
封を切っていないCDが一枚、実家の押し入れの奥から出てきました。
透明のフィルムに、二十六年ぶんの埃が薄く乗っていました。
その埃を指で拭いたとき、私は自分が何を捨てそこねてきたのかを、ようやく知りました。
押し入れの奥に置いたままにしたもの
実家を片づけたのは、母が施設に移ることが決まった六月でした。
群馬の桐生という町です。
のこぎりの歯のような形をした屋根が、いまも道の両側に残っています。
あの屋根は北向きの窓のためにあるのだと、子どもの頃に父から聞きました。
北からの光は一日じゅう色が変わらないので、染めた糸の色を見誤らないのだそうです。
父は、その屋根の下で糸を染める仕事をしていました。
押し入れの段ボールは、私が中学一年の秋に自分で詰めたものでした。
いちばん下に、それはありました。
透明のフィルムのまま。
二十六年、一度も再生していないCDです。
※
北向きの窓の下で育ったこと
父の工場のことを、私はほとんど知りませんでした。
子どもにとって、親の職場はただの背景です。
覚えているのは匂いと音だけでした。
酢のような、すこし酸っぱい匂いが、父の作業着にいつも染みていました。
色を定着させる薬の匂いだと、大人になってから知りました。
母は、その作業着を他の洗濯物と一緒に洗いませんでした。
色が移るからです。
「お父さんのは、別で洗うの」
「なんで」
「よそさまの糸の色が、うちの服につくのは失礼やろ」
いまでも、あの理屈の立て方を思い出します。
失礼、という言葉を、母は洗濯機の前で使う人でした。
工場の窓は、どれも北を向いていました。
のこぎり屋根の、垂直に切り立った側が全部ガラスなのです。
南の光は朝と昼と夕方で色が変わるので、染めた糸の見立てを狂わせるのだと父は言いました。
だから、その屋根の下だけは、一日じゅう同じ明るさでした。
私は放課後、たまにそこへ寄って、宿題をしていました。
変わらない光の中で見る自分のノートは、朝でも夕方でも同じ白さでした。
あの明るさを、私はいまでも探しています。
※
貸出カードに名前を書く前の癖
小畑くんとは、中学一年の四月に同じ委員会になりました。
図書委員です。
希望者が二人しかいなくて、じゃんけんもせずに決まりました。
放課後の当番は週に二回。
返却された本の背の番号を見て、棚に戻すだけの仕事でした。
小畑くんは無口で、私はもっと無口でした。
ふたりとも恋愛の話をしませんでした。
他の女の子たちが誰と誰が付き合ったという話で騒いでいるのを、私は本当に、外国語のように聞いていました。
小畑くんの隣は、その話をしなくていい場所でした。
それだけの理由で、私は土曜も日曜も図書館へ行きました。
市立図書館は、川べりの、もとは繭の倉庫だった建物です。
天井が高くて、夏でもひんやりしていました。
当時はまだ、本の後ろのポケットに紙の貸出カードが入っていました。
借りる人が、日付と自分の名前を手で書く方式です。
小畑くんは、貸出カードに名前を書く前に、いつも一つ上の欄を、指でなぞっていました。
私は、癖なのだろうと思っていました。
「なにしてるの」
「べつに」
「変な癖」
「そっちこそ、本の匂い嗅いでるじゃん」
そんなやりとりをした記憶があります。
笑ったかどうかは覚えていません。
※
父の工場が止まると決まった月
十月に、父の工場が年内で止まると決まりました。
安い糸が海の向こうから入ってきて、染める仕事そのものが減っていました。
父は職を探し、母の実家のある町に移ることになりました。
私の転校は、十二月と決まりました。
担任からその話を聞いた日、私は図書室の当番でした。
小畑くんに言うのが、なぜか怖かったのを覚えています。
結局、言いました。
「わたし、十二月でいなくなる」
小畑くんは、返却台に置いた本を持ったまま、しばらく動きませんでした。
それから、泣きました。
男の子が声を出さずに泣くのを、私はそのとき初めて見ました。
肩は動かないのに、本の表紙にだけ、点が落ちていくのです。
私はどうしていいか分からず、貸出カードの束を意味もなく揃え直していました。
※
親友に言われた一言
その週の終わりに、小畑くんの友だちに廊下で呼び止められました。
「小畑はお前のことが好きなんだよ。気付いてやれよ」
私は、頭の中が白くなりました。
好き、という言葉が、急に知らない生き物の名前のように聞こえました。
私にとって小畑くんは、恋愛の話をしなくていい相手でした。
その一言で、その場所がなくなってしまったのです。
翌週から、私は小畑くんを避けました。
当番を人と代わってもらい、図書室の前を通らない道を選びました。
残りの一ヶ月、ほとんど口をききませんでした。
怖かったのです。
いま思えば、怖かったのは小畑くんではありません。
自分の中に名前のつかないものがあることが、怖かったのです。
※
最後の日に渡されたもの
転校の前日、下駄箱の前で小畑くんが待っていました。
紙の袋を持っていました。
「これ」
「なに」
「べつに。いらんかったら捨てて」
そう言って、走って行ってしまいました。
袋の中身は、ケースに入ったCDでした。
盤面に何も書かれていない、真っ白なCDです。
私はそれを、透明のフィルムに入れたまま、聴きませんでした。
聴いたら、何かが決まってしまう気がしたのです。
段ボールの底に入れて、テープで封をしました。
それきりでした。
※
転校先で聴かなかった理由
転校先の町には、のこぎり屋根がありませんでした。
川もありませんでした。
私は、驚くほど早く新しい友だちを作りました。
恋愛の話にも、たぶん普通に笑って混ざれるようになりました。
器用になったわけではありません。
ただ、あの一ヶ月で「怖がると、人と話さずに済む」ということを覚えてしまったのです。
怖がる、というのは便利な逃げ場でした。
CDを聴かなかったのも、同じ逃げです。
もし曲が入っていたら、その曲を好きになってしまう。
好きになったら、それを渡した人のことも考えてしまう。
そうなったら、私は自分がした仕打ちを、認めなければいけなくなります。
だから聴きませんでした。
高校に上がるとき、大学に入るとき、就職するとき、結婚するとき。
荷物を減らすたびに、私はあのCDだけ、なぜか捨てられませんでした。
捨てられないものは、忘れていないものです。
そのことに気づかないふりをして、二十六年たちました。
※
二十六年目の再生ボタン
片づけの最後に、私は古いラジカセを一階へ下ろしました。
電源が入るかどうかも分からない機械です。
フィルムを剥がし、盤を入れ、再生を押しました。
スピーカーから流れてきたのは、曲ではありませんでした。
音でした。
ガシャン、ガシャン、という規則正しい音が、遠くから近くへ、また遠くへと移っていきます。
織機の音です。
その向こうに、雨のような細かい音が重なっていました。
糸を染める釜から立つ蒸気の音だと、聴いてすぐに分かりました。
私が、生まれてから十三年、毎日聞いていた音でした。
二十二分ありました。
最後の三分は、機械が止まり、人が何か言い合い、それから、しんとします。
誰かがシャッターを下ろす音がして、終わりました。
小畑くんが録っていたのは、私が帰る場所の音でした。
※
司書の宮田さんが覚えていたこと
私は、川べりの図書館へ行きました。
建物はそのままで、中だけが新しくなっていました。
受付に、宮田さんがいました。
髪が白くなっていましたが、声は当時のままでした。
白いCDの話をすると、宮田さんは「ああ」と言って、天井を見上げました。
「あの子、三回来たのよ。三回とも断ったの」
「断った、って」
「視聴覚コーナーの機械はね、館の資料を移すためのものだから。個人の録音を焼くのは、本当は駄目なの」
「じゃあ、どうして」
「四回目に来たときにね、あの子、封筒に工場の名前を書いた紙を入れて持ってきたのよ。これは、この町の資料ですって」
宮田さんは、笑いながら少し目を伏せました。
「参ったわ。それを言われたら、司書としては断れない」
私は、そのとき初めて、小畑くんが何をしたのか分かりました。
あの子は、自分の気持ちを渡す言い訳を、四回考え直したのです。
※
なぜ十二月だったのか
宮田さんは、当時の受入台帳を出してきてくれました。
録音の日付は、十一月二十九日。
私の父の工場が、最後に機械を回した日でした。
小畑くんは、その日を知っていたのです。
「工場の人に頼み込んで、二階の窓の下に立たせてもらったって言ってた」
「一人で、ですか」
「一人でよ。冬の川風の中で、二十二分立ってたのよ」
あの子が泣いたのは、私がいなくなるからではなかったのだと思います。
いえ、それもあったのでしょう。
けれど、それ以上に。
録るなら、もう十日しかない。
そのことを、あの子は先に計算してしまったのです。
※
父が最後の日に言ったこと
施設に移る前の母に、十一月二十九日のことを聞きました。
母は、意外にはっきり覚えていました。
「あの日ね、お父さん、機械止める前に、みんなを外に出したのよ」
「外に、って」
「工場の外。道に並ばせてね、最後に一回だけ、全部の機械を回したの」
「なんで外なんですか」
「中におったら、自分の音しか聞こえんから。外で聞くと、屋根ごと鳴っとるのが分かるんやて」
録音の二十二分のうち、はじめの数分だけ、音が少し遠いのです。
その理由が、それでした。
小畑くんは、道に並んだ大人たちの後ろにいたのです。
子どもが一人、いちばん端で、機械を持って立っていた。
誰かが気づいたはずですが、誰も追い出さなかったのでしょう。
母に、その子のことを覚えているか聞きました。
母は少し考えて、こう言いました。
「中学の男の子が、寒いのに手袋もせんとおったのは、覚えとるわ」
「手袋」
「あんな寒いのに素手で。ボタン押すのに邪魔やったんやろね」
私は、そこで少しだけ泣きました。
二十六年ぶんの涙にしては、ずいぶん静かなものでした。
※
一つ上の欄
帰りぎわ、私は書庫に残っている古い本を一冊、見せてもらいました。
『日本の鳥』という図鑑です。
中学一年の五月に、私が借りた本でした。
父の工場の軒にツバメが巣を作って、それを調べたくて借りたのです。
後ろのポケットに、紙の貸出カードが残っていました。
五月十四日、私の名前。
五月十六日、小畑くんの名前。
次の本も、その次の本も、同じでした。
一つ上の欄には、いつも、私の名前がありました。
あの子は、私が返した本を、二日と置かずに借りていたのです。
あの癖は、癖ではありませんでした。
確かめていたのです。
この人が、ここまで読んだ、ということを。
そして自分の名前を、その一つ下に書いていました。
三年ぶんの本に、私たちの名前は、ずっと二段で並んでいました。
私が転校したあとも、一年だけ、小畑くんの名前だけが続いていました。
※
四回目の封筒
宮田さんは、もうひとつ教えてくれました。
小畑くんが四回目に持ってきた封筒には、工場の名前を書いた紙のほかに、もう一枚入っていたそうです。
返却期限の切れた、私の貸出カードの写しでした。
「あの子ね、これはこの町の資料です、って言ったあとに、こうも言ったの」
「なんて」
「この町から出ていく人にも、この町の資料を渡していいですか、って」
私は、返す言葉がありませんでした。
宮田さんは、カウンターの向こうで少し笑いました。
「司書って、そういうことを言われると弱いのよ」
「渡していいって、言ったんですか」
「言ったわよ。資料は、いる人のところへ行くのが仕事だもの」
あの子は、自分の気持ちを一度も気持ちのままでは渡しませんでした。
資料という形にして、断られない言い方を四回考えて、それでやっと渡したのです。
そして、盤面には何も書きませんでした。
名前も、日付も、曲名も。
白いままにしておけば、いらなければ捨てられると思ったのでしょう。
いちばん最後まで、あの子は私に逃げ道を残していました。
※
一年だけ続いた名前
書庫で見せてもらったカードには、まだ続きがありました。
私が転校した十二月のあと、小畑くんの名前だけが、一年ぶん並んでいます。
借りている本の傾向が、途中から変わっていました。
はじめは私が読んでいたのと同じ、鳥や星や川の図鑑です。
それが春を過ぎたころから、録音の本になっていました。
音の録り方、風の音を消す方法、機械の使い方。
宮田さんに聞くと、そのあたりの本は当時、館に三冊しかなかったそうです。
「三冊を、順番に、何回も借りてたわね」
「一年、ですか」
「そう。それでね、次の年の春に、ぱたっと来なくなったの」
あの子は、渡したあとで勉強を始めたのです。
私はそこで、順番を取り違えていたことに気づきました。
十一月二十九日にあの子が録った音は、上手な録音ではありません。
風が当たると、耳が痛くなるような音が入ります。
手が震えたのか、機械が二回、こつんと鳴ります。
あの子はそれを、あとから恥じたのでしょう。
もっとちゃんと録れる方法を、一年かけて調べたのです。
渡してしまったあとで。
もう二度と、同じ音は録れないと知っていて。
それが十三歳の男の子の一年です。
※
私が返しそこねていたもの
桐生から帰る電車の中で、私はずっと窓の外を見ていました。
自分がしたことを、順番に並べ直していました。
好きだと言われるのが怖かった、というのは、たぶん半分だけ本当です。
本当は、好きになるのが怖かったのだと思います。
転校が決まっていました。
好きになったら、行きたくなくなる。
行きたくないと言えば、父が困る。
父は工場をなくしたばかりでした。
十三歳の私は、たぶんそこまで分かっていました。
分かっていたから、名前をつけなかったのです。
名前のないものは、置いていけるからです。
ずるい子どもでした。
けれど、そのずるさで、私は父を困らせずに済ませました。
そして、その代わりに、一人の男の子を一ヶ月、無視しました。
どちらかを守るために、どちらかを傷つけたのです。
それは、大人になってからも何度もやってきたことでした。
あのCDは、私の癖のいちばん最初の記録でもあります。
※
盤面が白いままである理由
白い盤に、私は何も書き足しませんでした。
油性ペンを持って、三十分ほど迷いました。
日付を書こうかと思いました。
録音した日か、渡された日か、聴いた日か。
どれも違う気がして、やめました。
あの子は白いまま渡しました。
白いまま置いておくのが、たぶん、いちばん近い返事です。
いつか会うことがあったら、私はこう言うつもりでいます。
ごめんね、ではなく。
「二十二分、ぜんぶ聴いたよ」
それだけで足りるはずです。
あの子は、説明を求めなかった人でした。
※
言えなかった側にも理由がある
あの日、廊下で私を呼び止めた友だちに、去年、同窓会で会いました。
もう五十に近い男の人になっていました。
「あれ、小畑に頼まれたんじゃないんだ」
「え」
「あいつ、絶対言わないって決めてた。転校する奴に言うのは卑怯だって」
「じゃあ、なんで」
「見てられなかったんだよ。俺が勝手に言った。悪かったな」
私は、二十六年かけて、まちがった人を怖がっていたのでした。
そして、まちがった人が、まちがったことをしてくれたおかげで、いま私はここに立っています。
誰も悪くありませんでした。
ただ、みんなが少しずつ不器用でした。
※
返した翌日
小畑くんは、いまも桐生にいるそうです。
会いには行きませんでした。
会って言えることが、まだ見つからないからです。
その代わりに、私は市立図書館のカードを作りました。
住んでいるのは県外なので、旅行者用の短い期限のカードです。
それでも、本は借りられます。
いまはもう、紙の貸出カードはありません。
誰が前に読んだのかは、機械の中に隠れて見えなくなりました。
それでも私は、返すときに、少しだけ棚の前で待つようになりました。
返した翌日に、誰かが借りてくれるかもしれないからです。
白いCDは、いま、私の台所の棚に立てて置いてあります。
ときどき、洗い物をしながらかけます。
ガシャン、ガシャン、と、あの町の音が二十二分間鳴って、それから、しんとします。
そのしんとした三分が、私はいちばん好きです。
あの三分のあいだ、川風の中に、十三歳の男の子が立っています。
録音のボタンを押したまま、指を離せずに。
好きという気持ちに、私はずいぶん遅れて追いつきました。
遅れても、追いつけるものなのだと、いまは思っています。
もし同じように、名前のつけられない気持ちを押し入れにしまったままの方がいらっしゃったら、初恋の人や大切な幼馴染の話も、どうか読んでみてください。
私と同じ場所で立ち止まっていた人が、たぶん、ほかにもいます。