父からの保護メール

父が死んだのは、十一月の終わりの、ひどく風の強い朝だった。

町工場の旋盤の前で、いつものように立ったまま、心臓を止めていたという。

七十二歳。最後まで現役の職人だった。

連絡を受けたとき、私は東京のアパートで、二度目の転職に失敗したばかりの三十五歳だった。

携帯の向こうで、母の声は震えていた。

「お父さんが、倒れて」

それだけ聞いて、あとの言葉は耳に入らなかった。

新幹線の窓に額をつけて、冬枯れの田畑をぼんやり眺めながら、私は不思議なほど涙が出なかった。

悲しくないのではない。

ただ、父という人を、どう悲しめばいいのかわからなかったのだ。

父は、無口だった。

正確に言えば、機械油と鉄粉のにおいのする工場では饒舌で、家に帰ると貝のように黙る人だった。

幼い頃、私は父の工場が好きだった。

夏の昼下がり、油のにおいと金属のにおいが混じった空気の中で、父は鉄の塊を手のひらの中の宝物のように削っていた。

火花が線香花火のように散って、父の横顔だけが、いつもそこでは生き生きとしていた。

けれど一歩、玄関をくぐると、父は別人になった。

私が小学生の頃、運動会の徒競走で一等を取って帰っても、父は新聞から目を上げずに「ふん」と言っただけだった。

中学で県の作文コンクールに入賞したときも、賞状をちらと見て「紙か」と呟いた。

面と向かって褒められた記憶が、ひとつもない。

母がいつも間に立って、「お父さんはああいう人だから」と取りなしてくれたが、子供心にはそれが余計に惨めだった。

友達の家では、父親が子供を肩車したり、誕生日に外食へ連れていったりするらしかった。

うちの父は、私の誕生日にケーキの箱を黙って食卓に置いて、自分は先に風呂へ消えるような人だった。

一度だけ、思いきって聞いたことがある。

「父さんは、おれのこと好きなの」

父は箸を止めて、長いあいだ黙っていた。

それから、ぼそりと言った。

「めし、食え」

その晩、私は布団の中で、声を殺して泣いた。

後で知ったことがある。

あの作文コンクールの表彰式に、父は来ていたのだ。

仕事を抜けられないはずの平日の午後、会場のいちばん後ろの席に、作業着のまま座っていたという。

私が壇上で賞状を受け取るのを見届けると、誰にも声をかけずに、そっと帰っていったらしい。

それを教えてくれたのは、当時の担任だった。

「お父さん、ずっと立ったまま、あなたのこと見てたわよ」

家に帰れば「紙か」としか言わない人が、わざわざ仕事を抜けて、後ろの席に座っていた。

その話を聞いたのは、もう大人になってからだった。

聞いたところで、私はただ「ふうん」と流しただけだった。

今思えば、私もまた、父によく似ていたのだ。

中学のとき、通学に使っていた自転車を、ひどく壊したことがある。

友達とふざけあって転び、フレームが大きく曲がって、もう乗れなくなってしまった。

新しいものを買ってくれとは、とても言い出せなかった。

叱られるのが怖くて、私はその自転車を、工場の隅にこっそり置いておいた。

ところが数日後、自転車はきれいに直っていた。

曲がったフレームはまっすぐに戻り、錆びていた部分まで、丁寧に磨き上げられていた。

新品同様のそれに、私はただ驚くばかりだった。

父に礼を言うと、新聞から目も上げずに「知らん」と一言だけ返ってきた。

けれど、その指先が、いつもより黒く油で汚れているのを、私は見て見ぬふりをした。

高校を出るとき、私は父の工場を継ぐ道を、はっきりと拒んだ。

地元の工業高校に通いながら、ずっと心に決めていたことだった。

「鉄なんか、もう古い。おれは東京で、ちゃんとした仕事をする」

そう言い放った私に、父は何も言い返さなかった。

ただ、湯呑みを置く手が、わずかに止まったのを覚えている。

台所で皿を洗っていた母の手も、止まった。

それきり、私は東京へ出た。

盆も正月も、忙しいという嘘を作っては、帰らなかった。

父と最後にまともに話したのが、いつだったのかさえ思い出せない。

たまに母から電話があると、最後に必ず「お父さんも元気よ」と付け加えられた。

私は、その言葉に「そう」としか返さなかった。

最後に父に会ったのは、三年前の、祖母の法事のときだった。

気まずさから、私はその日のうちに、とんぼ返りで東京へ戻ろうとした。

駅まで送ると言う父を断り、私は一人で改札を抜けた。

ふと振り返ると、父はホームの遠くに立って、じっとこちらを見ていた。

目が合うと、父は気まずそうに、小さく手を挙げた。

その手を、私は見なかったふりをして、電車に乗り込んだ。

あれが、生きている父を見た、最後になった。

あのとき、手を振り返していれば。

そう悔やんでも、もう遅い。

東京での暮らしは、思い描いていたものとは、まるで違った。

最初に入った会社は、残業ばかりで給料は安く、上司の機嫌に振り回される毎日だった。

「ちゃんとした仕事」とは、いったい何だったのだろう。

鉄を削る父を、心のどこかで見下していた自分が、ひどく薄っぺらく思えた。

満員電車に揺られながら、私はよく、あの工場の火花を思い出した。

父の手が生み出す部品は、誰かの機械の中で、確かに役に立っていた。

私の毎日には、そういう手応えが、何ひとつなかった。

三年目の春、私はとうとう、その会社を辞めた。

会社を辞めた夜、私はアパートで、母にだけ電話をかけた。

情けない弱音が、止まらなかった。

「もう、東京なんてやめて、帰ろうかな」

「おれ、何やってるんだろう」

母は、ずっと黙って聞いてくれた。

そして最後に、こう言った。

「お父さんには、言わないでおくね」

私は、それでいいと思った。

あの父にだけは、無様な姿を知られたくなかった。

「鉄なんか古い」と出ていった息子が、東京で泣いているなんて。

だから父は、何も知らないはずだった。

そう、ずっと信じていた。

通夜の晩、私は一人で、父の工場に足を運んだ。

電気をつけると、見慣れた機械たちが、ひっそりと眠っていた。

旋盤の前の床だけ、父が立っていた場所が、わずかにすり減って窪んでいた。

何十年も、同じ場所に立ち続けた証だった。

私は、その窪みに、そっと自分の足を重ねてみた。

父が毎日見ていたであろう景色が、そこにあった。

すりガラスの窓の向こうに切り取られた、小さな空。

作業台には、削りかけのまま残された、鉄の塊。

その断面が、蛍光灯の下で鈍く光っていた。

私は、しばらくそこから動けなかった。

葬儀は、地元の小さな会館で行われた。

驚いたのは、弔問の列が、いつまでも途切れなかったことだ。

取引先の社長、近所の鉄工所の主人、見たこともない老人たち。

その誰もが、父の手を握ったことのある人々だった。

白髪の男が、私の手を両手で包んで言った。

「あんたの親父さんには、ずいぶん助けられた」

「うちが潰れかけたとき、黙って部品をただで作ってくれてな」

「礼を言っても、ふん、としか言わんかったよ」

若い男も、目を赤くして立っていた。

かつて父の工場で修業し、独立したという職人だった。

「親方は、一度も褒めてくれませんでした」

「でも、おれが初めて一人で仕上げた部品をね、黙ってポケットに入れて、持って帰ったんです」

「家でずっと、眺めてたって、後で奥さんから聞きました」

その話に、私は言葉を失った。

褒めない人だった。

けれど、誇りに思うものは、黙って手元に置いておく人だったのだ。

別の老婆が、私に深く頭を下げた。

「息子さんだろう。お父さん、あんたの話ばっかりしてたよ」

私は、思わず聞き返した。

「父が、私の話を」

「東京で頑張ってる息子がいるって。それはもう、嬉しそうに」

嬉しそうに、という言葉が、胸に刺さって抜けなかった。

私の知らない父の顔が、こんなにもたくさんあった。

私が背を向けていた、十七年のあいだに。

四十九日が過ぎ、年が明けても、私はなかなか元の生活に戻れなかった。

東京のアパートは引き払い、しばらく実家で母と暮らすことにした。

仕事のあてもなく、ちょうど身の振り方に迷っていた頃でもあった。

母は、父がいなくなった家を、それでも毎日丁寧に磨き続けていた。

仏壇の前に座ると、父の遺影が、相変わらず不機嫌そうな顔でこちらを見ていた。

笑った写真が、家じゅうのどこを探しても、一枚もなかったのだ。

父の部屋には、油染みのついた作業着が、まだ椅子の背にかけたままになっていた。

袖口を持ち上げると、機械油と、かすかな汗のにおいがした。

そのにおいだけが、父がついこのあいだまで生きていたことを、教えてくれた。

その作業着のポケットを、私はそっと探ってみた。

固いものが、指先に触れた。

取り出すと、それは小さな鉄のキーホルダーだった。

手のひらにすっぽり収まる、不格好な犬の形をしている。

裏返すと、たどたどしい刻印で、私の名前が彫ってあった。

子供の頃、犬を飼いたいと駄々をこねたことを、ふと思い出した。

うちでは飼えないと、結局あきらめた、あの犬。

父は、それを覚えていたのだ。

いつか渡すつもりで、けれど照れくさくて渡せないまま、ずっとポケットに入れて持ち歩いていたのだろう。

鉄なのに、まだ父の体温を、かすかに宿しているように温かかった。

その小さな鉄の犬を、その日、私はずっと握りしめていた。

ある日の午後、私はふと、父が母にどんな言葉をかけていたのかを知りたくなった。

家ではあれほど無口だった人が、夫婦のあいだで何を交わしていたのか。

母に尋ねると、母は少し困ったように笑った。

「お父さん、メールだけはくれたのよ」

「メール?」

「面と向かっては、何にも言わない人だったけどね」

母は、簞笥の引き出しの奥から、古いガラケーを取り出した。

二つ折りの、ずいぶん年季の入った機種だった。

「捨てられなくてね」

母は、それをまるで壊れ物のように、私の手のひらに載せた。

充電器も一緒に。

古い携帯は、充電するとあっけなく息を吹き返した。

受信フォルダを開く。

父からのメールが、何百通と並んでいた。

その内容に、私は思わず噴き出してしまった。

「めし、あるぞ」

「いつもの時間に帰る」

「どこだ」

句読点もない。疑問符すらない。

用件だけの、そっけない文字の羅列。

まるで電報のようだった。

家での父の、ぶっきらぼうな声がそのまま聞こえてくるようで、私はひとつひとつを声に出して読んだ。

けれど読み進めるうちに、私はあることに気づいた。

母が大きな手術をした年だけ、父のメールが、少しだけ長くなっているのだ。

「無理するな」

「薬、飲んだか」

「ゆっくりでいい。おれが、なんとかする」

不器用な、けれど確かな心配が、行間からにじんでいた。

あの貝のように黙る父が、画面の中ではこんなにも案じていた。

私は知らなかった。

父と母のあいだに流れていた、静かであたたかい時間を。

その中に、私のことに触れたメールも、ぽつりと混じっていた。

「むすこ、めしは食ってるか」

東京で一人暮らす息子の食事を、母を通じて、父はそっと気にかけていたのだ。

私が忙しいと嘘をついて帰らなかった、あの何年ものあいだ。

父は一度も、帰ってこいとは言わなかった。

ただ、めしは食っているか、と母に尋ねていただけだった。

同じような短い文ばかりを、私はしばらく読み続けた。

窓の外が、いつのまにか夕暮れに染まっていた。

その手が、ふと止まった。

受信一覧のいちばん下に、一通だけ「保護」のマークがついたメールがあったのだ。

消えないようにと、母がわざわざ守っていた、ただ一通。

日付を見ると、九年前の三月十日だった。

差出人は、父。

胸が、わけもなく高鳴った。

私は、その一通を開いた。

「むすこは、だいじょうぶだ」

たった、それだけだった。

意味が、すぐにはわからなかった。

三月十日。

九年前の、その日。

記憶を手繰って、私は息を呑んだ。

その日は、私が東京で最初の会社を辞めて、母にだけ電話で泣き言を漏らした、あの夜の翌朝だった。

もう東京なんてやめて帰ろうかと、情けない弱音を吐いた、あの晩。

母は「お父さんには言わないでおくね」と、約束してくれた。

だから父は、何も知らないはずだった。

私は、台所にいた母に、その画面を見せた。

「これ、どういうこと」

母は、しばらく黙っていた。

それから、湯呑みを両手で包むようにして、ぽつりと言った。

「あの晩ね、あなたからの電話、お父さん、隣の部屋で寝たふりして、全部聞いてたのよ」

「……聞いてた?」

「次の日、仕事に行く前にね、私の携帯に、それだけ送ってきたの」

母は、小さな画面を、そっと指先で撫でた。

「面と向かっては、絶対に言えない人だから。私に言うふりして、本当はね」

その先を、母は言わなかった。

言わなくても、わかった。

父は、私に言っていたのだ。

母の携帯を借りて、遠回しに、たった一行で。

むすこは、だいじょうぶだ、と。

あれは、東京で泣いている息子への、励ましだった。

「紙か」と賞状を見た、あの父が。

「めし、食え」としか言えなかった、あの父が。

九年ものあいだ、母はそれを消さずに守り続けていた。

息子のことを案じた、夫の不器用な一行を。

私は、その場で、子供みたいに泣いた。

新幹線の窓では一滴も出なかった涙が、もう、止まらなかった。

あれほど褒めてくれなかった父が。

鉄なんか古いと言い捨てて出ていった、薄情な息子のことを。

ずっと、だいじょうぶだと、信じてくれていた。

面と向かっては、ついに一度も口にしないまま。

遺影の中で、父はまだ不機嫌そうな顔をしていた。

けれど私には、もうその顔が、照れているようにしか見えなかった。

春になって、私は実家の近くにある、小さな金属加工の会社で働きはじめた。

父の工場を、そっくり継ぐ度胸は、まだない。

それでも、鉄を削る甲高い音が、今は不思議と心地よい。

機械油のにおいの中に立つと、あの広い背中を思い出す。

先輩の職人に何かを褒められると、私はつい、ふん、と返してしまう。

あの人の血が、確かに私の中に流れているのだと、そんなときに思う。

初めて自分ひとりで仕上げた部品を、私はそっとポケットに入れて、家に持って帰った。

仏壇に供えると、遺影の父が、ほんの少しだけ得意げに見えた。

休みの日には、父の工場にも、たまに足を運ぶようになった。

機械はもう動かないけれど、床を掃き、窓を開けて、風を通す。

いつかまた、ここで鉄を削れる日が来るかもしれない。

そんなふうに思えるようになったのは、ごく最近のことだ。

あの不格好な鉄の犬は、今は私の鍵に、いつもぶら下がっている。

仕事帰り、ポケットの中でそれに触れるたび、父の手のぬくもりを思い出す。

あの古いガラケーは、充電器ごと、私の机の引き出しにしまってある。

いつか私も、誰かに不器用な一行を送る日が来るのだろうか。

面と向かっては言えない、いちばん大切な言葉を。

消してしまえば、もう二度と戻らない。

あの不器用な人が、たった一度だけ私に向けてくれた、本当の言葉だから。

父が遺した、たった一行のメールを、私は今も、保護したままにしている。

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