おやじがかんなを渡した朝

温かい光と木の手道具

父とまともに話したのは、十三年ぶりだった。

それも、「これ、持っていけ」という一言だけだった。

かんなを受け取ったとき、正直なところ、どうしていいかわからなかった。

六月の終わり、僕は郵便局の集配車で坂の多い路地をのぼっていた。

灘の古い町は、酒蔵の白壁と住宅が入り混じって、妙に静かな昼過ぎだった。

その夏から、僕は担当エリアが変わり、父の暮らす地区を回るようになっていた。

最初はただの偶然だと思っていた。

でも、三日も続けて父の家の前の路地を通るうちに、これは避けることができないのかもしれないと感じ始めていた。

父の家はいつも静かだった。

玄関先には古い下駄と、使い込まれた作業靴が並んでいた。

植木鉢が二つ、几帳面な間隔で置かれていた。

母が亡くなってから、父が手入れするようになったものだと、姉から聞いていた。

配達を終えて車に戻ろうとしたとき、前田さんに声をかけられた。

七十過ぎのその人は、父の家から二軒先に住む人で、僕が子供の頃から顔を知っていた。

「あんた、清次さんの息子さんやろ」

振り返ると、前田さんがエプロン姿で立っていた。

「先月ね、お父さん、腰の手術したんよ。もう大工は無理やって」

僕は思わず「そうですか」とだけ答えた。

それ以上の言葉が出てこなかった。

「でもね」と前田さんが続けた。「毎朝縁側でかんなだけは磨いてはるわよ。もう使えへんのに、毎日毎日」

前田さんは少しだけ目を細めて、遠くを見るような顔をした。

「清次さんね、あなたのこと、よう話してはったんよ。手紙も書いたって言うてたけど、送ったかどうかは知らんけど」

車に戻ってから、しばらく動けなかった。

エンジンをかけるまでの間、ハンドルの上で手が止まったままだった。

手紙。

そんなものが来た記憶はなかった。

でも、受け取っていたとしても、僕は読まずに捨てていたかもしれない。

そう思ったとき、胸の奥がぎりっと痛んだ。

父と僕の間がおかしくなったのは、僕が高校を卒業するときのことだった。

父は一言だけ言った。

「大工を継いでくれ」

僕は「嫌だ」と言った。

それだけだった。それきり、二人の間の何かが壊れた。

父が怒鳴ったわけじゃない。泣いたわけでもなかった。

ただ、その日から父は僕に何かを頼まなくなった。

期待を向けることをやめたのだ、と子供心にもわかった。

それが却って辛かったが、僕には父の職人仕事の世界が眩しすぎた。

父は毎朝五時に起き、日が暮れるまで働いた。

腕のいい大工で、近所では名前が知られていた。

手で触れるものはすべて丁寧に扱った。

道具も、木も、仕事も。

そして、言葉というものを、ほとんど使わなかった。

僕が何かを相談しようとすると、「そうか」か「わかった」か、それだけだった。

褒めてもらった記憶がない。叱られた記憶もあまりない。

ただ、いつも黙って働いていた。

そういう父が、僕は怖かった。

近づき方がわからなかった。

うまく言葉にできないが、そこに踏み込む自信がなかった。

「古臭い」という言葉で自分の怖気を包んでいただけだと、ずっと後になって気がついた。

その日の夕方、僕は父の家の前に立っていた。

チャイムを押そうとして、三回も手を引っ込めた。

四回目に、ようやく押した。

しばらく待つと、父が玄関を開けた。

思ったより小さかった。

白髪が増えていて、腰をかばうように少し前傾みになっていた。

あの頃の、背筋をすっと伸ばして現場に立っていた父の姿と、重ならなかった。

「何しに来た」

それが父の第一声だった。

「配達の帰りです」と僕は答えた。

嘘ではなかったが、本当でもなかった。

父は黙って中へ通してくれた。

居間には、かんなが一丁、白い布の上に置いてあった。

木の台座に薄い刃が嵌まった、古いかんなだった。

台座の木は飴色に焼けていて、何十年も油と汗を吸ってきたのが伝わってきた。

その周りに、細かい木屑が一粒も落ちていなかった。

磨き上げられた道具を、丁寧に扱っている人の居間だった。

「見ていい?」と聞いた。

父は何も言わなかったが、止めなかった。

手に取ると、思ったより重かった。

表面はなめらかで、僕の手のひらにしっくりとなじんだ。

父はこれを毎日使ってきたのだな、と思った。

四十年近く、この道具と生きてきたのだと。

「腰、大丈夫ですか」

「まあ」

「仕事は」

「もうせん」

二人の間に、また沈黙が降りた。

窓の外で、風が酒蔵の白壁を渡っていく音がした。

どこかで風鈴が鳴り、遠くで子供の声がして、また静かになった。

「お前、飯は食ってるか」

突然、父が言った。

「食ってます」

「そうか」

それだけだった。

でも、そのたった一言に、僕は十三年分の何かを感じた。

ぶっきらぼうで、照れ隠しで、でも確かに心配していた。

父はずっとそうだった。

子供のころからずっと、言葉の代わりに行動で示してきた人だった。

雨の日に迎えに来てくれた帰り道も。運動会の前夜に弁当箱を磨いていた背中も。

全部、言葉ではなかった。

帰り際、父が「ちょっと待て」と言って奥へ消えた。

しばらくして、あのかんなを持って戻ってきた。

「これ、持っていけ」

「え、でも」

「どうせ俺はもう使えん。ゴミにするくらいなら、お前が持っとけ」

僕は受け取った。

断れなかった。断ってはいけない気がした。

玄関を出るとき、父は何も言わなかった。

ただ、扉が閉まるまで立っていた。

後ろ姿を見せずに立っていた。

それが父なりの、見送り方だった。

家に帰り、テーブルの上にかんなを置いた。

電気を点けて、もう一度じっくり眺めた。

台座の木目、刃の薄さ、台の裏面のなめらかさ。

なんの変哲もない道具に見えた。

でも、何度も手に取るほど、これを握ってきた人の時間が滲み出てくる気がした。

裏返したとき、気づいた。

持ち手の付け根のあたり、目立たない場所に、小さな文字が彫られていた。

「龍一 三歳の春」

息が止まった。

見間違いかと思って、もう一度見た。

確かに、僕の名前だった。

三歳の春、という言葉が、頭の中でゆっくりと広がっていった。

思い出した。

あの日のことを。

父が工具箱から小さなかんなを取り出して、「持ってみい」と差し出した日のことを。

僕は泣いた。重くて怖くて、嫌だと言って泣いた。

父は何も言わなかった。ただ、静かにかんなをしまった。

あの日から父はずっと、この文字を隠し持っていたのだ。

誰にも見せず、ただ毎日使いながら、この文字と一緒に仕事をしていた。

現場に持って行くたびに。

木を削るたびに。

息子に渡すために、ずっと持っていてくれた。

涙が出た。

こんなにあっさり出るとは思わなかった。

テーブルに置いたかんなを前に、僕はしばらく動けなかった。

父が四十年かけて削ってきたものを、僕はこれまで一度も見ようとしなかった。

「古臭い」と言った。「嫌だ」と言った。

父は何も言わなかった。ただ、この小さな文字だけを残していた。

その夜、父に電話した。

三回のコールで出た。

「おやじ、ありがとう」

電話の向こうで、父は一瞬黙った。

それから、低い声で言った。

「そうか」

それだけだった。

でもその二文字が、ずっと僕が欲しかった言葉よりも、ずっと温かかった。

「また来ます」と僕は言った。

「ああ」と父は言った。

それだけの会話だった。

でも、電話を切ったあと、部屋がほんの少しだけ明るくなった気がした。

かんなは今も、僕の机の上に置いてある。

使い方は知らない。削れる木もない。

でも毎朝、あの文字を確かめてから、仕事に出るようになった。

龍一、三歳の春。

父が三歳の僕に持たせようとした道具を、三十二歳の僕がようやく受け取った。

おやじが四十年かけて削ってきたものを、僕はまだ全部わかってはいない。

でも、受け取った。

それだけは確かだ。

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