
俺は今年三十歳になった会社員だ。毎朝、出勤前に母が握ったおにぎりを食べていた。子どもの頃からずっとそうだった。あの温かくて、どこか塩辛くて、米の粒がほのかに甘い感じ。それは毎朝当たり前にあるものだった。朝食のテーブルに置かれたおにぎりは、空気と同じくらい自然で、俺の目に入っていなかった。
高校生の時、俺はツナマヨが好きになった。一日中それのことを考えて、朝食の時間が待ち遠しかった。ある朝、テーブルに置かれたおにぎりをかじると、懐かしい梅干しの酸っぱさが広がった。「あ、ツナマヨじゃなかった」と思ってそのまま食べた。その時も、母の顔はいつもの通りだった。何も言わずに、台所に向かっていく背中だけが見えた。
大学に進学して、俺は鮭のおにぎりにはまった。朝が遅い時期もあった。テスト前は帰宅時間も不規則だった。それでも、俺が帰る時間に合わせて、母はおにぎりを握っていた。時には夜中に帰っても、ラップに包まれたおにぎりが冷蔵庫に入っていた。さっぱりとした塩鮭。俺の口の中に合う、完璧な塩加減。当時の俺は、それが完全に自分の好みだと思い込んでいた。母がいつもの通りに準備しているのだと。
会社員になってからも何も変わらなかった。朝六時に起床、六時三十分に出発。その五分前には、母が握ったおにぎりがテーブルの上にあった。時には梅干し、時には昆布、時には鮭。時には唐揚げを入れたおにぎりもあった。その頃、俺は仕事で疲れていて、朝食さえ満足に見ていなかった。おにぎりをかじって、牛乳を飲んで、玄関を出る。その繰り返しだった。
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母が倒れたのは、二月の雨の日だった。脳卒中だと医者は言った。左半身に麻痺が残った。リハビリが必要だと聞かされた。その時、初めて俺は気づいた。毎朝のおにぎりがないこと。朝起きて、テーブルが空いていること。それがどれほど違和感を感じさせるか。
病院に見舞いに行った時、俺は何を話していいのか分からなかった。母のベッドの横に座って、母の顔を見た。口元が少しゆがんでいた。麻痺のせいだと医者は説明した。母の目は俺を見ていたが、何かを失ったような色をしていた。
「ごめん、俺は何ももしてなかった」と言いたかった。でも俺は何も言わず、ただ母の手を握った。温かかった。でも何か頼りなく感じた。
退院して自宅に帰った母を見ると、昨日までの母ではなかった。台所に立つ時間が少なくなった。リハビリで疲れるからだ。それでも、母は朝早く目を覚ました。習慣とは恐ろしいもので、母の身体は朝五時に目を覚ます。その時、母の顔には悔しさが浮かんでいた。
その朝、俺は突然思い立った。俺が握ったおにぎりを、母に食べさせよう。そう決めて、台所に立った。
米を炊くところから始まった。普段、何気なく食べていたおにぎりがどれほど手間がかかるものなのか、その時になって気づいた。米を炊く時間。塩を用意する時間。具を準備する時間。そして、握る時間。
塩を湿らせて、温かい米の上に置く。ゆっくりと握った。母のように力を入れずに。でも、ご飯が崩れてしまった。もう一度試した。今度は力を入れすぎた。三回目。四回目。五回目。ようやくできたおにぎりは、綺麗な三角形ではなく、歪んだ形をしていた。でも、それでいいと俺は思った。
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母のベッドの横に座った。俺の握ったおにぎりを、母の前に置いた。母の目が瞬いた。そして、ゆっくりと首が動いた。
「何ですか?」と母が言った。まだ言葉も少し難しい。でも、ちゃんと俺に聞きかえしてくれた。
「俺が握った。母さんの好きな梅干しで」
母の手がゆっくりと伸びた。麻痺しているはずの左手も、一緒に動こうとしていた。その手がおにぎりを握った。そして、口に運んだ。
かじった。母の顔が動いた。ゆがんだ口が、もう一度かじった。そして、母の目から涙が落ちた。
「おいしいね」と母は言った。声は震えていた。「おいしいね」
その時、初めて俺は気づいた。今まで毎朝食べていたおにぎりは、単なる食べ物ではなかったのだ。それは母の心そのものだった。毎朝、毎朝、俺のために握られた愛情だった。俺の好みが変わるたびに、静かに具を変えていた母。俺の朝寝坊に合わせて、夜中にでも握っていた母。そしてリハビリで疲れた身体で、それでも朝早く目を覚ましていた母。
俺は涙が止まらなくなった。おにぎりを握る母の手。その手で握られた無数のおにぎり。子どもの時から今日まで。それがどれほど重かったのか。どれほど大切だったのか。その時に、初めて俺は知った。
母は俺のおにぎりを食べながら、何度も「おいしいね」と繰り返した。塩辛すぎる部分もあるし、具の入り方も下手だった。でも、母はそれを気にしなかった。ただ、息子が握ったおにぎりを食べて、涙を流しながら喜んでくれた。
その日から、俺は毎朝、母のためにおにぎりを握ることにした。最初はぎこちなくて、何度も失敗した。でも、その繰り返しの中で、俺は初めて気づいた。毎朝の小さなその行動が、どれほど相手を思うことに満ちているのか。
母のおにぎりの具が、いつ変わったのか。今では俺にも分かる。母が俺の心を見ていたから。毎日、毎日、俺を観察して、俺の好きなものを知ろうとしていたから。
俺は今、毎朝、母のためにおにぎりを握る。彼女ができたら、その日から彼女のためにも握るのだろう。そして子どもが生まれたら、その子のためにも握るのだろう。母がそうしていたように。無言で。静かに。朝の暗い台所で。
毎朝のおにぎり。それは愛の継承だったのだ。俺は今、それを知った。もっと早く気づきたかった。でも、遅くはない。今からでも、母のおにぎりのように、俺も誰かのために握ることができるのだ。
その日から、俺の人生は変わった。朝早く起きることが苦ではなくなった。台所に立つことが、喜びになった。母が何十年もの間、毎朝繰り返してくれたその行動が、今はっきりと見えるようになった。
会社の同僚に「毎朝何をしているんですか」と聞かれた。俺は「おにぎりを握っている」と答えた。彼らは笑った。でも、俺は笑わなかった。なぜなら、これはもう、単なる食事の準備ではなく、俺の人生そのものだからだ。
母の病室での生活は、緩やかに進んでいった。リハビリの成果も少しずつ見えてきた。母はもう前ほど悔しそうな顔をしなくなった。それは、俺がおにぎりを握るようになったからかもしれない。あるいは、母が自分の息子が成長したことに気づいたからかもしれない。
母は時々、俺がおにぎりを握っている姿を見つめていた。そして、首をかしげた。「何を思っているのか」と俺は聞いたことがある。母は「あなたが子どもの時のあなたを見ている」と答えた。
そう。あの朝。母がテーブルに置いたおにぎりをかじって、気もなく学校へ行った。その時の俺。その俺が、今、母のためにおにぎりを握っている。時間は確実に流れ、そして俺たちも変わった。
※
三ヶ月が過ぎた。母はようやく杖を使って歩けるようになった。まだ病院通いは続いているが、自宅にいる時間が増えた。俺は毎朝、母のために握ったおにぎりを、母の好きな朝日が入る窓際のテーブルに置いた。
「梅干しでいい?」と俺が聞くと、母は時々「今日は塩鮭がいい」と言った。それを聞く度に、俺は思った。母は、俺の好みを知ろうとした。同じように、俺も母の好みを知ろうとしなければならないのだと。
一年が過ぎた時、母は杖なしで歩けるようになっていた。俺たちは一緒に近所を散歩した。初めてのことだった。母は俺の腕にもたれかかった。その腕は、毎朝おにぎりを握る腕。その腕が、母を支えていた。
人生の中で、人の役に立つということを、俺は初めて実感した。毎朝のおにぎり。その小さな行為が、母の顔に笑顔をもたらしていた。
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今朝も、まだ暗い台所で、俺は米を握った。塩の加減を確かめながら。具の位置を確認しながら。そして母の笑顔を想像しながら。
「おいしいね」
その一言のために。その涙のために。そして、母が俺のために毎朝握ってくれたおにぎりのために。俺は、これからもずっと、おにぎりを握り続けるのだろう。
母のおにぎりの具が変わっていたことに、俺はずっと気づかなかった。でも、今はそれでいい。その気づきが遅かったから、今、俺はこうして握っているのだから。時間は失われたのではなく、形を変えただけなのだ。
親から子へ。子から孫へ。その連鎖は、毎朝の小さな行為の中に、確かに存在している。俺がそれを握った時、その歴史は繰り返されるのだ。