最後の誕生日

誕生日

私が23歳だった頃のことです。

就職して1年目の冬で、ちょうど誕生日の日でした。

その日、職場の人たちが言ってくれました。

「誕生パーティーをしてあげる!」

嬉しかったし、断る理由もありませんでした。

会場まで取ってくれたらしく、私は浮き立つ気持ちのまま、家に電話を入れました。

「今日は遅くなるよ。

ごはんいらないから」

すると、電話口の父が、珍しく強い声で言いました。

「今日はみなさんに断って、早く帰ってきなさい」

私は耳を疑いました。

父は普段、穏やかで人に無理を言うタイプではありません。

「だって、もう会場も取ってもらったみたいだし。

悪いから行くよ」

そう返すと、父はさらに食い下がりました。

「とにかく今日は帰ってきなさい。

誕生日の用意もしてあるから」

その言い方が、妙に必死で。

私は「?」のまま、職場のみんなに頭を下げて、そそくさと帰宅しました。

家には、その春から肋膜炎で療養中の母と、電話に出た父がいました。

食卓の上には、スーパーで売っているような鶏もも肉のロースト。

そして、ショートケーキが三つ。

たったそれだけの、静かな誕生日の食卓でした。

その瞬間、私の心は感謝より先に、苛立ちに傾きました。

申し訳なさと、悔しさと、期待を裏切られた気持ちが一緒になって、言葉が荒くなりました。

「なんで、わざわざ帰らせたの!

私だって、みんなの手前、すごく申し訳なかったよ!」

今思えば。

あの日の私は、世界でいちばん大切な人に向かって、いちばん言ってはいけない口調で言ってしまいました。

父が何か言ったはずなのに、私は覚えていません。

それだけ、心が尖っていたのだと思います。

母は、黙って私を見ていました。

そして小さな声で言いました。

「ごめんね。

明日でもよかったね」

母の目は潤んでいました。

私は、言い過ぎた、と一瞬で分かりました。

分かったのに。

「ごめん」の一言が、どうしても口から出ませんでした。

私は黙ったまま、冷えかけた鶏肉とケーキをもくもくと食べました。

そして食べ終わると、何も言わず、自分の部屋に戻りました。

あの夜の空気の重さを、私は今でも思い出せます。

家の中が静かで。

時計の音だけが妙に大きくて。

自分の心臓の音が、責めるように聞こえていました。

それから二ヶ月後。

母の容態が急変し、入院しました。

仕事帰りに病院へ行くと、父がいました。

廊下の隅の、誰にも見られない場所で。

父は、私に向かって呟くように言いました。

「実はお母さんは、春からガンの末期だと分かっていたんだよ。

隠していて、ごめんね」

頭が真っ白になりました。

胸の奥が冷たくなって、息の仕方が分からなくなりました。

呆然としたまま家に帰り、私は母の部屋へ入りました。

引き出しの奥に、日記がありました。

読んではいけない、と一瞬思いました。

けれど、もう“普段の母”には会えないかもしれない。

その恐怖に背中を押されて、私はページをめくりました。

誕生日の日のページ。

そこには、短い一文が残っていました。

「○子に迷惑をかけてしまった」

その瞬間、何かが決壊しました。

私は声を上げて泣きました。

「違う。

迷惑なんかじゃない。

迷惑をかけたのは、私のほうだ」

そう思いながら、床に座り込んで泣きました。

「ごめんね」

何時間も、同じ言葉を繰り返して泣きました。

夜が明ける頃には、涙が出なくなっていました。

目は腫れて、頭はぼんやりしていて。

ただ、すごい耳鳴りだけが、ずっと鳴っていました。

それから四、五日後。

母は亡くなりました。

私は仕事をやめました。

父は看病を続けました。

そして、その父も数年前に亡くなりました。

今になって、何度も思います。

あの夜。

父が準備してくれた、ささやかな誕生日の食卓。

鶏肉のローストと、ケーキが三つ。

どうして私は、あれを“温かさ”として受け取れなかったのだろう。

どうして私は、感謝の言葉ひとつ言えなかったのだろう。

母にとっては、あれが最後の誕生日だったのに。

父にとっても、あれが最後の「家族の形」を守ろうとした夜だったのに。

あの日、私が欲しかったのは、派手なパーティーではなかったはずです。

ただ。

「帰っておいで」と言ってくれた父の声の理由を。

母が涙ぐみながら出した「ごめんね」の意味を。

私は、受け取れるだけの大人になれていなかった。

それでも。

こんな情けない自分でも。

私はまだ、生きています。

今も時々、あの三つのケーキを思い出します。

誰よりも私の誕生日を大切にしてくれた人たちが、そこにいたからです。

そして、もう二度と会えないからです。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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