忘れられない暗証番号
片胸のない彼女と決めた暗証番号は、二人の誕生日を足した〇五一二。余命を告げられても笑って過ごした日々のあと、彼女が旅立って半年で届いた診断書の時刻の欄に、その暗…
片胸のない彼女と決めた暗証番号は、二人の誕生日を足した〇五一二。余命を告げられても笑って過ごした日々のあと、彼女が旅立って半年で届いた診断書の時刻の欄に、その暗…
医学生だった頃、右の脚が重いと言った恋人の言葉を聞き流してしまった俺。遺された古いノートと最後の言葉に支えられて心臓外科医になった今、救急外来で同じ訴えを耳にす…
六歳の春に来た義母の手帳には、毎年一月十四日に赤い丸がついていた。誕生日でも命日でもない。四十年知らずにいた手帳の赤い丸の意味を、私は通夜の席で妻から聞かされた…
春一番の日、店の駐車場に散った段ボールを一人で追いかけていた私のもとへ、文句を言った若いカップルが髪も服も乱れたまま両腕いっぱいの箱を抱えて戻ってきた。レジ係が…
金融屋をやっていた三年前の夏、取り立てに行った大牟田の文化住宅に、五歳と三歳の兄妹だけが残されていました。裏庭の破れた金網の先にあったのは、小学校の池です。池の…
一昨年の夏、五歳の息子と昆虫展へ向かう途中、渋滞の最後尾で大型トラックに追突された。潰れた助手席から息子を救い出したのは、通りかかった迷彩服の若い隊員だった。病…
秋田・大館の曲げわっぱ工房で、妻は樺縫いの最後のひと針だけを、毎晩かならず翌朝へ残していました。妻を失った冬、四つになる娘の一言と、老いた職人の静かな証言が、そ…
徳島の藍師の家に生まれた私は、母が誕生日に必ず作るかきまぜを手抜きだと思っていました。母を見送ったあと、古い飯台の底に刻まれた二百八十七本の線が、四十年の沈黙の…
一歳半で母を見送った友人は、母の顔も声も覚えていません。それでも、眠る子の背中を二回叩いてひとつ撫でる手つきだけが、二十一年後の今も彼女の手に残っていました。金…
二月の児島、学生服の裁断室に妹から電話が入った。上京して九年、家族を呼ぶと言った妹は、病室で何度も「迷惑掛けてゴメンね」と繰り返した。妹のゴメンねに息をひとつ吸…
宮城の白石で温麺を作る小さな工場の二代目です。娘のバイオリンを巡って女房と喧嘩した翌日、小学二年の娘が封入作業の求人へ自分で電話をかけていたと知りました。毎晩、…
富山の砺波平野で三社柿を作る家に嫁いだ私は、喜怒哀楽を見せない姑にずっと身構えていました。台風の晩、崩れた土が家を押したとき、降る皿の下で私を庇ったのは足の悪い…
タオル工場で三十年、白い生地の傷を探し続けた母。傷を見つけるたびに結んでいた赤い一本の糸には、娘が二十四年ものあいだ気づかなかった意味がありました。母がためらわ…
背中を向けたまま何も言わない父でした。合格の日に病室から掛かってきた一本の電話と、物置のブルーシートの下で五年ものあいだ鳴りつづけていた小さな音の正体。浜松のピ…
雪深い二月の花屋に、小さな女の子がたった一人で花を買いに来ました。片方だけ握られたミトンと、母のために選んだオレンジのチューリップ。花屋の主人が何年経っても忘れ…