
龍之介はほとんど何も話さない子どもだった。
海辺の小さな幼稚園に赴任して三年目、わたしは年少クラスを受け持っていた。二十人いる園児のなかで、龍之介だけがいつも少し離れた場所に座っていた。朝の会で歌を歌うときも、口をかすかに動かすだけ。体を揺らしているから歌っていないわけではないのだが、声は聞こえなかった。
最初、わたしは自分が嫌われているのかと思った。他の子たちはわたしのスカートを引っ張り、「なな先生、みてみて」と駆け寄ってくる。でも龍之介は、わたしが近づくと少しだけ視線をずらした。話しかけると、小さくうなずくか、首を横に振るか、それだけだった。
担任の主任に相談したことがある。「あの子、わたしのこと苦手なのかな」と言うと、主任は少し笑って「違うと思うよ」とだけ答えた。何が違うのか教えてもらえなかった。そのときはその言葉の意味がわからなかった。
五月の連休明け、砂場で龍之介が転んだ。
両手をついたときに小石が刺さったらしく、少しだけ血が出ていた。駆け寄ったわたしが「痛かったね」と声をかけると、龍之介は泣くでもなく、ただじっとわたしを見た。その目があまりにも静かで、わたしのほうが胸を突かれた。
手当てをして絆創膏を貼っていると、龍之介がポケットから何かを取り出した。くしゃくしゃになった小さなハンカチだった。わたしの手についた砂を、彼は自分のハンカチで拭こうとした。うまく拭けなくて、なんどもなんどもこすった。白い布が薄茶色になっても、彼は手を止めなかった。
「ありがとう」とわたしが言うと、龍之介はまた小さくうなずいて、砂場に戻っていった。
それからも、龍之介はよく話す子にはならなかった。でも、わたしが部屋の端でクラスを見渡しているとき、ふと気づくと龍之介の視線がこちらに向いていることがあった。目が合うと、すぐそらす。でも嫌がっているようには、見えなかった。
龍之介にはいつも、スケッチブックがあった。
縦長の白い表紙に、名前のシールが貼られている。自由遊びの時間になると、決まってそれを取り出し、床に腹ばいになって何かを描いていた。何を描いているのか見せてくれたことは一度もなかった。近づくと、さっと閉じてしまう。
「絵が好きなんだね」とある日声をかけると、龍之介は少し考えてから、うなずいた。それがわたしたちの間では、長いほうの会話だった。
夏が来て、プール遊びの日が増えた。龍之介は水に入ることを怖がらなかった。一人、海水浴場で育ったような顔をして、水の中をじっと見ていた。砂場よりも、水のそばにいるときの龍之介は、どこか遠くにいるように見えた。わたしはそのたびに声をかけながら、でもあまり近づきすぎないようにしていた。距離を測るのがうまくない子だと思っていたけれど、今思えばわたしのほうが距離を測れていなかったのかもしれない。
秋が深まるころ、龍之介が突然来なくなった。
朝、欠席の連絡票が届いた。理由は「体調不良」。翌日も、その次の日も。一週間が過ぎたころ、主任から声をかけられた。「龍之介くんのお父さんから連絡があったの。急な転勤で、来月から関西に引っ越すんだって」
わたしは何も言えなかった。
ちゃんとお別れが言えなかった。最後の日も来なかった。転勤が決まったのが急だったようで、引っ越しの日程もすぐに迫っていると聞いた。一度だけ、おうちに電話をしたけれど、繰り返しコール音が鳴るだけだった。
その冬、気づくとわたしは龍之介のいた場所をよく見ていた。自由遊びの時間になると、部屋の端に目がいく。そこには誰もいなくて、床は午後の光だけが降りていた。年が明けて、節分が過ぎて、梅の花がほころびはじめても、その場所だけはわたしのなかで少し空いたままだった。
二月の終わりごろ、幼稚園に小包が届いた。
段ボールの小箱だった。宛名には「なな先生へ」と書かれていた。龍之介の名字と、知らない住所。大阪の消印。
開けると、中には手紙と、スケッチブックが入っていた。手紙は龍之介の母親が書いたもので、急な引っ越しになってしまったこと、息子がずっと先生に渡したいと言っていたこと、一言お礼を伝えたかったことが、きちんとした字で書かれていた。転勤先の新しい幼稚園でも元気にしていること、最後に少しだけ書き添えてあった。
わたしはスケッチブックをそっと開いた。
最初のページには、青い海が描かれていた。幼稚園の窓から見える海だとわかった。波が細い線でいくつも重なっていて、ずっと奥のほうに小さな船があった。
次のページには、給食の場面。並んだ四角いお盆と、丸い顔がいくつも。そのなかに一つだけ、エプロン姿の大きな人物が描かれていた。頭に丸いお団子のヘアピンをつけている。わたしのトレードマークだった。
ページをめくるたびに、見覚えのある風景が続いた。朝の会の輪、砂場、廊下の窓から見た運動場。どのページにも、必ずエプロンの人が一人、隅のほうにいた。わたしだった。
何かを喋っているわけでも、中心にいるわけでもない。でも確かに、どのページにも、いた。
ページは増えていく。五月、六月、七月。砂場で転んだと思われる場面もあった。エプロンの人が、小さな子の前にしゃがんでいた。
※
ある夜、一人で残業しながらわたしは次の日の活動案を書いていた。窓の外には海があって、波の音だけが聞こえた。龍之介はあの音を聞きながら育ったんだなと、なぜかそのとき思った。無口だったのは、もしかしたら、言葉よりも音のほうが先にあったからかもしれない。海辺の子は、波が喋るのを知っているから、人間の言葉は少しでいいのかもしれない。そんなことを考えたら、胸の奥で何かがゆっくりとほどけていくような気がした。
翌日、またスケッチブックを開いた。
一枚一枚、ゆっくりとめくった。秋の運動会の練習らしい場面があった。子どもたちが並んでいて、わたしが旗を持って立っている。旗には丸が描いてあった。太陽のつもりだろうか。どこかのコマには空が描かれていて、雲のかたちがやけにリアルだった。龍之介は空もちゃんと見ていたんだと思った。
最後から二ページ目に、横長の絵があった。
海を背にした幼稚園の建物。その前に、二人の人物が並んで立っていた。小さいほうと、大きいほうと。大きいほうはエプロンを着ていた。二人の間には手が描かれていた。つないでいるのかと思ったら、少し離れていた。ただ、並んでいた。
最後のページを開いたとき、わたしは声を失った。
白いページの真ん中に、大きな文字が書かれていた。まだ練習中の片仮名で、一文字ずつていねいに。
「ナナセンセイ、アリガトウ」
その日の放課後、職員室でわたしが泣いているのを、主任は何も言わずにそっとティッシュを置いていった。
※
春になって、また新しい子どもたちが来た。龍之介のいた場所には、今は別の子が座っている。
でも時々、自由遊びの時間に誰かが床に腹ばいになって何かを描いていると、わたしはしばらく遠くからそれを見ている。邪魔をしないように、でも、確かに見えるように。
棚の奥にしまったスケッチブックは、今もそこにある。
雨の日の昼休みに、こっそり一度だけ出して、最後のページをもう一度見る。毎年、春が来るたびにそうしている。
「ナナセンセイ、アリガトウ」
あの片仮名の文字は、今もすこしだけ、震えている。