では一度も見たことのない、表情でした。

私は、声をかけられないまま、その場を、そっと離れました。

あの背中を、もっと、ちゃんと見ておけばよかったと、いまは思います。

中学に上がる頃には、私と父は、ほとんど口をきかなくなっていました。

おはようも、おやすみも、いつのまにか消えていました。

私は、家にいる時間が、だんだん減っていきました。

放課後はあてもなく街をふらつき、夜遅くに、こっそり帰る。

そんな日が続きました。

母は、そんな私を、ただ心配そうに見ていました。

「お父さんも、あんたのこと、気にしてるのよ」

「あの人が? まさか」

私は鼻で笑いました。

気にしているなら、なぜ何も言わないのか。

なぜ、妹にだけ笑いかけるのか。

子どもの私には、沈黙の奥にあるものなど、見えるはずもありませんでした。

父と私は、同じ屋根の下で、ただ静かに、すれ違い続けていました。

中学の卒業式にも、父は来ていました。

体育館の、いちばん後ろの壁際に、ぽつんと立っていたのを覚えています。

私は、友達の手前、父に気づかないふりをしました。

式が終わり、みんなが家族と写真を撮るなか、私はひとりで校門を出ました。

父は、追ってきませんでした。

ただ、遠くから、私の背中を、じっと見送っていたのだと思います。

その日、家に帰ると、食卓に、私の好きな赤飯が炊いてありました。

てっきり、母が炊いたものだと思っていました。

ずっとあとになって、それを炊いたのが父だったと、母から聞きました。

左官の、ごつごつとした手で、不器用に米を研いでいたそうです。

高校を卒業する、その春のことでした。

私が専門学校への進学を決め、家を出ることになった日。

珍しく、父と二人きりになりました。

母と妹が、買い物に出ていたのです。

気まずさに、私が部屋へ戻ろうとしたとき、背中に、父の低い声がかかりました。

「車は、もう決めたのか」

振り返ると、父が、湯呑みを手に、こちらを見ていました。

「……まだ、だけど」

「中古でいい。必要なら、探しといてやる」

それは、父から私への、初めての申し出のようなものでした。

「いいよ、自分で何とかする」

私は、つい、突き放すように答えてしまいました。

父は、「そうか」とだけ言って、また黙りました。

そのとき、ふと、父の頭が、真っ白になっていることに気づきました。

記憶の中の父より、ずっと小さく、ずっと老けていました。

いつのまに、こんなに。

私は、何も言えずに、部屋へ戻りました。

扉を閉める間際、父が、ひとり湯呑みを見つめている横顔が、目に残りました。

家を出てしばらく経った頃、私は母から、初めて父の生い立ちを聞きました。

父は、親のいない子どもたちが暮らす施設で、育ったのだそうです。

父親の顔も、声も、知らないまま大きくなった。

「だからね、お父さんは、父親というものが、よくわからないの」

母は、静かに話しました。

父親とは、威厳があり、家族を黙って支える、強い存在でなければならない。

甘えさせることも、笑いかけることも、父にとっては、どうしていいかわからないことだった。

父は、自分が知らなかった「父親」を、見よう見まねで、必死に演じていたのです。

不器用なその沈黙は、冷たさではありませんでした。

それは、愛し方を、誰にも教われなかった人の、精いっぱいの形でした。

母は、こんなことも、話してくれました。

父は施設で、年下の子の面倒を、よく見ていたそうです。

自分が甘えられなかったぶん、誰かを守ろうとした。

それが、父という人の、生き方だったのかもしれません。

「お父さんね、あなたを引き取るとき、こう言ったの」

母の声が、少し、震えていました。

「この子の父親に、俺はなれないかもしれない。でも、屋根にはなる。雨風だけは、絶対に通さない。って」

私は、その言葉を聞いて、胸が、詰まりました。

屋根。

たしかに父は、ずっと、私たちの屋根でした。

飾り気もなく、ただ黙って上にあって、雨の音にも気づかせないほど静かに、私たちを守っていた。

私は、その屋根の下にいることを、当たり前だと思い込んでいたのです。

私は、受話器を握ったまま、長いこと言葉が出ませんでした。

父が倒れたのは、それから二年後のことでした。

病室に駆けつけたとき、父はもう、多くを話せませんでした。

やせて小さくなった手を、私はそっと握りました。

あのごつごつとした、漆喰の匂いのする手は、ずいぶん柔らかくなっていました。

病室には、すっかり大人になった妹も、来ていました。

妹は、父の手を握って、泣いていました。

「お兄ちゃん」

妹が、涙をぬぐいながら、私を見て言いました。

「お父さんね、お兄ちゃんのこと、いつも自慢してたよ」

「自慢?」

「あいつは手先が器用だ。きっと、いい仕事をする。って」

私は、知りませんでした。

あの無口な父が、誰かに、私のことを、それも誇らしげに語っていたなんて。

妹の言葉が、胸の奥に長くつかえていた固いものを、静かに溶かしていきました。

「お父さん」

私は、生まれて初めて、つかえることなく、その三文字を呼びました。

父は、うっすらと目を開け、何か言おうとしました。

けれど、声にはなりませんでした。

ただ、私の手を、かすかに、握り返してくれました。

その夜、父は、静かに息を引き取りました。

その夜、私は病院の廊下で、ひとり、声を殺して泣きました。

間に合わなかった、という思いが、波のように、押し寄せてきました。

もっと早く、知りたかった。

もっと早く、呼びたかった。

お父さん、と、心の底から。

四十九日が過ぎ、私は父の遺品を整理しました。

道具箱には、使い込まれた鏝が、きれいに並べてありました。

その奥に、古い菓子の缶が、ひとつ。

開けると、中には、私のものが、ぎっしり詰まっていました。

小学校の頃の通信簿。図工で賞をもらった、稚拙な絵。

私が捨てたはずの、出来そこないのプラモデルの、小さな部品まで。

父は、私が見もしなかったあいだに、それらを、ひとつずつ拾い、しまっていたのです。

缶の中には、もうひとつ、折りたたまれた紙がありました。

広げると、それは、中古車店のチラシでした。

何枚も、ていねいに、はさんでありました。

予算の欄に、父の字で、几帳面に数字が書き込まれていました。

私が断ったあとも、父は、ひとりで車を探し続けていたのです。

いつか私が帰ってきたら、黙って渡せるように。

その日が来ることは、とうとう、ありませんでした。

缶の底には、すり切れた、小さな手帳がありました。

めくると、父の、たどたどしい字が並んでいました。

そこには、父が言えなかった言葉が、練習するように、何度も書きつけてありました。

「がっこうは、たのしいか」

「むりを、するな」

「よく、がんばった」

一度も、私には言われなかった言葉ばかりでした。

そして、最後のページに、ひとことだけ。

「血など、つながっていなくていい。お前は、本当の息子だ」

私はずっと、父の沈黙を、拒絶だと思い込んでいました。

けれど本当は、その沈黙こそが、父の精いっぱいの言葉だったのです。

言葉を持たない人は、行いで語ります。

新しい接着剤で。炊いてくれた赤飯で。現場を抜けて見にきた、運動会で。

私は、そのすべてを、見落としてきました。

受け取る側に心の準備がなければ、愛は、ただ静かに通り過ぎてしまうのだと思います。

そのことを、私は、父を失ってから、ようやく学びました。

私はそのとき、ひとつ、決めていたことを思い出しました。

両親が離れて暮らすことになり、私は、母の旧姓を名乗る手続きを、進めようとしていました。

血のつながらない父の名字を、これ以上、背負う理由はない。

そう、思っていたのです。

けれど、私はその手続きを、取りやめました。

私は、父の名字を、名乗り続けることにしました。

私を本当の息子だと、最後まで信じてくれた人の名を、捨てたくなかったのです。

あの白い頭。あの湯呑みを見つめる横顔。

車を探してやる、と言ってくれた、不器用な申し出。

私はあのとき、「うん、お願い」と、なぜ言えなかったのでしょう。

もう一度だけ、あの食卓に戻れるなら。

黙って箸を動かす父に、私は、たくさんのことを話したい。

学校は楽しいよ、と。

そして、ありがとう、と。

いま、私の名刺には、父からもらった名字が、刷られています。

それは、私が一生かけて、背負っていく、誇りです。

父の葬儀のあと、私は、ひとつの決心をしました。

私もまた、左官の道へ進むことにしたのです。

父が遺した鏝を、私はいま、毎日、握っています。

壁に漆喰を塗るたび、あの白い匂いが、ふわりと立ちのぼります。

それは、子どもの頃、いちばん近くにあった、父の匂いです。

うまく塗れた日には、なんとなく、墓前に報告したくなります。

「お父さん、今日は、まっすぐ塗れたよ」

返事は、ありません。

それでも、風が、漆喰の匂いを、どこかへ運んでいくような気がするのです。

そのたびに私は、もう一度、心の中で呼びます。

お父さん、と。

今度は、少しも、つかえずに。

親というものは、子が思うよりずっと多くを、黙って胸にしまっているのだと思います。

そして子は、それに気づくのが、いつも、少しだけ遅いのです。

父の鏝で壁を塗っていると、ときどき、その手が、父の手に重なる気がします。

不器用さも、無口さも、いつのまにか、私は受け継いでいました。

血はつながっていなくても、確かに、私は父の子です。

あの缶の中に詰まっていたのは、言葉にならなかった、十数年ぶんの愛でした。

もし、いま父に会えるなら。

私は、あの食卓で、父の隣に座って、こう言いたい。

屋根になってくれて、ありがとう、と。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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