はしゆよ、はむたよお

ハム太郎

娘が、六歳で死んだ。

あまりにも突然で、理由を探す暇すらなかった。

ある日、風呂に入れている最中に、娘は意識を失った。

小さな身体が、急に力を失って、呼びかけても反応がなくなった。

頭の中が真っ白になって、名前を呼び続けた。

必死に抱き上げて、ただ必死に、助けを求めた。

直接の死因は心臓発作だと告げられた。

けれど、娘には持病がなかった。

だから病院も不審に思ったのだろう。

俺は警察から事情聴取を受けた。

疑われることが悔しかったのか、悲しすぎてどうでもよかったのか。

その時の自分の感情は、もう覚えていない。

ただ、説明しても説明しても、言葉が空中で砕けていくような感覚だけが残っている。

別れた女房が、彼氏を連れてやって来た。

怒りが湧いてもおかしくないのに、俺にはもう腹を立てる気力さえなかった。

ただ、顔を見て、声を聞いて、現実がさらに重くなるだけだった。

葬式は、機械みたいに済ませた。

泣いて、拭いて、挨拶して、頭を下げて。

気づけば終わっていた。

初七日も過ぎた。

家の中は静かで、静かすぎて、息をしている自分の音がうるさかった。

何かをしないと、壊れてしまいそうだった。

だから俺は、独りで映画を観にいった。

娘が観たがっていた映画だった。

ゴジラと、とっとこハム太郎の二本立て。

そのチケットを買う時、俺は一瞬だけ迷った。

もう娘はいないのに。

それでも、観たかった。

娘が「観たい」と言ったものを、この目で見ておきたかった。

暗い客席に座って、スクリーンを見上げた。

流れてきた歌を聴いた瞬間、俺はやっぱり泣いた。

「とっとこぉ はしるよ ハム太郎♪」

たったそれだけで、胸の奥が崩れた。

六歳にもなって、少し活舌の悪かった娘が。

この歌を一生懸命覚えて、家の中で歌っていた。

「とっとこぉ、はしゆよ、はむたよお♪」

あの小さな声。

少しずれた発音。

得意げな顔。

それが全部、鮮明に戻ってきた。

ハム太郎の紙コロジーだって、クリスマスに買ってやるつもりだった。

店で見かけるたび、まだ早いかな、と迷って。

でも今年は、絶対に買おうと思っていた。

うちは女親のいない家庭だった。

だから余計に、娘には“女の子らしい時間”を大事にしてやりたかった。

服を買うときだって、面倒がらずに何度も手に取った。

似合う色。

動きやすさ。

肌に当たる感じ。

娘が喜ぶ顔を想像しながら、真剣に選んだ。

学校だって、行きたいところに行かせてやるつもりだった。

どんな夢を言い出しても、「いいよ」と言える父親になりたかった。

成人式には、ちゃんと着物を着せてやるつもりだった。

髪を結って。

写真を撮って。

照れくさそうに笑う娘を見て、「大きくなったな」と言うはずだった。

離婚してから俺は、百パーセント子どものために生きると決めた。

仕事も、生活も、全部。

娘が笑っていられるように。

娘が寂しくならないように。

俺は必死にやってきた。

それなのに。

こんなふうに、何の前触れもなく、連れて行かれる。

守りたかったものが、こんなに簡単に消えてしまう。

その現実を前にして、俺は思った。

この世に、神様なんて絶対にいない。

いるなら、こんなことはしない。

いるなら、せめて理由くらいはくれる。

いるなら、代わりに俺を連れて行けばよかった。

映画館の暗闇の中で、俺は泣き続けた。

人の目なんてどうでもよかった。

涙を止める理由が、どこにもなかった。

娘がいない世界は、広すぎて、寒すぎた。

それでも、スクリーンの中でハム太郎が走っていくのを見ながら、ふと思った。

娘は、走るのが好きだった。

転んでも、すぐ立ち上がって笑っていた。

あの子は、いつだって前に進んでいた。

俺だけが、止まっている。

俺だけが、置いていかれている。

神様なんていないと知った日から。

俺は、信じるものを失った。

でも、娘が生きた六年だけは、嘘じゃない。

あの子が歌った歌も。

欲しがったおもちゃも。

選んだ服も。

小さな手の温度も。

全部、確かに俺の中に残っている。

だからせめて。

俺は、娘が残した時間を、壊さずに抱えて生きていこうと思う。

泣きながらでも。

立ち止まりながらでも。

あの子が「はしゆよ」と言って笑った世界で、俺は生きていく。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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