
うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた頃、家にはカメラなんてなかった。
だから母さんは、その代わりに色鉛筆で俺の姿を描いて、アルバムみたいにしてくれていた。
絵は決して上手とは言えない。
でも、どうにかして俺の成長を形に残したかったんだと思う。
仕事と家事の合間をぬって、母さんはほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命スケッチしていた。
布団の上で泣いている顔、ミルクを飲んでいる顔、寝返りを打とうとしている中途半端なポーズ。
どの絵も、少し歪んでいて、でもどれも俺だった。
絵の隣には、母さんの字でコメントが書き込まれていた。
「キゲンが悪いのかな??」
「すやすや眠ってます?」
「今日は初めて声を出して笑いました」
拙い文字と文末の「?」マークから、母さんの戸惑いと喜びがにじんでいた。
※
小学校四年生のある日、友達数人が家に遊びに来た。
かくれんぼの途中で、押し入れを勝手に開けた友達が、奥にしまってあったそのアルバムを見つけてしまった。
「なにこれ、写真じゃなくて絵じゃん!」
「しかもヘタクソ!」
「貧乏だからカメラも買えないんだろ?」
ページをめくるたびに、馬鹿にした笑い声が部屋に響いた。
顔がかっと熱くなって、恥ずかしさと悔しさで頭の中が真っ白になった。
友達が帰ったあと、俺はすぐに押し入れからアルバムを三冊引っ張り出した。
一枚一枚に母さんの時間と気持ちが詰まっていることは、頭のどこかで分かっていた。
それでも、さっきの笑い声が耳から離れなくて、怒り半分、情けなさ半分で、アルバムをバラバラに破いてゴミ箱に放り込んだ。
※
パートから帰ってきた母さんが、ゴミ箱の中の紙切れを見つけた。
破れた絵と、ちぎれたコメント。
最初、母さんは何が起こったのか分からないような顔をしていた。
事情を話すと、母さんはふっと目を伏せ、そのままぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「ごめん、ごめんね」
俺が悪いのに、謝っていたのは母さんの方だった。
友達に笑われたこと、貧乏を馬鹿にされたこと、情けなさと罪悪感が一気にこみ上げてきて、何も言い返せなかった。
その夜、母さんはいつもより口数が少なかった。
でも怒鳴りつけることもせず、ただ黙って夕飯を作り、いつも通り「おやすみ」と言って部屋の電気を消した。
※
翌朝、目を覚まして居間に行くと、母さんがテーブルの上で何かをしていた。
ゴミ箱から拾い集めた絵の破片を、一つひとつ丁寧に並べ直し、セロハンテープで貼り合わせていたのだ。
切れ目だらけで、ところどころ欠けている絵。
でも母さんは、その一枚一枚をまるで本物の写真みたいに、大事そうに扱っていた。
「恥ずかしい思いさせて、ごめんね」
母さんは申し訳なさそうに、でもとても優しい声でそう言った。
「でもね、これ、母さんの宝物なんよ」
破れた絵を撫でながら、そうつぶやいた母さんの横顔を、俺は今でも忘れられない。
胸の奥がぎゅっと締めつけられて、視界がにじんだ。
「ごめんなさい」
気づいたら、俺は声を震わせながら何度も謝っていた。
自分が恥ずかしかったのは、貧乏なことでも、絵が下手なことでもなく、誰よりも俺のことを思ってくれていた母さんの気持ちを、簡単に踏みにじってしまった自分自身だった。
※
大人になった今、あのときのアルバムは、もう元の形には戻っていない。
テープだらけのページが、押し入れの奥でひっそり眠っている。
それでも、ときどき実家に帰ると、母さんは照れくさそうにそれを取り出してくる。
「ほら、あんた、こんな顔して泣きよったんよ」
そう言って見せてくれる色鉛筆の赤ん坊は、相変わらず少し歪んでいて、でもどれも確かに“俺”だ。
カメラはなかったかもしれない。
けれど、あの絵の一枚一枚の中に、母さんがどれだけ俺を見つめてきたかが刻まれている。
あの日、破り捨てようとしたのは、写真ではなく、母さんの愛そのものだったのだと、今なら分かる。
あのときの「ごめんなさい」は、これから先もずっと言い続けたい。
そして同じくらい、こうも伝えたい。
あの色鉛筆のアルバムを残してくれて、本当にありがとう、と。