娘になった君へ

夫婦の後ろ姿

俺が結婚したのは、20歳のときだった。

相手は1歳年上の妻。
学生結婚だった。

二人とも貧乏で、先の見えない毎日だったけれど、
それでも毎日が幸せだった。

結婚して2年ほど経ったある日、妻の妊娠がわかった。

俺は飛び跳ねるほど嬉しかった。

「無茶しないで」と言う妻の言葉も聞かず、
次の日には大学を辞め、
叔父の会社にコネで就職させてもらった。

やる気に満ちあふれ、
『これからは家族のために生きるんだ!』
と心から思った。

今振り返れば、単純すぎるほど一直線だったと思う。

でも、その幸せは長く続かなかった。

ある日、交通事故の知らせが届いた。

妻はお腹の子と一緒に、即死だった。

その後のことは、今でもあまり覚えていない。

医者に掴みかかって殴ってしまったこと。
妻を轢いた車の弁護士を、同じように殴ったこと。

断片的に覚えてはいるが、
現実感のないまま、葬儀だけは済ませた。

手続きを終え、数日だけ実家で休み、家に戻った。

それからの俺は、ただ生きていた。

日付の感覚もない。
テレビも見ず、ただ米を炊いて、食べるだけ。

鬱だとか、落ち込んでいるとか、
そういう自覚すらなかった。

心も頭も、どこか遠くに行ってしまっていた。

夜中に、突然涙がこぼれることがあった。
けれど、それすら理由がわからなかった。

指をカッターで軽く切っては放置する、
今思えば明らかに危ういことも繰り返していた。

友人や親が心配して電話をくれていたらしいが、
俺にはその記憶もほとんどなかった。

そんな状態が、半年近く続いた。

ある日、夢を見た。

詳しくは覚えていないが、
ひたすら誰かに謝っていたような気がする。

目が覚めたとき、
目の前に小さな女の子が座っていた。

夢かと思った。

でも、彼女ははっきりと俺を見つめ、言った。

「大人なんだから、ちゃんとしなきゃだめなんだよ!」

一瞬、妻のお腹の子が化けて出たんだと思った。

そのとき初めて、
俺は本当に、妻と子供が死んだのだと実感した。

心臓がバクバクと脈打ち、汗が噴き出し、
まさに死ぬかと思うほど混乱した。

そのとき、隣の家の奥さんが飛び込んできた。

「すみません!この子、勝手に入っちゃって…!」

ようやく現実が戻ってきた。

目の前の女の子は、隣の家の子だった。

妻が生きていた頃、よく話しかけていた子。

俺がドアを開けっぱなしにしていたのを見て、
部屋に入ってきたのだった。

幽霊なんかじゃない、ちゃんと生きた人間だった。

その瞬間、心の中で何かがほどけた。

俺はその子にしがみついて泣きじゃくった。

「すいません」と「ありがとう」を
交互に繰り返しながら、ただただ泣いた。

後から聞いた話によると、
隣の家のご夫婦は、俺のことをずっと心配してくれていたらしい。

そして、その娘さんも両親の会話を聞いていた。

自分が何とかしようと、励ましに来てくれたのだ。

本当にすごい子だ。

その日を境に、俺はカウンセリングに通いはじめた。

2ヶ月後には職場復帰もできた。

届けも出さずに休んでいた俺を、
「休職扱いにしてある」と言ってくれた叔父には、
言葉にならないほど感謝している。

隣のご夫婦とも、さらに親しくなった。

毎朝「旦那が起きないから起こして」と呼ばれ、
朝ごはんをご馳走になる日々が続いた。

俺の周囲の人間は、
みんな神様みたいに優しかった。

俺は救われた。

そしてようやく、
妻と子供の死を、きちんと悲しむことができた。

その女の子が、先月結婚した。

(今ではマイホームを建てて引っ越したけれど、今でも交流がある)

「親戚が少ないから」と言って、
結婚式に招待してくれた。

親族紹介の後、二人きりで少しだけ話す時間があった。

俺は少し照れて、
「お前も18で結婚なんて、もったいねぇな」
なんて冗談を言った。

すると彼女は、ニッと笑って、

「寂しいの?あんた(笑)」

と返してきた。

俺は思わず言ってしまった。

「寂しいよ!」

「俺は、お前に救われた。
お前のお父さんとお母さんにも救われた。
だから、お前のことが大好きだ。
だから、寂しいんだ!」

そう言って、また号泣してしまった。

30も過ぎた男が、花嫁の前でヒックヒック泣いてる。
本当に恥ずかしかった。

でも、彼女も泣いていた。

俺たち二人が泣いているのを見て、
新郎側の人たちはきっと驚いたと思う。

親でも親戚でもない男と、花嫁が肩を震わせて泣いているんだから。

俺は今でも独り身だけど、
彼女が困ったら、何があっても助けようと思っている。

口に出しては言わないけど、
俺にとって彼女は、もう本当の「娘」だ。

――俺の二人目の子供だ。

ありがとう。
本当に、ありがとう。

どうか、いつまでも幸せに。

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