
私は一人暮らしを始めて十四年になる。その間ずっと、毎日同じ道を歩いた。川沿いの桜並木の道。朝六時に家を出て、その道を歩く。帰り道も、その道を通る。雨の日も、雪の日も、嵐の日も。
犬がいたから。小さなシーズーのこのコ。名前はハナ。十四年間、毎日ハナと一緒に歩いた。
最初に拾ったのは、ちょうどこの道を歩いていた時だった。小さな子犬が、ダンボール箱に入っていた。雨が降っていた。夜中だった。私は帰り道にそのコを見つけて、拾った。病院に連れていった。獣医は言った。「もう一週間早ければ、危なかったでしょう」
私は、その子を飼うことにした。それは、運命だと思ったから。
ハナは成長した。最初は手のひらに乗るほど小さかったのに、やがて私の腿くらいの高さになった。かわいい目をした犬。毎日、毎日、そのコは私と一緒に川沿いの道を歩いた。季節が移ろっていく。春の桜。夏の緑。秋の紅葉。冬の雪。
朝六時。この時間は、川沿いが最も静かだ。犬のハナと私と、時々ランナーくらい。そして桜の季節には、花びらがまだ暗い朝の空から落ちてくる。ハナは那朝の花びらを、楽しそうに追いかけた。
十年が過ぎた。ハナは大人になった。この朝の散歩が、私たちの日常。帰り道も同じだ。一人で歩くことは、もう考えられなかった。
十二年が過ぎた頃、ハナは老いてきた。動きが遅くなった。散歩の距離も短くなった。でも、毎日欠かさず歩いた。川沿いの桜並木。その道は、ハナと私の唯一の共有の場所だった。
同僚たちは言った。「もう散歩しなくていいでしょう。老いた犬なのだから」でも、私はやめられなかった。朝六時に目を覚まして、ハナのリードを手に取ることが、私の人生そのものだったから。
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十四年が過ぎた。ハナは今年、十四歳になった。犬の年齢に直すと、ほぼ百歳に近い。動きはゆっくりになり、一日のほとんどを寝て過ごすようになった。散歩に出ても、五分で疲れた。十分で戻りたいと、その目で訴えた。
獣医は言った。「長くはないでしょう」でも、具体的には言わなかった。どれくらいなのか。一週間か。一ヶ月か。それとも、もう数日か。そんなことは、誰にも分からない。
冬が終わろうとしていた。春がやってきた。川沿いの桜が、つぼみを膨らませ始めた。毎年、この季節を待っていた。ハナも、私も。
「今年も見られるかな」と私は呟いた。ハナは私を見上げた。その目は澄んでいた。でも、もう動く力は残っていなかった。
朝六時。いつもの時間に目を覚ました。ハナは既に起きていた。私を見つめていた。その目は、いつもの散歩の時間を知っていた。十四年間、毎朝のその時間を。
私は、ハナを抱き上げた。軽かった。こんなに軽くなっていたのか。骨と毛皮だけになっていた。でも、温かかった。ハナの心臓が、私の腕の中で小さく打っていた。
外に出た。朝の空気は冷たかった。でも、もう春の匂いがしていた。川沿いの道は、相変わらず静かだった。
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桜が咲いていた。今年の開花は早かった。川沿いの木々が、すべてピンク色に覆われていた。花びらが、朝の風に舞っていた。
私はハナを抱いて、その道を歩いた。いつもの道。何千回も歩いた道。でも、今日は違った。歩くのではなく、抱きかかえていた。ハナは私の腕の中で、静かに目を閉じた。
「見ているか。ハナ。桜だ。今年も咲いた」
ハナは目を開けた。一瞬だけ。その目は、確かに桜を見ていた。十四年間毎年見てきた、その花。
私たちはいつもの場所に到着した。川が見える。そこで、私たちはいつも少し立ち止まった。
「いい天気だね。ハナ」
ハナは、もう返事をしなかった。でも、その身体は、温かさを失っていなかった。
川の音が聞こえた。いつもと同じ音。桜の花が散っていた。一片、また一片。風に乗って、川へ落ちていた。
「十四年間、ありがとう。毎日、毎日、歩いてくれて」
その時、ハナの身体が軽く動いた。尻尾が、ほんの少し、動いた。十四年間、毎朝のその時間に欠かさず動いていた尻尾。
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家に帰った時、ハナはもう眠っていた。その眠りは、普通の眠りではないことを、私は知っていた。でも、顔は平和だった。苦しそうではなかった。桜を見て、川の音を聞いて、自分の一番好きな人に抱かれながら。そして、十四年間毎日歩いた、その大好きな道の上で。
獣医は言った。「良い環境でした」その一言で、全てが救われた。
翌朝、六時に目が覚めた。いつもの時間だ。でも、リードは必要ない。ハナはもう、散歩に行くことはない。
それでも、私は川沿いの道を歩いた。一人で。初めて一人で。十四年間、初めて。
桜はまだ咲いていた。花びらが舞っていた。ハナが大好きだった、その花。
「来年も咲くね。ハナ。そして、その次の年も」
私は、花びらを集めた。小さなビンに。ハナの遺骨の側に。
春が来るたびに、あの道を歩くのだろう。一人で。でも、ハナと一緒に。十四年間歩いた道。その道は、私たちの思い出そのものだから。
その次の日、私はハナを埋葬した。庭の隅に。毎日見える場所に。川沿いの家。窓から見えるのは、あの桜並木。
友人たちが来た。ハナを知っている人たちが。誰もが、ハナと私の散歩を見かけたことがあると言った。毎朝。毎日。その光景は、この町の風物詩だったのだ。
「ハナがいなくなるなんて」と誰もが言った。でも、私は言わなかった。「ハナは、まだここにいる」と。
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今年も桜の季節がやってきた。朝六時に目が覚める習慣は、変わっていない。ハナはいないけど。
川沿いの道を歩く。一人で。でも、一人ではないような気がしている。風が吹く時、それはハナの息だと思う。花びらが落ちる時、それはハナが遊んでいるのだと思う。
今朝も、いつもの場所に着いた。川が見える場所。ハナが最後に目を開いた場所。
桜の花びらが、また落ちてきた。去年と同じ。一年前、ハナを抱きかかえながら見た、その花。
誰もが、ペットとの別れは苦しいと言う。でも、本当の苦しさは、その喪失ではなく、その時間の重さなのだと、私は知った。十四年間。毎朝。毎晩。その繰り返しの中に、どれほどの愛があったのか。その愛が、失われた時の痛みなのだ。
十四年間、毎日同じ道を歩いた。その道は、もう単なる散歩道ではない。それは、私たちの人生そのもの。ハナと私が、一緒に歩んだ、あの長い道のり。
私は立ち止まった。同じ場所で。ハナを抱きかかえた、その場所で。
「ありがとう」と、私は呟いた。誰に向かってなのか、分からない。ハナに。この桜並木に。この川に。この時間に。この人生に。
来年も、その次の年も、私はあの道を歩くだろう。ハナを思いながら。あの温かい身体を、この腕に感じながら。その幻影を、いつまでも。
※
五年が過ぎた。ハナが亡くなってから、五年。
毎朝、六時に目が覚める。相変わらずだ。リードはもう手に取らない。代わりに、小さなビンを取る。ハナの遺骨の一部が入ったビン。
川沿いの道を歩く。毎日。毎朝。季節が移ろっていく。春の桜。夏の緑。秋の紅葉。冬の雪。
同じ道を歩き続けることで、私は気づいた。人は、失うものの中にこそ、最も大切なものを見出すのだと。
ハナとの十四年間。その全てが、今、輝いて見える。一緒に歩んだ道。一緒に見た花。一緒に聞いた川の音。全てが。
「ハナ。見ているか。今年も桜が咲いた」
風が吹いた。花びらが舞った。それは、返事だと思う。そう思いたい。
桜並木と最後の散歩。それは終わりではなく、始まりなのだと、今では分かる。ハナとの思い出という、新しい形での関係の始まり。永遠の関係。毎朝の散歩という、変わらぬ約束の始まり。
一人で歩く川沿いの道。でも、一人ではない。十四年間、毎日一緒に歩んだ、その相棒と共に。