
ある日、ディズニーランドのインフォメーションに、一人の男性が暗い表情でやって来ました。
「あの……落とし物をしてしまって」
キャストが顔を上げて尋ねます。
「どういったものでしょうか?」
「サイン帳です。
子どもがミッキーやミニーのサインが欲しいって、園内のあちこちを回ってもらったものです。
あと少しでキャラクター全員のサインが揃うところだったんですが……」
インフォメーションに、そのサイン帳は届いていませんでした。
心当たりの場所にも片っ端から電話をしましたが、どこからも「届いていない」という返事ばかり。
「ご滞在はいつまででしょうか?」
「2泊3日のツアーなので、2日後のお昼には帰る予定です」
キャストは少し微笑み、こう答えました。
「では、この後もう少し探してみますので、お帰りの前にもう一度お立ち寄りください。
それまでには、きっと見つけられると思います」
男性からサイン帳の特徴を詳しく聞き、深く一礼して見送りました。
※
男性が去った後、キャストはさらに細かいエリアにも連絡を入れました。
サイン帳の情報を共有し、他のキャストにも協力を依頼します。
それは小さな宝物を探すような、大勢での一斉捜索でした。
けれど、どうしても見つかりません。
キャラクターのサインが並んだサイン帳――拾った誰かが、大切に持ち帰ってしまったのかもしれません。
※
2日後。
あの日の男性が、再びインフォメーションに姿を現しました。
「どうでしたか……?」
声は期待よりも諦めに近く、沈んでいました。
キャストは申し訳なさそうに、しかしゆっくりと言葉を選びます。
「大変申し訳ございません。全力で探しましたが、サイン帳は見つかりませんでした。……ですが、お客様」
そう言って差し出されたのは、一冊の新しいノートでした。
男性が開くと、そこにはキャラクターのサインがびっしりと並んでいます。
しかも全員分。
キャストは説明しました。
「同じサイン帳をお店で見つけました。
そして園内を回り、キャラクターたちにお願いして、一つひとつサインをいただきました」
男性は顔をくしゃくしゃにし、何度も何度もお礼を繰り返しました。
※
それから数日後。
インフォメーションに、一通の手紙が届きました。
『先日はサイン帳の件、本当にありがとうございました。
実は連れて来ていた息子は、脳腫瘍を患っておりました。
いつ大事に至ってもおかしくない状態でした。
息子は物心ついた時から、ディズニーが大好きでした。
「パパ、いつか絶対ディズニーランドに連れてってね」
毎日のようにそう言っていました。
私は「そうだね、行こうね」と答えながらも、もしかしたら約束を果たせないかもしれない――そんな不安が心を締め付けていました。
命は、あと数日で終わってしまうかもしれない。
だから、せめて今のうちに喜ばせてあげたいと思い、無理を承知で連れて行きました。
その息子が、ずっと夢に見ていた大切なサイン帳を落としてしまったのです。
息子の落ち込みようは、見ているのが辛くなるほどでした。
けれど、あなたが用意してくださったサイン帳を渡した時――
「パパ、あったんだね!ありがとう!」
と、息子は心から幸せそうな笑顔を見せました。
それから数日後、息子は静かにこの世を去りました。
最後までサイン帳を抱きしめ、
「ディズニーランド楽しかったね。また行こうね」
と、穏やかな声で繰り返していました。
もしあの時、あなたが新しいサイン帳を用意してくださらなかったら、息子はあんなにも安らかに旅立つことはできなかったと思います。
きっと息子は、ディズニーランドの星になったのだと思います。
あなたのおかげです。本当にありがとうございました』
手紙を読み終えたキャストは、その場で声を上げて泣き崩れました。