
俺が結婚したのは、20歳のときだった。
相手は1歳年上の妻。
学生結婚だった。
二人とも貧乏で、先の見えない毎日だったけれど、
それでも毎日が幸せだった。
※
結婚して2年ほど経ったある日、妻の妊娠がわかった。
俺は飛び跳ねるほど嬉しかった。
「無茶しないで」と言う妻の言葉も聞かず、
次の日には大学を辞め、
叔父の会社にコネで就職させてもらった。
やる気に満ちあふれ、
『これからは家族のために生きるんだ!』
と心から思った。
今振り返れば、単純すぎるほど一直線だったと思う。
※
でも、その幸せは長く続かなかった。
ある日、交通事故の知らせが届いた。
妻はお腹の子と一緒に、即死だった。
その後のことは、今でもあまり覚えていない。
医者に掴みかかって殴ってしまったこと。
妻を轢いた車の弁護士を、同じように殴ったこと。
断片的に覚えてはいるが、
現実感のないまま、葬儀だけは済ませた。
手続きを終え、数日だけ実家で休み、家に戻った。
※
それからの俺は、ただ生きていた。
日付の感覚もない。
テレビも見ず、ただ米を炊いて、食べるだけ。
鬱だとか、落ち込んでいるとか、
そういう自覚すらなかった。
心も頭も、どこか遠くに行ってしまっていた。
夜中に、突然涙がこぼれることがあった。
けれど、それすら理由がわからなかった。
指をカッターで軽く切っては放置する、
今思えば明らかに危ういことも繰り返していた。
友人や親が心配して電話をくれていたらしいが、
俺にはその記憶もほとんどなかった。
そんな状態が、半年近く続いた。
※
ある日、夢を見た。
詳しくは覚えていないが、
ひたすら誰かに謝っていたような気がする。
目が覚めたとき、
目の前に小さな女の子が座っていた。
夢かと思った。
でも、彼女ははっきりと俺を見つめ、言った。
「大人なんだから、ちゃんとしなきゃだめなんだよ!」
一瞬、妻のお腹の子が化けて出たんだと思った。
そのとき初めて、
俺は本当に、妻と子供が死んだのだと実感した。
心臓がバクバクと脈打ち、汗が噴き出し、
まさに死ぬかと思うほど混乱した。
※
そのとき、隣の家の奥さんが飛び込んできた。
「すみません!この子、勝手に入っちゃって…!」
ようやく現実が戻ってきた。
目の前の女の子は、隣の家の子だった。
妻が生きていた頃、よく話しかけていた子。
俺がドアを開けっぱなしにしていたのを見て、
部屋に入ってきたのだった。
幽霊なんかじゃない、ちゃんと生きた人間だった。
その瞬間、心の中で何かがほどけた。
俺はその子にしがみついて泣きじゃくった。
「すいません」と「ありがとう」を
交互に繰り返しながら、ただただ泣いた。
※
後から聞いた話によると、
隣の家のご夫婦は、俺のことをずっと心配してくれていたらしい。
そして、その娘さんも両親の会話を聞いていた。
自分が何とかしようと、励ましに来てくれたのだ。
本当にすごい子だ。
※
その日を境に、俺はカウンセリングに通いはじめた。
2ヶ月後には職場復帰もできた。
届けも出さずに休んでいた俺を、
「休職扱いにしてある」と言ってくれた叔父には、
言葉にならないほど感謝している。
隣のご夫婦とも、さらに親しくなった。
毎朝「旦那が起きないから起こして」と呼ばれ、
朝ごはんをご馳走になる日々が続いた。
俺の周囲の人間は、
みんな神様みたいに優しかった。
俺は救われた。
そしてようやく、
妻と子供の死を、きちんと悲しむことができた。
※
その女の子が、先月結婚した。
(今ではマイホームを建てて引っ越したけれど、今でも交流がある)
「親戚が少ないから」と言って、
結婚式に招待してくれた。
親族紹介の後、二人きりで少しだけ話す時間があった。
俺は少し照れて、
「お前も18で結婚なんて、もったいねぇな」
なんて冗談を言った。
すると彼女は、ニッと笑って、
「寂しいの?あんた(笑)」
と返してきた。
俺は思わず言ってしまった。
「寂しいよ!」
「俺は、お前に救われた。
お前のお父さんとお母さんにも救われた。
だから、お前のことが大好きだ。
だから、寂しいんだ!」
そう言って、また号泣してしまった。
30も過ぎた男が、花嫁の前でヒックヒック泣いてる。
本当に恥ずかしかった。
でも、彼女も泣いていた。
俺たち二人が泣いているのを見て、
新郎側の人たちはきっと驚いたと思う。
親でも親戚でもない男と、花嫁が肩を震わせて泣いているんだから。
※
俺は今でも独り身だけど、
彼女が困ったら、何があっても助けようと思っている。
口に出しては言わないけど、
俺にとって彼女は、もう本当の「娘」だ。
――俺の二人目の子供だ。
ありがとう。
本当に、ありがとう。
どうか、いつまでも幸せに。