小銭を二度に分けて入れる子

小銭を二度に分けて入れる子

料金箱の前で、小銭を二度に分ける子

二十六年バスを運転してきて、いちばん長く覚えているのは、事故のことでも、無事故の表彰状のことでもありません。

朝の七時五十分の便に乗ってきた、制服姿の女の子のことです。

私は山口の下関で、唐戸から彦島へ渡る路線を長く担当していました。

関門海峡沿いの、朝は渋滞して、昼はがらがらになる路線です。

橋を渡るときだけ、車内がふっと明るくなります。

海の照り返しが窓から入ってきて、乗客の膝の上まで白くなるのです。

その明るさの中を、毎朝同じ二人が乗ってきました。

制服の男の子と、女の子です。

高校二年か三年か、そのくらいに見えました。

運転士というのは、後ろを見ているようで、実はほとんど見ていません。

見ているのはミラーの中の限られた四角と、料金箱の投入口だけです。

それでも二年も同じ便を持っていれば、常連さんの癖は覚えます。

あの子は、料金箱の前で、いつも小銭を二度に分けて入れました。

百円玉をまず一枚、投入口に落とします。

それから少し間を置いて、残りをまとめて落とします。

初めのころは、財布の中で小銭が指に引っかかっているのだろうと思っていました。

いまどきの子は電子マネーばかりですから、現金を扱い慣れていないのだろうと。

私はそのたびに、投入口の中を確かめるために、一度だけ目を落としていました。

詰まりやすい機械だったのです。

だから私はあの二年間、毎朝、決まって同じ場所で、同じだけ目を伏せていました。

※

この仕事を選んだ理由は、たいしたものではありません。

下関の造船が減って、父の勤め先がなくなった年に、私は高校を出ました。

大型二種を取れば食いはぐれないと、近所のおじさんに言われただけです。

実際、食いはぐれませんでした。

娘が二人いて、上の子は大学を出て広島に行きました。

下の子は市内で美容師をしています。

二人とも小さいころ、私の運転するバスに乗るのを嫌がりました。

友だちに父親だと知られるのが恥ずかしかったそうです。

それを聞いたとき、私は少しだけ寂しかったのですが、いまは分かります。

見られたくないことは、誰にでもあるのです。

※

朝の便には、それぞれの匂いがあります。

七時三十五分は制汗剤と食パンの匂いがして、七時五十分は少しだけ薬の匂いがしました。

湿布か、塗り薬か、そういう匂いです。

当時の私は、年配のお客さんが多いからだと思っていました。

いま思えば、あれはあの男の子の匂いでした。

毎朝、左の膝から下に何かを塗ってから家を出ていたのだと思います。

橋の上で窓を少し開けると、その匂いは海の匂いに消されます。

下関の朝は、潮とふぐの加工場の匂いが混ざります。

慣れない人には生臭いのでしょうが、私はあの匂いで一日が始まりました。

※

二人は、一本遅いバスに乗っていた

おかしいと思ったことが、ひとつだけありました。

あの二人が乗る七時五十分の便は、学校の始業にどう考えてもぎりぎりなのです。

ひとつ前の七時三十五分に乗れば、十分以上余裕があります。

同じ制服の子は、たいてい三十五分のほうに乗っていました。

一度、営業所の休憩室でその話をしたら、後輩に笑われました。

「そりゃ、寝坊でしょう」

私もそう思っていました。

あとから分かったことですが、違いました。

その路線は当時、新しい車と古い車が混ざって走っていました。

七時三十五分は古いほうです。

ステップが二段あって、床が高い車でした。

七時五十分だけが、床の低い新しい車でした。

ぎりぎりだったのではありません。

二人は、段が一段でも少ない便を、毎朝選んでいたのです。

※

「いえ、慣れてるだけです」

あの日のことは、天気まで覚えています。

六月の、朝から蒸す日でした。

海の色が鉛みたいで、フロントガラスの内側がすぐ曇りました。

三つ目のバス停で、車椅子の方が待っておられました。

六十代くらいの男性で、付き添いの方はいませんでした。

スロープを出すのは運転士の仕事です。

私は運転席を離れて、後ろの扉のところへ回りました。

この作業は、慣れていても二分ほどかかります。

朝の便で二分止まると、車内の空気が変わるのが分かります。

時計を見る人が出てきて、舌打ちが聞こえることもあります。

私はその朝も、少し身構えていました。

スロープを引き出そうとしたとき、横に人が立ちました。

あの女の子でした。

「持ちます」

それだけ言って、板の端を持ち上げました。

持ち方が、素人のそれではありませんでした。

板の重さを腰で受けて、車体との角度を先に合わせるのです。

二人でやると、あの作業は四十秒で終わります。

彼女は自分の鞄を、席に残った男の子にひょいと渡していました。

そして車椅子が車内に入ると、当たり前のように後ろに立って、固定ベルトが締まるまで手を添えていました。

橋を渡るあいだも、彼女は座りませんでした。

カーブでは車椅子の背に手を置いて、体で支えていました。

私はミラー越しに、その手だけを見ていました。

※

男性が降りるバス停の少し前で、後ろの席のお婆さんが彼女に話しかけました。

私はドアの音で聞こえなかったのですが、あとで常連のお客さんが教えてくれました。

「偉いわねぇ。ボランティアの人?」

彼女はしばらく返事をしませんでした。

それから、こう答えたそうです。

「いえ、慣れてるだけです」

耳まで真っ赤にして言ったので、お婆さんのほうが驚いていたと聞きました。

車椅子の方が降りたあと、彼女は自分の席に戻りました。

戻るときの歩き方が、少しだけ照れくさそうでした。

席に着いて、鞄を受け取って、それから男の子のほうへ体を寄せて、小さな声で何か言いました。

「褒められた」

そう言ったのだと、これも後ろの席のお客さんが教えてくれました。

男の子は、彼女の頭を二度だけ、ぽんぽんと軽く叩きました。

それだけの朝でした。

※

ひとつ、いまでも思い出すと胸のあたりが熱くなる場面があります。

あの朝、彼女がスロープの板を持ち上げたとき、私は反射的に「危ないけえ」と言いかけました。

制服の女の子に、二十キロ近い板を持たせるわけにはいきません。

言いかけて、やめました。

彼女の持ち方が、あまりにも正しかったからです。

膝を落として、板の重心を先に探して、それから腰で受けていました。

あれは、何十回もやってきた人の体の使い方です。

私は、その手を止める資格がないと思いました。

止めれば、彼女がそれまでに積み上げてきた時間を、なかったことにしてしまいます。

だから私は、黙って自分の側の端を持ちました。

二人で持ち上げると、板は驚くほど軽くなりました。

あのとき車内は、しんとしていました。

舌打ちも、時計を見る音もありませんでした。

橋の手前の信号で赤に捕まって、結局その日は五分の遅れになりました。

誰も、何も言いませんでした。

降りるお客さんが、いつもより多く「ありがとう」と言って降りていきました。

運転士をしていて、あんな朝は数えるほどしかありません。

※

あとで気づいたことがあります。

あの朝、彼女は自分の鞄を彼に渡しました。

荷物を預けるという、ただそれだけの動作です。

けれど、彼にとってはそうではなかったはずです。

杖をついている人に、荷物を持たせる人はあまりいません。

みんな、気を遣って持ちません。

彼女は、当たり前の顔をして持たせました。

あの二年間、彼が車内でいちばん胸を張っていたのは、たぶんあの四十秒だったと思います。

手伝ってもらう側でいる時間が長いほど、誰かの荷物を持てる時間は貴重になります。

彼女は、それを分かっていました。

だから、あの子は「慣れてるだけです」と言ったのだと思います。

慣れていたのは、介助にではありません。

誰かの誇りを、傷つけずに扱うことに慣れていたのです。

※

降りるところを、私は初めて見た

その日、私は珍しく、二人が降りるところを見ました。

ふだんは次の乗客の整理券を見ているので、降車口のミラーまでは追いません。

けれどその朝は、あの子の手のことが頭に残っていて、つい目で追ってしまったのです。

先に立ち上がったのは、女の子のほうでした。

それから男の子が、座席の背をつかんで、ゆっくり立ちました。

座席の脇に、細い杖が立てかけてありました。

男の子は左足を引きずるようにして、一段の段差に、ずいぶん時間をかけて足を下ろしました。

彼女は先に降りて、下から手を上げて待っていました。

触れてはいませんでした。

手を出す構えのまま、触れずに待っていたのです。

二人が歩いていくのを、私はドアを閉めずに見ていました。

後ろから、軽く咳払いが聞こえました。

私は謝って、ドアを閉めました。

なるほど、と思いました。

みなさんが期待するような話ではないのかもしれません。

ただ私は、あの朝からしばらく、運転席に座るたびにあの二人のことを考えるようになりました。

※

車椅子の男性のことも、少しだけ書いておきます。

沖本さんという方で、彦島の造船所で長く働いておられました。

あの日以来、週に二度ほど、同じ便に乗るようになりました。

最初のうち、沖本さんは私に何度も謝りました。

「運転士さん、すまんね。時間かかって」

「仕事ですけえ」

「わしのせいで、あんたが怒られるじゃろ」

実際、遅延の報告書は何度か書きました。

けれど営業所の所長は、一度もそのことで私を叱りませんでした。

所長も足の悪いお母さんを介護している人でした。

ある雨の朝、沖本さんが乗るとき、車椅子のタイヤが濡れてスロープで滑りました。

私が支えるより早く、後ろに並んでいた作業服の男性が板の端を押さえました。

その次の週は、別の人が押さえました。

そのまた次の週は、制服の男子生徒でした。

誰も声をかけ合ってはいません。

ただ、あの女の子がやったことを、みんな一度は見ていたのだと思います。

人は、やり方を見ないと動けません。

やり方さえ一度見れば、案外、動けるものなのです。

※

あの三秒の意味

小銭のことが分かったのは、それから半年ほどあとです。

年の暮れの、乗客の少ない昼の便でした。

彼女がひとりで乗ってきました。

私服だったので、最初は誰だか分かりませんでした。

降りるとき、彼女のほうから声をかけてきました。

「いつも、ありがとうございます」

私は思わず、運転士の癖で、頭を下げるより先に「毎度ありがとうございます」と言ってしまいました。

それから、聞いてみたのです。

「お金、いつも二回に分けて入れとるじゃろ。あれ、なんでな」

彼女は少しだけ困った顔をしました。

「気づいてました?」

「二年も見よったら分かるわいね」

彼女は、笑って言いました。

「運転士さんが、下を向いてくれるからです」

意味が分かりませんでした。

彼女の説明は、こうでした。

男の子は、降りるときにどうしても時間がかかります。

運転士がミラーで見ていると、彼は急ごうとして、必ず段でつまずくのだそうです。

見られていると分かった瞬間に、体が硬くなるのだと。

だから彼女は、先に降りて、料金箱の前でわざと小銭を詰まらせました。

運転士が投入口へ目を落とすのは、三秒ほどです。

その三秒のあいだに、彼は段を下ります。

誰にも見られていない三秒を、彼女は毎朝、私から借りていたのです。

あの三秒は、彼が段を下りるための三秒でした。

私の目は、毎朝、あの子に三秒だけ借りられていたのです。

※

私は、しばらく何も言えませんでした。

二十六年、私は乗客を安全に運ぶことだけを考えて運転してきました。

見ることが仕事だと思っていました。

見ないでいることが、誰かを助けることもあるのだと、その日初めて知りました。

彼女は最後にこう言いました。

「あの日、おばあちゃんに褒められて、うれしかったんです」

「そりゃ、褒められりゃ嬉しかろう」

「そうじゃなくて」

彼女は少し黙ってから、続けました。

「あの人の前で、堂々と手伝ったの、あの日が初めてやったんです」

それまでは、彼に気づかれないように手伝っていたのだそうです。

手を貸されるのを、彼が嫌がると思っていたからです。

あの朝、車椅子の方を手伝ったのは、他人のためでした。

他人のためなら、隠さなくてよかったのです。

そして、隠さずに動いた彼女を、彼は頭をぽんぽんと叩いて許しました。

あれは、褒めたのではなかったのだと思います。

もう隠さんでええよ、と言ったのだと思います。

※

営業所に戻って、私はその話を後輩にしました。

寝坊だと笑った、あの後輩です。

話し終わると、彼は缶コーヒーを持ったまま、しばらく黙っていました。

「先輩、それ、俺には無理ですわ」

「なんでな」

「俺、ミラー見よらんと落ち着かんのですよ」

正直な男です。

私だって、二十六年かけてやっと、見ないでいることを覚えたのです。

若いうちは、見ることが誠実さだと思ってしまいます。

その日から、彼も少しずつ変わりました。

いまでは、彼のほうが私よりうまくやっているそうです。

この前会ったら、こんなことを言っていました。

「先輩、投入口って、けっこう詰まりますね」

わざと詰まらせている子が、まだどこかにいるのかもしれません。

※

見ないでいるという仕事

それから私は、少しだけ運転の仕方を変えました。

降車に時間のかかる方が乗っておられるときは、ミラーから目を外すようにしたのです。

もちろん安全確認は別です。

見なければならないところは見ます。

ただ、見なくてもいいところを、なるべく見ないようにしました。

手すりを握り直している方の手元。

財布の中身を数えている方の指先。

降りたあとで、ゆっくり息を整えている方の背中。

そういうものを見ないでいると、車内の空気が少しやわらかくなります。

不思議なもので、こちらが見ないでいると、乗っている方どうしが助け合いはじめるのです。

誰かが見ていると、人は動きにくくなります。

とっさに自分の命綱を譲った男性の話を読んだとき、私はあの子のことを思い出しました。

とっさに動ける人というのは、それまでに何百回も、動かずに我慢してきた人なのだと思います。

あの子は二年間、毎朝三秒ぶんの我慢をしていました。

三秒を六百回積み上げて、あの朝の四十秒になったのです。

※

最後の便

私が定年を迎えたのは、それから七年後でした。

最終日の担当は、皮肉なことに朝の七時五十分の便でした。

営業所の連中が気を利かせたのだと思います。

制服はもう、ぱりっとしていませんでした。

私は始発の停留所で、いつもより丁寧に料金箱を拭きました。

橋を渡るとき、海の照り返しがいつものように車内を白くしました。

四つ目の停留所で、二人が乗ってきました。

すぐには分かりませんでした。

スーツ姿の男性と、薄手のコートの女性でした。

男性は、杖をついていました。

先に乗ったのは、男性のほうでした。

彼女は後ろで、鞄を二つ持って待っていました。

降りるとき、彼女は料金箱の前で、小銭を一度に落としました。

ちゃりん、と一回きりの音でした。

私は投入口を見ませんでした。

見なくても、詰まらないと分かっていたからです。

「運転士さん、今日で最後やて聞きました」

「よう知っとるね」

「営業所に聞きました」

彼女は、あの日と同じように耳を赤くして言いました。

「二年間、下を向いてくれて、ありがとうございました」

男性のほうが、深く頭を下げました。

それから、段を一段、自分の足で下りていきました。

彼女は先に降りて、下で手を上げて待っていました。

触れずに、待っていました。

七年前と、まったく同じ立ち方でした。

※

いま私は、週に二回だけ、公民館の送迎車を運転しています。

誰も座らない空席の話を読んでから、私は車内の一番前の席を、いつも空けておくようになりました。

足の悪い方が、迷わず座れるようにです。

座ってくださった方の顔は、なるべく見ません。

見ないでいるあいだに、その方は自分の速さで座ります。

それでいいのだと思います。

やさしさというのは、手を出すことばかりではないのだと、私はあの子に教わりました。

たった三秒、目を伏せていることでもいいのです。

みなさんが期待するような、劇的な話ではありません。

ただ私は、二十六年の運転士人生で、あの三秒がいちばん役に立った仕事だったと思っています。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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