静かなテーブルの上で

カレー

ファミレスで仕事をしていたときのことです。

隣のテーブルに、三人連れの親子が座りました。

若作りした茶髪のお母さん、中学一年生くらいの男の子、そして小学校低学年と思われる妹の三人。

最初は「どこにでもいる家族連れだな」と思っていましたが、すぐにその印象は変わりました。

「ほら!早く決めなさいッ!ったく、トロいんだから!」

母親が、常に怒っているのです。

何をしても、子どもたちを怒鳴りつけている。

妹が笑顔で「わたし、カレーにするー」と言えば、

「うるさいな!そんなこと聞いてないでしょ!」

――ただ、好きな食べ物を口にしただけなのに。

一方、兄の方はというと、一言も発しません。

注文も、メニューを指さすだけ。無表情で、そっぽを向いたまま。

まるで、この親に関わらないようにしているかのようでした。

料理が届いてからも、母親の怒りは止まりません。

「いただきまーす」と言えば、「黙って食べなさい」。

妹はしょんぼりして、うつむいたままカレーを口に運びます。

兄は無言のまま、ただ箸を動かす。

母親は先に食べ終えると、タバコに火をつけ、スマホを操作し始めました。

やるせない光景でした。

ふいに、妹が明るい声を上げました。

「ねえ、お母さん!聞いて聞いて!今日ね、学校でいいことがあって――」

母親はすぐに怒鳴りました。

「うるさい!食べてるときは黙ってなさい!周りの人に迷惑でしょ!」

…迷惑なんかじゃありません。

むしろ、その子の話を聞いてあげてほしいと思いました。

びっくりして手元が狂い、妹がカレーをほんの少しテーブルにこぼしてしまうと、

「あーもう!汚いな!何でちゃんと食べられないの!?綺麗に食べなさいって言ってるでしょ!」

烈火の如く、怒り出す母親。

それに対し、妹は「ごめんなさい……」と、消え入りそうな声を出すばかりでした。

そして母親は、またスマホに目を落とし、文句をつぶやきながら指を動かしている。

兄は無言のまま、黙々と食べている。

そのテーブルは、まるでお通夜のような空気に包まれていました。

その時、母親のスマホが鳴りました。

「ちょっとお母さん、電話してくるから。サッサと食べちゃってね」

そう言い残して、母親はスマホを片手に店の外へ出て行きました。

――電話をする時間があるなら、子どもの話を聞いてあげてほしい。

子育てをしたことのない私が言うのはおこがましいかもしれませんが、あまりに見ていられませんでした。

ふと、妹に目を向けると――彼女は涙をこらえながら、必死にカレーをかき込んでいました。

きっと「早く食べろ」と言われるのが怖くて、味わう余裕もないまま、焦って食べていたのでしょう。

もともと食べるのが遅い子なのかもしれません。

口の周りはカレーでべそべそ。

でも、それにすら気づかず、彼女はただ「叱られないように」と懸命にスプーンを動かしていました。

その姿を見たとき、私は怒りよりも、深い哀しみに襲われました。

誰か、どうかこの子を抱きしめてあげてほしいと、心から願いました。

その時でした。

ずっと黙っていた兄が、ぽつりと声を出したのです。

「……そんなに急がなくてもいいよ」

妹は、はっと兄の顔を見つめました。

「え?」

「ゆっくり食べな」

「で、でも……お母さんが」

「いいから。好きなんだろ、それ」

「……うんっ」

兄は、ちらりと母親が出て行った方向を見てから、こう言いました。

「で? 学校でいいことあったんだろ」

「うんっ!あのね!今日学校でね――」

妹は、さっきまでの涙が嘘のように笑顔になり、明るく話し始めました。

それは他愛のない話だったけれど、彼女にとってはきっと大切な一日だったのでしょう。

兄はにこりともしなかったけれど、真剣な顔で妹の話を聞いていました。

そして、そっとスプーンを置くと、妹の汚れた口元を優しく拭いてあげたのです。

親からの愛は見えなかったけれど、兄妹の絆はそこにしっかりと存在していました。

この二人なら、きっと真っすぐに育っていける。

そんな静かな希望を、私はそのファミレスの片隅で感じていたのです。

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