誕生日に休みを取った朝
朝の六時に目が覚めて、まず隣の布団を見ました。
娘はまだ眠っていました。
今日でこの子は四つになります。
妻が逝って、七ヶ月が経ちました。
私は工場の仕事を一日休みました。
島根の斐川という、田んぼの中に家がぽつぽつと建っている土地です。
どの家も北と西に杉を植えて、風よけの垣にしています。
築地松と呼ばれるもので、うちのは祖父が植えたそうです。
冬の風がその杉に当たると、ごうっという低い音がします。
妻は嫁いできた年、その音が怖くて眠れなかったと言っていました。
三年目には、その音がしないと落ち着かないと言うようになりました。
※
その晩、私は仏壇のケーキを下げるとき、皿の下に敷いた紙の裏を見ました。
パン屋の名前が印刷してあるだけの紙です。
それでも、何か書いてないかと探している自分がいました。
何も書いてありませんでした。
当たり前です。
それでも、探してしまうのです。
※
先週から泣かなくなった
妻が亡くなってからしばらく、娘は毎日泣いていました。
「ママにあいたい」
「ママかえってこないの」
夕方になると決まって始まりました。
私は抱いて背中を叩くくらいしかできませんでした。
泣かれるのはつらいのですが、泣いているうちは、まだ助けられている気がしていました。
ところが先週あたりから、ぱったりと泣かなくなったのです。
夕方になっても、テレビを見て笑っています。
保育園の先生にも訊きましたが、変わりありませんとのことでした。
保育園には、妻が入院した年から世話になっています。
担任の松江先生は、若い方ですが、よく見ていてくださいます。
迎えに行くと、その日の様子を必ず二つ三つ教えてくれるのです。
「今日は砂場でトンネル掘っとりました」
「今日はお昼寝のとき、隣の子の背中をとんとんしとりました」
先週、私は思い切って訊いてみました。
泣いていませんか、と。
先生は少し考えて、答えました。
「泣かれるお子さんですよ。でも、うちでは一度も泣かれません」
妙な言い方だと思いました。
泣く子だとわかっているのに、園では泣かない。
そのときは、行儀のいい子なのだろうと受け取りました。
私は正直、ほっとしていました。
そして、そのほっとした自分が少し嫌でもありました。
※
丘の上の墓地で
朝のうちに、二人で妻の墓に行きました。
小高い丘の上にあって、上まで登ると、出雲平野の田んぼが一面に見えます。
丘へ上がる道は、途中から石段になります。
四十段ほどですが、四歳の足には長い階段です。
娘は数えながら登りました。
「いち、に、さん、し」
四まで数えて、また一に戻ります。
五からがわからないのではありません。
保育園では十まで数えられます。
それなのに、この階段では四で戻る。
私は不思議に思いながら、後ろから見ていました。
石段の脇には彼岸花の枯れた茎が残っていて、風で細かく揺れていました。
娘は自分で花を持つと言い張って、途中で二回落としました。
墓石に水をかけて、線香に火をつけました。
風が強くて、三本目でようやく点きました。
娘は手を合わせたあと、私のほうを向いて言いました。
「四歳になったからね、もうおねえさんだから泣かないよ」
それから、少し得意そうに続けました。
「ばあばと約束したんだ」
そして墓石から離れて、空に向かって思い切り叫びました。
「ママーっ!いつでも帰ってきてねぇ!!」
丘の下の田んぼまで届きそうな声でした。
健気な姿が、涙で歪みました。
私は娘に背を向けて、線香の煙のほうを見ているふりをしました。
※
ばあばは知らないと言った
帰りに、妻の実家に寄りました。
出雲市の、駅から少し離れた住宅地です。
義母は娘に赤飯を用意して待っていてくれました。
玄関で靴を脱ぎながら、私は何気なく言いました。
「お義母さん、この子と約束されたそうで」
義母は顔を上げて、きょとんとしました。
「約束?」
「泣かんようになる約束を、ばあばとしたと言うもんで」
義母はしばらく考えて、はっきり首を振りました。
「うちは、そんな約束しとらんよ」
私は笑って流しました。
四歳の子の言うことです。
ばあばと言ったつもりで、保育園の先生のことかもしれません。
その日はそれで終わりました。
ただ、台所で赤飯をよそう義母が、途中で一度だけ手を止めたのを、私は見ていました。
※
誕生日の夜、ケーキは近所のパン屋で買いました。
四号の小さいもので、蝋燭が四本ささっていました。
娘は火を消す前に、両手を合わせました。
「なにお願いした?」
「ないしょ」
そう言って、ふうっと一息で消しました。
四本とも、きれいに消えました。
皿にケーキを分けるとき、娘は自分の分を切る前に、小さいほうの一切れを離して置きました。
「これ、ママの」
私は何も言わずに、仏壇へ運びました。
戻ってくると、娘はもう自分の分を半分食べていました。
泣いていませんでした。
※
四までしか数えなかった手
妻の入院は、去年の秋から始まりました。
松江の病院で、車で四十分ほどかかります。
娘を連れて行けるのは週に二度でした。
病室に入ると、娘はまず窓のほうへ走ります。
窓から、駐車場の車が見えるのです。
「あれ、とうちゃんの」
白い軽トラックを指さして、毎回同じことを言いました。
妻はそのたびに笑って、「よう見えるねえ」と言いました。
面会の時間は短くて、いつも三十分ほどで切り上げました。
帰り際、妻は必ず娘の手を握って、指を一本ずつ数えました。
「いち、に、さん、し」
四まで数えて、五は数えません。
「五は、こんど」
私はそれを、ただの遊びだと思っていました。
四つになる日まで、という意味だったと気づいたのは、ずっとあとです。
※
湯を少し足す癖
娘には、いつからか癖がついています。
あの子は、風呂に入るとき、必ず湯を少し足します。
私が入れた湯加減で十分なはずなのに、蛇口をひねって、しばらく出しっぱなしにするのです。
最初は水道代のことが気になって、注意したこともありました。
「もったいないけん、やめとき」
「うん」
返事はいいのですが、次の日にはまた足しています。
先週から、娘は一人で風呂に入るようになりました。
四歳になったら一人で入ると、前から言っていたのです。
私は脱衣所に椅子を置いて、そこで待つことにしました。
声が聞こえる場所にいれば、大丈夫だろうと思ったのです。
※
湯の音が二回強くなった
誕生日の夜のことです。
赤飯で腹がふくれて、娘は先に風呂へ入りました。
私は脱衣所の椅子に座って、洗濯物をたたんでいました。
戸の向こうから、いつものように湯を足す音がしました。
しばらくして、それが止みました。
それから、もう一度、蛇口が開きました。
風呂場の戸の向こうで、湯の音が、二回だけ強くなりました。
私は洗濯物を持ったまま、動けませんでした。
音の合間に、細い声が混じっていたからです。
泣き声でした。
湯の音は、泣き声を消すためのものでした。
娘が泣かなくなったのではありません。
泣く場所を、決めていたのです。
私は声をかけませんでした。
かけたら、この子は次から、もっとうまく隠すと思ったからです。
※
その夜、娘が風呂から上がったあと、私は脱衣所にしばらく座っていました。
床のタイルが冷たくて、それがかえってありがたかった。
翌朝、娘はいつも通りに起きてきて、パンにジャムを塗れと言いました。
私は塗りながら、何気なく訊きました。
「風呂、熱かった?」
娘はスプーンを見たまま答えました。
「ちょうどよかった」
それだけです。
私は何も言いませんでした。
この子は、自分の決めたことを守っているのです。
守っているものを、こちらから壊す権利はありません。
ただ、そのぶん、私が湯を足す係になればいいと思いました。
※
妻の教え方
次の日、私はもう一度、義母に電話をかけました。
湯の話をすると、義母はしばらく黙っていました。
そして、言いました。
「それは、あの子が教えたんじゃないかね」
妻は入院中、娘が帰ったあとの十分だけ、泣くと決めていたそうです。
義母が付き添っていた日に、一度だけ見たと言いました。
面会の終わりに娘が手を振って出ていく。
その足音が廊下の角を曲がるのを待って、妻はカーテンを引いた。
「時間を決めとけば、あとは平気になるけん、って言うとったよ」
妻は娘に、泣くなとは一度も言わなかったそうです。
かわりに、泣くところを決めなさいと教えていた。
四つになったら、お風呂で泣きなさい、と。
「ばあばと約束した、って言うたんは、あんたに気をつかったんじゃろ」
ママと言えば、私が黙ってしまう。
四歳の子は、それを知っていたのです。
※
義母が台所で手を止めた理由も、あとでわかりました。
電話の最後に、義母はぽつりと言ったのです。
「赤飯な、あの子が好きじゃったけん」
あの子というのは、娘ではなく妻のことでした。
妻の四歳の誕生日にも、義母は赤飯を炊いたそうです。
三十年以上前の話です。
「同じもんを、また炊くとは思わんかった」
義母は電話の向こうで、少しだけ笑いました。
笑い方が、妻とよく似ていました。
私はそのとき初めて、義母も泣く場所を決めている人なのだと思いました。
この家系の女の人は、みんなそうなのかもしれません。
※
遠くへ届く声と近くへ届く声
墓前で娘が叫んだ声のことも、義母から聞きました。
妻は娘に、こんなことを言っていたそうです。
「大きい声は遠くまで届くけん、近くの人には小さい声でええよ」
言われてみれば、娘は私に対して、いつも小さい声で話します。
保育園では大きな声で歌うのに、家では耳を寄せないと聞こえないことがある。
私はそれを、父親に遠慮しているのだと思っていました。
違いました。
あの子の中では、私は近くにいる人だったのです。
だから小さい声で足りる。
丘の上で空に向かって叫んだのは、ママが遠くにいるからでした。
あの子は、距離で声を使い分けていたのです。
四つの子が、そんなことを守り続けていたと知って、私はしばらく仕事になりませんでした。
娘の望みという話を読んだことがありますが、子どもは大人が思うよりずっと先に、大人の都合を読んでいるのだと思います。
※
四で戻る数え方
石段のことを、私は義母への電話のついでに話しました。
四まで数えて、また一に戻る。
義母は、ああ、と短く声を出しました。
「それも、あの子じゃろ」
病室で妻が娘の指を数えるとき、いつも四で止めていました。
五は、こんど。
娘はその数え方を、ママと一緒にやる数え方だと思っていたのです。
だから、ママのところへ行く階段では、その数え方をする。
保育園では十まで数え、丘の石段では四で戻る。
使い分けているのです。
声の大きさと同じでした。
この子は、誰と一緒にいるかで、やり方をぜんぶ変えている。
その一つひとつが、妻から預かったものでした。
私は電話を切ってから、事務所の椅子で少しだけ肩を落としました。
泣きはしませんでした。
やはり、場所を決めていないからだと思います。
※
私は泣く場所を決めていなかった
正直に書きますが、私は妻が亡くなってから、一度も声を出して泣いていません。
泣けないのではなく、泣き方を忘れたような感じです。
葬式の日も、香典の受け取りと座席の割り振りばかり考えていました。
火葬場の待合で、親戚が「しっかりしとるね」と言いました。
褒め言葉のつもりだったと思います。
私はうなずいて、お茶を配りました。
あの日から、私は自分の泣く場所を決めていません。
決めていないから、どこでも泣けないのです。
四歳の娘のほうが、よほど先を行っていました。
※
作業日報の備考欄
うちは自動車の整備工場です。
父から継いで、私で二代目になります。
妻は結婚してから、工場の事務をしていました。
伝票を書き、部品を発注し、毎日の作業日報をまとめる。
入院してからも、月に一度は日報の綴りを病室へ持ってこさせていました。
「私も何か書いとこうかな」
そう笑った数日後に、妻は逝きました。
私は七ヶ月、その綴りを開いていませんでした。
開けば伝票の字が出てくるとわかっていたからです。
誕生日の翌週、私はようやく事務所の棚から綴りを下ろしました。
最後の頁の備考欄に、鉛筆で一行だけありました。
「四つ、たのむね」
それだけです。
日付は、亡くなる四日前でした。
工場には、父の代からいる辻さんという古い工員がいます。
六十を過ぎて、まだ毎朝いちばんに来ます。
綴りの話をすると、辻さんは工具を置いて言いました。
「奥さん、あの綴りな、最後の三ヶ月は自分でホチキス留めしとりんさった」
事務のパートさんに任せず、病室から戻すときに、必ず自分で綴じ直していたそうです。
「なんでですかね」
「そりゃ、開いてほしかったんじゃろ」
辻さんはそれだけ言って、また作業に戻りました。
妻は、私が七ヶ月綴りを開かないことまで見越していたのかもしれません。
それでも、いちばん最後の頁に書いた。
いつか開いたときに、いちばん先に目に入る場所です。
私はその頁をコピーして、財布に入れています。
※
湯を足すのは私の役
その週の土曜日、私は娘に言いました。
「今日は一緒に入ろうか」
娘は少し困った顔をしました。
「おねえさんだけん、一人で入る」
「じゃあ、父ちゃんが湯を足す係になる」
娘はしばらく考えて、うなずきました。
それから毎晩、私は脱衣所の椅子ではなく、風呂場の戸の前に立つことにしました。
娘が入っているあいだ、蛇口をひねるのは私の役目です。
湯の音がしているあいだ、あの子は何を言ってもいい。
泣いてもいいし、ママと呼んでもいい。
私はただ、湯を足しています。
戸の向こうで、時々、声が混じります。
私はそのたびに、少しだけ蛇口を大きく開けます。
※
妻へ
今、娘は隣で昼寝をしています。
寝顔だけは、まだ三つの頃と変わりません。
頬に、風呂で使った石けんの匂いが残っています。
妻よ。
君と俺の愛する娘は、四つになりました。
泣かなくなったのではなく、泣く場所を決めた子に育っています。
それを教えたのが君だと知って、俺は少し悔しく、そして助かりました。
俺一人では、そんなことは思いつきませんでした。
この先、この子が湯を足さなくてよくなる日が来るのかどうか、わかりません。
来なくてもいいと思っています。
足したいだけ足せばいい。
水道代くらい、父ちゃんが働きます。
だから心配しないで、見守っていてください。
天国の妻からの手紙のように、はっきりした言葉が残っていたわけではありません。備考欄の六文字だけです。それでも十分でした。
先日、築地松の剪定を頼みました。
この土地では、松を刈る職人のことを陰手刈りと呼びます。
年に一度、梯子をかけて、風の当たる面を整えていくのです。
職人さんが上から声をかけてきました。
「この松、下のほうだけ切ってないねえ」
言われて見上げると、確かに、人の背丈より下の枝だけが残っています。
祖父の代からそうしているのだと思っていました。
あとで父に訊くと、違いました。
妻が、下の枝は残してくれと頼んでいたそうです。
子どもが庭で泣いたとき、隠れる場所がいるから、と。
まだ娘が生まれる前の話だと聞きました。
※
今夜も、築地松が鳴っています。
妻が最後まで好きだった音です。