最後の夢を叶えたサイン帳

サイン帳

ある日、ディズニーランドのインフォメーションに、一人の男性が暗い表情でやって来ました。

「あの……落とし物をしてしまって」

キャストが顔を上げて尋ねます。

「どういったものでしょうか?」

「サイン帳です。
子どもがミッキーやミニーのサインが欲しいって、園内のあちこちを回ってもらったものです。
あと少しでキャラクター全員のサインが揃うところだったんですが……」

インフォメーションに、そのサイン帳は届いていませんでした。

心当たりの場所にも片っ端から電話をしましたが、どこからも「届いていない」という返事ばかり。

「ご滞在はいつまででしょうか?」

「2泊3日のツアーなので、2日後のお昼には帰る予定です」

キャストは少し微笑み、こう答えました。

「では、この後もう少し探してみますので、お帰りの前にもう一度お立ち寄りください。
それまでには、きっと見つけられると思います」

男性からサイン帳の特徴を詳しく聞き、深く一礼して見送りました。

男性が去った後、キャストはさらに細かいエリアにも連絡を入れました。

サイン帳の情報を共有し、他のキャストにも協力を依頼します。

それは小さな宝物を探すような、大勢での一斉捜索でした。

けれど、どうしても見つかりません。

キャラクターのサインが並んだサイン帳――拾った誰かが、大切に持ち帰ってしまったのかもしれません。

2日後。

あの日の男性が、再びインフォメーションに姿を現しました。

「どうでしたか……?」

声は期待よりも諦めに近く、沈んでいました。

キャストは申し訳なさそうに、しかしゆっくりと言葉を選びます。

「大変申し訳ございません。全力で探しましたが、サイン帳は見つかりませんでした。……ですが、お客様」

そう言って差し出されたのは、一冊の新しいノートでした。

男性が開くと、そこにはキャラクターのサインがびっしりと並んでいます。

しかも全員分。

キャストは説明しました。

「同じサイン帳をお店で見つけました。
そして園内を回り、キャラクターたちにお願いして、一つひとつサインをいただきました」

男性は顔をくしゃくしゃにし、何度も何度もお礼を繰り返しました。

それから数日後。

インフォメーションに、一通の手紙が届きました。

『先日はサイン帳の件、本当にありがとうございました。

実は連れて来ていた息子は、脳腫瘍を患っておりました。
いつ大事に至ってもおかしくない状態でした。

息子は物心ついた時から、ディズニーが大好きでした。

「パパ、いつか絶対ディズニーランドに連れてってね」
毎日のようにそう言っていました。

私は「そうだね、行こうね」と答えながらも、もしかしたら約束を果たせないかもしれない――そんな不安が心を締め付けていました。

命は、あと数日で終わってしまうかもしれない。
だから、せめて今のうちに喜ばせてあげたいと思い、無理を承知で連れて行きました。

その息子が、ずっと夢に見ていた大切なサイン帳を落としてしまったのです。

息子の落ち込みようは、見ているのが辛くなるほどでした。

けれど、あなたが用意してくださったサイン帳を渡した時――
「パパ、あったんだね!ありがとう!」
と、息子は心から幸せそうな笑顔を見せました。

それから数日後、息子は静かにこの世を去りました。

最後までサイン帳を抱きしめ、
「ディズニーランド楽しかったね。また行こうね」
と、穏やかな声で繰り返していました。

もしあの時、あなたが新しいサイン帳を用意してくださらなかったら、息子はあんなにも安らかに旅立つことはできなかったと思います。

きっと息子は、ディズニーランドの星になったのだと思います。

あなたのおかげです。本当にありがとうございました』

手紙を読み終えたキャストは、その場で声を上げて泣き崩れました。

関連記事

家族の手(フリー写真)

いつかの日曜日

私が4歳の時、父と母は離婚した。 当時は祖父母と同居していたため、父が私を引き取った。 母は出て行く日に私を実家へ連れて行った。 家具や荷物が沢山置いてあって、叔母の…

浅草

母の秘密の願い

都会の喧騒とは異なる田舎の空気。 私はその中で母の日常を想像していた。彼女はいつも家のことに追われ、人混みの多い場所に足を運ぶことはなかった。私が東京に単身赴任してからも、母は…

ウェディングドレスを着た花嫁

大好きな娘へ

先日、俺の一人娘が嫁に行った。 目に入れても痛くない――。 そう自信を持って断言できるほど愛してきた、一人娘だった。 ※ 結婚式で娘は俺の前に立ち、はにかみな…

道場(フリー写真)

強い意志

半年程前に「強くなりたい」と相撲道場に入部して来た子。 はっきり言って運動神経も無く、体もひ弱です。 あまりここに書くのも憚られますが、とても切ない過去を持つ子供なんです。…

お手玉(フリー写真)

私のこと忘れないでね

遠い昔、私が小学4年生の頃の話です。 当時の僕は人見知りで臆病で、積極的に話しかけたりするのが出来ない性格でした。 休み時間、みんなは外に出て遊んでいても、僕は教室の椅子…

夏の部屋(フリー写真)

残された兄妹

3年前、金融屋をやっていたんだけど、その年の夏の話。 いつものように追い込みを掛けに行ったら、親はとっくに消えていたんだけど、子供が二人置いて行かれていた。 5歳と3歳。上…

キャンドル

もどれない過去と、隣にある幸せ

僕が会社を辞めたのは、24歳のときだった。 理由は、当時の上司の姿に未来の自分を重ねてしまったから。 彼は会社の駐車場で寝泊まりし、わずかに見られるのは子どもたちの寝顔だ…

南国の空

背中を押してくれた人

仕事でどうしようもないミスをしてしまい、次の日に出勤するのがどうしても嫌で、気持ちが塞ぎ込んでいた時のことだった。 家に帰る気にもなれず、仕事帰りに普段は使わない電車に乗って、…

結婚式の花嫁さん(フリー写真)

お父さんよりいい男

私の小さい頃の夢は、お父さんのお嫁さんになることでした。 お父さんに対して、嫌いと思ったことも嫌だと思ったこともありませんでした。 周りの友達よりもお父さんとは仲良しだった…

ハンバーグ(フリー写真)

幸せな食卓

結婚して子供が出来て、ホカホカした食卓にみんな笑顔で並んでたりして、時々泣きそうなほどの幸せを噛み締める。 荒みじんの玉葱が入ったでっかいハンバーグや、大皿一杯の散らし寿司。妻と…