母が撮らなかった正面

妻は、家族の写真を、いつも後ろから撮る人でした。

正面から撮ったものが、ほとんど残っていません。

理由を訊くと、決まって同じことを言いました。

「顔は毎日見よるやろ」

その言葉を、私は七年間、ただの照れ隠しだと思っていました。

泣かないで

私は宮崎の都城で、市の水道局に勤めています。

入ったころは検針の担当で、一日じゅう住宅地を自転車で回っていました。

妻とは、その検針の途中で知り合いました。

結婚式場の衣裳室で働いている人で、休みの日でも背筋がまっすぐな人でした。

娘が二人います。

上がみなみ、下がひなたです。

検針の仕事は、人の生活の量が数字で出ます。

ひと月に何立方メートル使ったかで、その家に何人いるかが、だいたい分かるのです。

子どもが増えれば増え、進学で出ていけば減ります。

私は十年ほど、他人の家の増減ばかりを見て回っていました。

妻に一度、その話をしたことがあります。

「減った家の前は、ちょっと気ぃ遣うとよ」

「なんね、それ」

「メーターの蓋、そっと閉めるとたい」

妻は、そのとき台所で笑って、それきり何も言いませんでした。

あとになって、その話を榎田さんが知っていました。

妻が、衣裳室で人に喋っていたのです。

妻の具合が悪いと分かったのは、下の子が小学校を出る年でした。

入退院を繰り返して、二度目の冬に、家に戻れなくなりました。

病室で、妻はよく窓のほうを向いていました。

看護師さんが来ると、必ず背筋を伸ばして座り直す人でした。

衣裳室の癖だと言っていました。

「わたしが猫背やったら、花嫁さんも猫背になるとよ」

娘たちが見舞いに来た日は、帰りぎわに、必ず携帯で写真を撮っていました。

撮るのは、二人が病室の戸を出ていくところです。

「顔は毎日見よるやろ」

そのときも、同じことを言いました。

私は、面倒くさそうに戸を押さえてやっただけでした。

その一枚が、妻の携帯に残った最後の写真になりました。

春先の、風の強い日でした。

私が水を替えに立ったとき、妻が背中に向かって言いました。

「わたしが死んでも、泣かんとってね」

私は、返事をしませんでした。

返事をすると、認めることになる気がしたのです。

妻は、それきり同じことを言いませんでした。

翌日から、話す内容が変わりました。

洗濯機の脱水がときどき止まること。

ガスの検針は下の娘が受けられること。

米は五キロより十キロのほうが安いこと。

そういう、家のことばかりでした。

私は手帳に書き取りながら、いちいち返事をしていました。

いま思えば、あれは引き継ぎだったのだと思います。

数日後、妻は静かに息を引き取りました。

通夜の晩は、私が会場に残ることにしました。

娘たちは、まだ高校生と中学生です。

「今夜は帰り。明日は早いけん」

そう言うと、みなみは何も言わずにうなずきました。

ひなたは、姉の袖を持ったまま、じっとしていました。

そのとき下の娘が、一度だけ口を開きかけて、やめました。

何を言おうとしたのかを、私はその晩、考えもしませんでした。

親戚への挨拶と、翌朝の段取りで、頭がいっぱいだったのです。

私は、二人が駐車場を出ていくのを、玄関のガラス越しに見ていました。

会場には、妻の同僚の方が最後まで残ってくれました。

衣裳室の隣で、ヘアメイクをしている榎田さんという方です。

「明日、何時に伺えばよかですか」

「朝の九時には、と思っています」

「わかりました」

榎田さんは、そう言って帰りました。

いま思えば、あの人はあのあと、店を開けに行ったのです。

会場に残った夜は、長いものです。

線香の火を絶やさないようにと言われて、私は座布団の上で膝を立てていました。

親戚が皆いなくなったのは、十時をだいぶ回ったころでした。

誰もいなくなってから、私は一度だけ、声を出して泣きました。

誰にも見られていないと思っていました。

三日目の朝

葬儀の日、娘たちが会場に来ませんでした。

九時になっても、九時十五分になっても来ません。

電話をかけましたが、二人とも出ませんでした。

親戚の目もあって、私は玄関の外に立って、道のほうばかり見ていました。

開式の五分前に、タクシーが停まりました。

降りてきた娘を見て、私は言葉を失いました。

みなみの髪が、肩より上まで短くなっていました。

腰まであった髪です。

妻が、いつもうしろから撮っていた髪でした。

「あんた、何しよるとね」

声が、思ったより大きく出ました。

「こんな時に、美容室に行かんでもよかろうが」

みなみは、私の顔を見ませんでした。

「お洒落なママとのお別れやもん」

そう言って、先に会場へ入っていきました。

ひなたが、そのあとを小走りでついていきました。

親戚の一人が、私の背中を軽く叩いて言いました。

「よかやろ。子どもには子どもの仕方があると」

私は、うなずくふりだけをしました。

あのときの私には、娘のしたことが、妻の教えたことの反対に見えていたのです。

妻は、身なりに手を抜くことを、いちばん嫌う人でした。

その妻の見送りに、娘が髪を落として来た。

それを、私は理解しようとしませんでした。

気まずいまま、葬儀が始まりました。

私は焼香の順番も、弔辞の内容も、ほとんど覚えていません。

ただ、娘のうなじが白いことばかりを見ていました。

お別れの前に、棺に花を入れる時間がありました。

親戚が順に入れて、最後に娘たちの番が来ました。

ひなたが、白い花を胸のあたりに置きました。

みなみは、花を持っていませんでした。

制服のポケットから、小さな和紙の袋を出しました。

その中から、細い髪の束を取り出して、妻の手の横に置きました。

紙縒りで、根元がきれいに結んでありました。

「お母さん、これからも一緒に居るよ」

みなみは、それだけ言いました。

私は、そこで初めて、泣きました。

妻との約束は、あっけなく破れました。

声が出て、みっともなく肩が動いて、隣の親戚に支えられました。

みなみが、こちらを見て言いました。

「ずるい」

そして、そのまま私の胸に顔を押しつけて、泣きました。

ひなたも、私の腕にしがみついて泣きました。

三人で、しばらくそうしていました。

あの日、私は娘たちと同じ淋しさを分けてもらったのだと思っています。

髪を切った理由

髪のことを、私は長いあいだ訊きませんでした。

訊いてはいけない気がしていたのです。

みなみは大学を出て、鹿児島で働くようになりました。

ひなたは、市内の保育園で保育士をしています。

髪は、母親と同じ長さのまま伸ばしています。

結ぶ位置も、同じ高さです。

家に帰ってくると、洗面所の鏡の前で、私に背中を向けて結びます。

私はその横で、歯を磨くふりをしています。

七年のあいだに、私が覚えたのはそのくらいです。

髪の話も、母親の話も、こちらからは切り出しません。

切り出さないでいると、向こうから少しずつ出てくることを、私はようやく知りました。

七年目の命日に、榎田さんが線香をあげに来てくださいました。

仏壇の前で手を合わせたあと、お茶を出すと、その人は言いました。

「あの晩のこと、みなみちゃんから聞かれましたか」

「あの晩、といいますと」

「通夜の晩です」

私は、湯呑みを置きました。

「うちの店、あの晩、開けたとですよ」

榎田さんは、そう言いました。

「九時過ぎに、みなみちゃんとひなたちゃんが二人で来ました」

「二人で」

「ひなたちゃんが、先に切ってくれ、て言うたとです」

私は、意味が分かりませんでした。

「ひなたちゃんの髪、奥さんと同じ長さやったでしょう」

言われて、思い出しました。

下の娘は、母親と同じ長さに揃えるのが自慢でした。

「わたしの髪、お母さんと一緒に入れてもらう、て言うて聞かんとです」

「そんなことを」

「みなみちゃんが、止めました」

榎田さんは、湯呑みを両手で包んで、続けました。

「あんたはまだ伸ばしとき、先に切るのはうちがするけん、て」

私は、うつむいていました。

「そのあとにね、みなみちゃんが一つだけ、うちに訊いたとです」

「何を、ですか」

「切ったら、泣けますか、て」

私は、顔を上げられませんでした。

「わたしは、切ってみらんと分からんて答えました」

榎田さんは、そこで少し黙りました。

「それでよかったとかどうか、いまも分かりません」

「よかったです」

気がついたら、そう言っていました。

「あの子は、あの朝、泣きました」

その晩、みなみは自分の髪を切ったあと、鏡の前から動かなかったそうです。

ひなたが泣きやむのを待っていたのだと、榎田さんは言いました。

「妹の前では、泣かん子ですね」

「そうです」

「奥さんが言いよりました。上の子は、髪ば切ると泣ける子です、て」

私は、六年前の父の葬儀を思い出しました。

あのとき、みなみは小学六年生で、最後まで泣きませんでした。

そして、その夜、洗面所で自分の前髪をはさみで切りました。

妻が見つけて、切り直してやりながら、二人で笑っていました。

そのあと、風呂場で長いこと水の音がしていました。

妻は、あの水の音を覚えていたのです。

「ずるい」の意味も、あとで分かりました。

去年の盆に、みなみが自分から言いました。

通夜の晩、店へ行く前に、二人はいったん会場まで戻っていたそうです。

忘れ物を取りに行ったのだと言っていました。

そして、ガラスの向こうで、私が泣いているのを見ています。

「お父さん、あの晩に泣いとったやろ」

「見たとか」

「うん」

「そうか」

「ずるかろ。先に泣いて、朝は普通の顔しとるとやけん」

私は、笑うしかありませんでした。

あの朝、娘に「ずるい」と言われたのは、髪のことではなかったのです。

衣裳室のフック

四十九日のあと、私は式場へ荷物を受け取りに行きました。

衣裳室は、思っていたより狭い部屋でした。

壁の一面に、白い衣裳が肩を並べて掛かっています。

妻のロッカーには、替えの靴と、裁縫箱と、白いタオルが入っていました。

タオルは、何度も洗ったせいで、縁がやわらかくなっていました。

「それ、花嫁さんの肩に掛けるとです」

案内してくれた若い方が、そう教えてくれました。

「化粧が衣裳につかんように」

「そうですか」

「奥さん、あのタオルだけは自分で洗って持ってきよりました」

私は、そのタオルを持って帰りました。

いまも、洗面所に掛けてあります。

帰りぎわ、廊下の壁に写真が貼ってありました。

その年に式を挙げた方たちの、退場の場面ばかりです。

どれも、うしろから撮ってありました。

「これ、全部……」

「奥さんが撮っとりました」

「正面は、撮らんとですか」

「撮ります。ばってん、廊下に貼るとは、こっちだけ、て」

「なんで、でしょう」

その方は、少し考えてから答えました。

「前を向いとる顔は、その日の顔やけん。うしろ姿は、これから行く先が写るけん、て言いよりました」

私はその言葉を、しばらく廊下で立ったまま繰り返していました。

後ろから撮っていたもの

榎田さんは、帰りぎわに、もう一つ教えてくれました。

妻が、衣裳室で花嫁さんの写真を撮るとき、必ず後ろからも一枚撮っていたことです。

「退場のとき、みんなが見よるとは背中やけん、て」

その言い方は、家で聞いたのと同じでした。

けれど、家の写真は花嫁のものではありません。

私はその晩、押入れからアルバムを全部出しました。

茶の間の畳の上に、年ごとに広げました。

妻は、写真を貼るときに、日付を鉛筆で薄く書く人でした。

消せるように、という意味だったのだと思います。

けれど、消してある日付は一つもありませんでした。

娘たちのうしろ姿が、年の順に並んでいました。

玄関を出ていく背中。

台所で洗い物をする背中。

川の土手を歩く背中。

どれも、髪が写るように撮ってありました。

結んである日は、結び目の高さまで写っています。

私は、日付の順に並べ直しました。

妻が撮っていたのは、うしろ姿ではなく、髪でした。

娘たちの髪が伸びていく速さを、妻は写真で測っていたのです。

自分の髪が減っていく年に、いちばん多く撮っていました。

その年のアルバムだけ、二冊あります。

二冊目の最後に、白い台紙が一枚だけ残っていました。

貼るつもりで、貼れなかった場所です。

私はそこに、あの葬儀の朝の一枚を貼りました。

親戚の誰かが撮っていた写真で、みなみのうしろ姿が写っています。

短くなったうなじが、はっきりと写っていました。

もう一つ、分かったことがあります。

妻の「泣かんとって」は、娘たちには一度も言っていませんでした。

あれは、私に言った言葉です。

みなみは、病室の外の廊下で、それを聞いていました。

その話を、去年の盆に、本人がぽつりと言いました。

「お父さんに言うとったよね。わたし、廊下におった」

「聞いとったとか」

「うん」

「お母さんは、あんたたちには何て」

「泣いてよか、って」

みなみは、麦茶のコップを回しながら言いました。

「わたしにだけ、泣いてよかって言うたとよ」

「なんで、あんたにだけ」

「泣けん子やって、知っとったけんやない」

半分

そして、いちばん大きなことを、私は七年知らずにいました。

棺に入れたあの髪の束は、みなみの髪ではありません。

妻の髪でした。

抜けはじめる前に、榎田さんが妻の頼みで切って、預かっていたものです。

妻は、それを娘たちに渡してくれと言っていました。

渡す時期は、榎田さんの判断に任せていたそうです。

「なんで、通夜の晩やったとですか」

私は、そう訊きました。

榎田さんは、湯呑みの縁を指でなぞってから答えました。

「奥さんが、条件を一つだけ言うとりました」

「条件」

「あの子たちが、自分から髪のことを言い出した日に、て」

私は、息を吸いました。

「ひなたちゃんが、切ってくれ、て言うたとです」

「あの晩に」

「はい。あの晩に、条件が揃うたとです」

妻は、下の娘が何を言い出すかを、たぶん分かっていました。

そして、上の娘がそれを止めることも、分かっていたのだと思います。

通夜の晩、店に来た二人に、榎田さんはその束を渡しました。

みなみは、それを二つに分けました。

片方を和紙に包んで、翌朝、棺に入れました。

もう片方は、そのまま家に持って帰りました。

棺に入れたのは、半分でした。

「お母さん、これからも一緒に居るよ」

あの言葉は、そういう意味だったのです。

残りの半分は、仏壇の下の引き出しにありました。

七年、私はその引き出しを開けたことがありませんでした。

開けると、和紙の袋が二つ入っていました。

一つは妻の髪、もう一つは、あの朝に切ったみなみの髪でした。

袋の表に、鉛筆で「ひなたが伸ばしきったら」と書いてありました。

下の娘が、母と同じ長さになったら渡す、という意味です。

ひなたの髪は、いま、ちょうどその長さです。

——母の気持ちも、優しい貴方へも、私はこの引き出しを開けたあとに読み返しました。

渡す日は、まだ決めていません。

ドライヤーの係

盆と正月に、娘たちが帰ってきます。

風呂上がりに、私が髪を乾かす係になりました。

いつからそうなったのかは、覚えていません。

ドライヤーの音の中では、こちらが何も言わなくてよいのが、たぶん理由です。

みなみの髪は、あのころより長くなりました。

私は、うしろから乾かします。

顔は、毎日見なくてもよいのです。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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