再会と別れと、ありがとうの記憶

公開日: ちょっと切ない話 | 恋愛

恋人

三年前の春。

桜がほころび始めた頃、僕は人生を終わらせようと考えていた。

大きな理由があったわけじゃない。

失恋、借金、そして勤めていた会社の倒産。

すべてが重なって、世界が灰色に見えた。

人付き合いも得意ではなく、友人もほとんどいない。

両親とも疎遠で、ひとり狭い部屋に閉じこもる毎日だった。

最後くらい、美味しいものを食べよう。

そう思って、手元に残っていた一万円と数千円を握りしめた。

人生最後の晩餐。

当時の僕は、本気でそう考えていた。

近くのすき家で、精一杯たくさん注文して食べた。

贅沢にはほど遠いけれど、空腹の胃が少し満たされただけで、涙が出そうになった。

店を出た後、どうやって死のうか、そればかりを考えていた。

そんな僕の胸に、ふと浮かんだのは祖母の顔だった。

もう何年も会っていなかった。

就職してから忙しさにかまけて、一度も帰省していなかった。

できることなら、最後に祖母に会いたい。

でも、残ったお金では地元に帰る交通費すら足りない。

悩んだ末、テレビや家具などをすべて質に入れた。

ぎりぎりの金額で、夜行バスのチケットを手にした。

その夜、僕は数年ぶりに地元へ向かった。

到着した朝、懐かしい町の空気に胸が詰まった。

ところどころ変わっていたけれど、風景は昔のままだった。

自分がどれだけ情けないかを痛感しながら、祖母の家の前に立った。

玄関の戸を開けると、祖母がいた。

僕の姿を見るなり、涙をこぼしてこう言った。

「よー帰ってきた。何も言わんでよかけん、ゆっくりしていきんしゃい」

その一言が胸に刺さって、涙が止まらなかった。

祖母は、前よりもずっと小さくなっていた。

「美味しかもんば作るけん、ちょっと買い物してきてくれんか?」

言われた通り、近くの小さなスーパーに向かった。

レジを済ませて出口に向かう途中、突然肩を叩かれた。

振り返ると、女性の店員が微笑んで立っていた。

「あの、すいません。レジ通してない商品ありますよね?」

一瞬、言葉を失った。

でもすぐに、彼女はいたずらっぽく笑って言った。

「冗談よ!もしかして○○(僕の旧姓)くんじゃない? 私のこと覚えてる?」

そう言われても、思い出せなかった。

彼女は笑いながら名乗った。

「山本ゆき。小さい頃、よく一緒に遊んでたでしょ?」

その名前に、記憶の片隅がざわめいた。

少しずつ、断片的な思い出が蘇る。

幼い頃の面影を、彼女の笑顔の中に見つけた。

「懐かしか〜!よく覚えとったね!」

そう言いながらも、正直に言った。

「ごめん、思い出すまで時間かかった」

「まあ、仕方ないよ。私、美人になったしね!」

そう笑った彼女は、とても明るくて、眩しかった。

「もうすぐバイト終わるけん、ちょっと待ってて!」

それから20分後、彼女と再会を果たした。

「よし、行こっか!」

そのまま車に乗せられた僕の前に、もう一人の女性が現れた。

「久しぶりー康孝ー!」

西田(仮名)。遠い親戚で、昔よく一緒に遊んだ子だった。

三人でご飯に行き、懐かしい話に花が咲いた。

あの頃の記憶が、少しずつ心の奥から浮かび上がってきた。

二人の明るさに、僕の心も少しずつほどけていった。

彼女たちは今を精一杯生きていた。

僕だけが立ち止まっていたのだと気づかされた。

山本は人妻だったけれど、それでも気にせず、再会を喜んでくれた。

後日、山本と再び会った。

車で昔遊んだ場所を巡った。

「ありがとう。実は、色々あってさ……」

僕がそう言いかけると、彼女は遮った。

「よかよ。私だって色々あるし。まだやり直せるやん」

その言葉に、心が震えた。

その後、何度か会った。

彼女は離婚調停中で、辛さを隠して笑っていた。

僕もまた、心の奥にある痛みを打ち明けた。

互いの孤独が、自然と溶け合っていた。

一週間後、僕は地元を離れた。

まだやり直せる。

そう思わせてくれたのは、彼女だった。

日雇いやバイトを重ねながら、正社員の職を得た。

夜学にも通い、夢に向かって進み始めた。

山本は、離婚が成立し、一人暮らしを楽しんでいた。

そして二年後。

僕は、再び地元を訪れた。

思いを伝えるために。

「山本、俺と一緒になってくれ」

指輪を差し出すと、彼女は驚いた表情で笑った。

「嬉しいけど……もっといい人がいるって!」

そう言って、指輪を返された。

「でも、ありがとうね。本当に」

それが、山本に会った最後になった。

その後も、連絡は取り合っていた。

でもある日から、返事が来なくなった。

去年の秋、久しぶりに山本からメッセージが届いた。

「次はいつ帰ってくると?」

「年末に帰るよ!」

「楽しみにしとるよ!」

でも、急な予定で帰省は叶わなかった。

そして先月、時間を作って地元へ帰った。

山本は、もうこの世にはいなかった。

悪性リンパ腫。

治療は順調だったが、肺炎を併発して帰らぬ人となったという。

その事実を教えてくれたのは、西田だった。

山本は、僕には知らせないよう口止めしていたそうだ。

3年前、死を選ぼうとしていた僕を救ってくれたのは、山本だった。

たった数日の再会。

でもその時間が、僕の人生を変えてくれた。

あのとき、ばあちゃんに会いに行っていなければ——

彼女に、ありがとうを伝えたくて、今、これを書いています。

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