命を守ってくれた笑顔

公開日: 仕事 | 子供 | 家族 | 心温まる話

迷彩服のヒーロー

一昨年の夏。
私は5歳の息子を連れ、車で1時間ほどの自然博物館で開かれていた昆虫展へ向かっていました。

ムシキングの影響もあって、息子はこの日を心待ちにしていました。

博物館まで、あと数キロという地点。
渋滞の最後尾に差しかかり、車を止めたその瞬間、背後から激しい衝撃が走りました。
大型トラックに追突されたのです。

何が起こったのか理解できないまま、真っ先に助手席の息子を見ました。
――けれど、そこに姿がありません。

「○○!」

叫んだ声に、足元から「痛い」というか細い声。
息子は衝撃でシートからずり落ち、助手席の足元で挟まれていました。

胸が締めつけられ、半狂乱になりながら助けようと身を乗り出したその時、自分の両足も挟まれて動けないことに気づきました。
私はただ叫ぶしかありませんでした。

追突から1、2分後でしょうか。
突然、変形した運転席側のドアがこじ開けられました。

緑色のヘルメットに迷彩服。
数人の自衛隊員が、そこに立っていました。

「足が挟まれています!」
そう叫ぶ私に、彼らは無言でバールのような工具を使い、運転席をこじ開けて後方へずらし、私を救い出してくれました。

「息子が助手席の足元に挟まれています!助けてください!」

私の必死の声に、若い隊員が助手席に潜り込み、シートを外しながら他の隊員に指示を飛ばします。
その声は力強く、必死で、それでいて不思議と安心感がありました。

数分後――私には永遠にも感じられた時間の後、息子は車体の外へと引き出されました。

その直後、救急車と工作車が到着。
息子は救急隊員に引き渡され、私は両足の痛みで立てないながらも、お礼だけは言いたくて隊員のもとへ這うようにして近づきました。

「本当に……ありがとうございました!」

隊員は微笑み、「当たり前のことをしただけです。命が無事で良かった」と言いました。

その時、私は彼の右肩が黒く濡れていることに気づきました。

「怪我をされているんじゃないですか?」

「え?ああ、潜ったときにちょっと刺さったみたいです」

そう言いながら体をひねると、背中全体が血で濡れていました。
どう考えても大量出血です。
それでも彼は「ちょっと痛いだけ」と笑いました。

救急車で搬送された後、診断は――息子は両足骨折、私は右足骨折。

治療後、息子のベッドに寄り添い、「よく泣かなかったね、頑張ったね」と声をかけると、息子はこう言いました。

「お兄ちゃんが笑ってたから泣かなかったよ。クワガタの話もしたんだ」

事故直後、私には聞こえなかったが、彼は救助中、息子とムシキングやクワガタの話をしてくれていたそうです。
だから息子は安心し、痛みをこらえることができた――そのことを知った瞬間、私は初めて涙をこぼしました。

後日、救援に来てくれた消防署で彼の所属を確認し、駐屯地の場所を調べました。
ちょうど2週間後に「記念行事」があると知り、怪我の回復を見ながら、息子と行くことにしました。

初めて入る駐屯地は想像以上に来場者が多く、私たちは車椅子の息子と人の波の中を彷徨いました。
やがて式典や訓練が始まり、大砲や戦車の音に驚きながらも、息子も私も少しずつ笑顔になっていきました。

そして午後、背後から声が。
振り返ると――あの日、息子を救ってくれた隊員が立っていました。
笑顔を浮かべる彼を見た瞬間、私は男ながら涙が溢れました。

「あの時は、本当にありがとうございました」

ずっと伝えたかった言葉。
元気になった息子を見てもらいたかった想い。
そして、背中の怪我が車体の金属で切れたもので、17針も縫ったと聞き、改めて胸が熱くなりました。

彼は普段訓練で乗っている緑色のバイクを見せてくれました。
足が治りきっていない息子を抱き上げ、一緒に跨ってくれます。

その瞬間、息子の顔は輝き、彼はまるでテレビの戦隊ヒーローのように見えました。
その時に撮った写真は、今も息子の宝物です。

今ではムシキングよりも、自衛隊のお兄ちゃんの方が、ずっと大好きなのです。

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