
人は、別れの瞬間に何を遺し、何を抱えて生きていくのだろうか。
あの日の葬儀で、私はその答えの一つを娘から教えられた。
※
妻が亡くなる少し前のこと。
闘病中の妻は、娘と私に静かに言いました。
「私が死んでも、泣かないで」
その言葉から、ほんの数日後。
妻は静かに息を引き取りました。
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通夜の晩、私は会場で妻に付き添い、当時まだ高校生だった娘には家に帰ってもらいました。
翌朝、葬儀の時刻が近づいても、娘はなかなか現れません。
心配していたところ、ギリギリになって会場の扉を開けて入り込んできました。
その姿を見て、私は思わず眉をひそめました。
娘の髪が、肩まであったはずなのに、短く切られていたのです。
「何も、こんな時に美容室に行かなくてもいいだろう」
叱るように言うと、娘は平然と答えました。
「お洒落なママとのお別れじゃん」
その言葉に返す言葉もなく、気まずい空気のまま葬儀は始まりました。
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そして、葬儀も終盤。
棺の中の妻に花を手向ける時、娘がそっと歩み寄りました。
手にしていたのは、切ったばかりの自分の髪の束。
それを、花と一緒に妻の手元に添えました。
「お母さん、これからも一緒にいるよ」
その一言で、私の胸の奥に押し込めていた感情が一気に溢れ出しました。
妻との約束を守るために、泣くことを必死にこらえてきたはずなのに。
「……ずるい」
声を震わせた私に、娘は泣きながら顔を押し付けてきました。
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その瞬間、私たちは同じ淋しさの中で心を重ねたのだと思います。
妻との約束は果たせなかったけれど、娘と共に生きていく覚悟を、確かに胸に刻みました。
そして今も、あの短く切られた髪は、私の記憶の中で静かに揺れている。
それは「一緒に生きていく」という、娘と私の約束の証なのです。