
三十年間、俺は夜を走り続けた。
タクシーの運転手だった。二十二歳で業界に入り、最初の数年は昼勤もやったが、すぐに夜勤専門になった。割増料金がつくからだ。結婚して、子供ができて、家のローンを抱えて、夜勤の割増は生活を支える柱だった。
夕方五時に家を出て、翌朝の五時に帰る。妻の洋子は朝六時に起きてパートに出る。俺が帰る頃には洋子は台所にいて、すれ違いざまに「おかえり」と言ってくれる。俺は「ああ」と答えて、風呂に入って寝る。洋子が帰る頃には俺はもう家を出ている。
朝の光の中にいる洋子と、夜の街灯の下にいる俺。同じ家に暮らしながら、俺たちはいつも別の時間を生きていた。
そういう暮らしが、三十年続いた。
※
定年まであと三年残っていたが、膝を悪くして退職を決めた。最後の乗務を終えた日、営業所のロッカーを片付けた。ロッカーの中には替えのワイシャツと、栄養ドリンクの空き瓶と、うがい薬があった。三十年の証がこれだけかと思うと、少し寂しかった。
家に帰ると、洋子がいつもの場所に座っていた。居間の、テレビの前の座椅子。膝に毛糸の籠を載せて、何か編んでいる。
「おかえり。お疲れさま」
「ああ。終わった」
それだけだった。三十年の最後の日が、こんなに静かだとは思わなかった。花束もない。乾杯もない。洋子はいつも通りの夕飯を出して、いつも通りの時間に「おやすみ」と言って寝室に行った。
俺は居間に一人残って、缶ビールを開けた。テレビの音を聞きながら、明日から何をすればいいのか分からなかった。
※
退職して三日目、やることがなかった。
洋子はパートに出ていて、家には俺だけだった。ソファに座っても落ち着かない。テレビをつけても頭に入らない。三十年間、夜になれば車に乗っていた体が、この静けさを受け入れられずにいた。手持ちぶさたに台所の蛇口を磨き、靴を並べ直し、庭の雑草を三本抜いた。それでもまだ午前十時だった。
何か片付けでもしようと思い、押入れを開けた。奥に段ボール箱がいくつか重なっている。引っ越しのときに入れたまま一度も開けていない箱もある。埃を被ったアルバム、子供の成績表、結婚式の招待状の束。
その中に、一冊の古いノートが挟まっていた。
表紙はえんじ色で、角が折れて毛羽立っている。開くと、最初のページに手描きの地図が広がっていた。
見覚えがあった。
洋子が描いたものだ。三十二年前、まだ付き合い始めたばかりの頃に。
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地図はA4のノートの見開きいっぱいに描かれていた。右上に「ふたりの地図」と、洋子の丸い字で書いてある。字はところどころインクが滲んでいて、定規は使わずフリーハンドで描いてある。洋子らしい、少し不器用で、でも丁寧な線だった。
中央に俺たちが住んでいた町の駅が描かれていて、そこから線が四方に伸びている。線の先には場所の名前が書いてあり、それぞれに丸い印がついていた。
赤い丸と、青い丸。
赤い丸のそばには日付が添えてある。「1996.5.3 海岸沿いの喫茶店」「1996.8.14 花火大会」「1996.12.24 駅前のケーキ屋」。付き合い始めた年の記録だった。二人で行った場所。初めてのデートは海沿いの小さな喫茶店で、洋子はメロンソーダを頼んで、俺はブレンドコーヒーを頼んだ。午後の光が窓から差していて、洋子のメロンソーダが緑色に光っていた。あの日のことを、俺は今でも覚えている。
赤い丸は翌年も続いていた。「1997.3.21 梅の寺」「1997.10.12 山の展望台」。結婚する前の二年間に、赤い丸は二十三個あった。月に一回は、どこかに出かけていたということだ。
結婚後、赤い丸は急に減った。「1998.5.5 動物園(三人で)」。長男が生まれた年だ。「2000.4.2 桜のトンネル」。それから四年空いて、「2004.8.15 妻の実家の裏山」。
そこで赤い丸は途切れていた。二〇〇四年を最後に、一つも増えていない。二十年以上の空白だった。
※
青い丸は、赤い丸よりずっと多かった。
「この湖の見えるペンション」「紅葉の渓谷の吊り橋」「夕陽が海に沈む岬」「雪の棚田」「菜の花の線路沿い」——洋子が行きたかった場所が、地図の上のあちこちに散らばっている。どれも丁寧に名前が書いてあり、切り抜いたガイドブックの写真が貼ってあるものもあった。写真は日に焼けて茶色くなっていたが、糊で丁寧に貼り直した跡がある。何度も開いて、眺めていたのだろう。
青い丸の横にも日付が書いてある。ただし赤い丸と違って、これは行った日ではなかった。
「2001年、あなたに連休が取れたら行こうと思った」
「2005年、子供たちの手が離れたら行こうと思った」
「2011年、あなたが昼勤に戻ったら行こうと思った」
「2016年、退職したら二人で行こうと思った」
「2022年、まだ体が動くうちに行きたい」
小さな字で、洋子はずっと書き加え続けていたのだ。青い丸を描いた日付ではなく、「いつ行けるかもしれない」と思った年を。そのたびに状況が変わり、計画は先送りになり、また新しい年が書き足される。希望と諦めが交互に重なった、三十年分の独り言だった。
どの青い丸にも、行った日の記録はなかった。
三十年間、一つも叶っていなかった。
※
最後のページをめくった。
余白に、洋子の字でこう書いてあった。
「このノートをいつか見つけてくれたら嬉しいです。青い丸の場所、全部じゃなくていいから、一つだけでも一緒に行けたら。それだけで私は十分です」
日付はなかった。いつ書いたのか分からない。ただインクの色が途中で変わっていたから、何度かに分けて書き直したのだと思う。最初は薄い青で、それがボールペンの黒に変わり、最後の一行だけ鉛筆だった。書いては消し、消しては書き、ためらいながら残した言葉なのだと分かった。
「一つだけでも」。
俺はノートを膝の上に置いたまま、しばらく動けなかった。
三十年、俺は夜の街を走り続けた。酔客を送り、急患の家族を病院に届け、終電を逃したサラリーマンを自宅まで運んだ。何千人もの客を目的地まで届けた。誰かの大切な場所に、誰かを送り届けるのが俺の仕事だった。
たった一人、隣にいた人を、どこにも連れて行かなかった。
※
洋子がパートから帰ってきたのは午後三時だった。
玄関で靴を脱ぎながら、「何かあった?」と聞いた。俺の顔に何か出ていたのだろう。
「洋子」
「ん?」
「土曜、空いてるか」
「空いてるけど。どうしたの急に」
俺はノートを開いて、青い丸を一つ指さした。山間の村にある、棚田を見下ろす小さな展望台。洋子が二十五年前に切り抜いたガイドブックの写真が、少し黄ばんで貼ってある。
「ここ、行こう」
洋子は、ノートを見て目を丸くした。それからゆっくり両手で口を覆って、何度か瞬きをした。
「……見つけたの」
「ああ。遅くなった」
洋子は首を横に振った。涙が一筋、頬を伝った。でも笑っていた。泣きながら笑う顔を見るのは、何年ぶりだろう。結婚式の日以来かもしれなかった。
「遅くないよ。全然遅くない」
※
土曜の朝、俺は車のエンジンをかけた。助手席に洋子が座った。膝の上に、あのノートを載せている。朝の光が車内に差し込んで、洋子の横顔を照らしていた。
ナビは使わなかった。洋子が地図を見ながら道を教えてくれた。「次の信号を左」「あの山の方に向かって」。三十二年前に描いた地図を頼りに、二人で知らない道を走った。
窓を開けると、山の空気が入ってきた。春の匂いがした。道端に菜の花が咲いている。田んぼには水が張られ始めていて、空を映してきらきら光っていた。
洋子が助手席で、小さな声で言った。
「やっぱり、あなたの運転が好き」
三十年間、何千人もの客を乗せてきた。だが助手席に洋子が座ったのは、何年ぶりか思い出せなかった。バックミラーに映る洋子の横顔を見て、俺は思った。
青い丸は、まだたくさんある。一つずつ、赤い丸に塗り替えていこう。
今日からの時間で、全部。