君の手紙、僕の手紙

手紙

先日、小学5年生の娘が何かを書いているのを見つけた。

それは、亡き妻への手紙だった。

「ちょっと貸して」

そう言って、そっと中身を見せてもらった。

まだ拙い文字だったけれど、そこには妻への想いが真っ直ぐに綴られていた。

私は、娘に話してやりたくなった。

少しくらい、昔の話をしても――いいよな。

妻と出会ったのは、真夏の午後だった。

人づきあいが得意ではなかった私は、外出のときいつも音楽プレイヤーを持ち歩いていた。

駅など人混みの中では、音楽だけが心を守ってくれた。

あの日もきっと、私はイヤホン越しに音を聞いていたと思う。

その日は、妹の誕生日プレゼントを買いに行く途中だった。

ふと空を見ながら歩いていたら、人とぶつかった。

相手は、同い年くらいの女の子だった。

驚いた表情のまま立ち尽くす彼女に、

「大丈夫ですか?」

そう声をかけ、手を差し出した。

それが、妻との出会いだった。

彼女は道に迷っていたらしい。

気づけば、私はすっかり一目惚れしていた。

道案内を終えた帰り際、勇気を出して連絡先を聞いた。

そこから少しずつ、ふたりの関係が始まった。

メールを交わし、何度か会い、気づけば一緒にいる時間が当たり前になっていた。

出会ってから二ヶ月ほど経ったある日、彼女の方から告白された。

「私、あなたのこと好きになっちゃったみたい」

言葉にできないほど嬉しかった。

それからは、週末がくるのが待ち遠しくてたまらなかった。

ふたりで出かけたり、会えない日は何通もメールを交わした。

高校生活を終え、私たちは一緒に同じ大学へ進む約束をした。

正直なところ、私の学力では難しいと先生に言われていた。

でも、彼女の願いを叶えたくて、必死で勉強した。

努力の末、合格通知を受け取ったとき、私たちは抱き合って泣いた。

あの時の彼女の笑顔が、今も忘れられない。

そして、二十歳を迎えたある日。

彼女から突然言われた。

「別れよう」

言葉の意味がわからなかった。

混乱したまま、私は彼女の家を訪ねた。

リビングには、彼女とご両親がいた。

彼女は静かに語り出した。

「私、持病があるの。二十五歳まで生きられるかどうかわからないの」

「そんな私と一緒にいたら、あなたに迷惑をかけてしまう」

だから、身を引こうと思ったと。

涙が込み上げた。

でも、その場で泣いたら、すべてが終わってしまいそうだった。

私はこらえて笑顔を作り、両親に頭を下げた。

「僕は、彼女にたくさんの笑顔をもらいました」

「どうか、彼女と最後まで一緒にいさせてください」

当然、反対された。

「若いんだから、後悔する前に諦めろ」

そう言われた。

でも、諦められるはずがなかった。

沈黙のあと、彼女が笑って言った。

「私、そういうところに惚れたのかも」

そして、ご両親に向き直った。

「私も、彼と一緒に最後までいたい」

父と母は深いため息をつきながら、

「……好きにしなさい」

そう言ってくれた。

私たちは、二十一歳で結婚した。

新しい暮らしは、ささやかだけど温かかった。

仕事に出る私を、妻はいつも優しく送り出してくれた。

まもなくして、私たちは新しい命を授かった。

産婦人科で心音を聞いたとき、私たちは泣きながら抱き合った。

二十三歳の春、娘が生まれた。

それは、かけがえのない宝物だった。

けれど、妻はその頃から、時々奇妙なことを口にするようになった。

娘を撫でながら、微笑んでこう言った。

「この子は、私が生きていた証。○○、この子のこと、お願いね」

「何言ってんだよ」

私は笑ってごまかしたけど、どこか胸がざわついた。

二十四歳のある日、妻は大量のビデオテープを買ってきた。

「娘に残すテープよ」

彼女はそう言って、静かに笑った。

私は、何も言えなかった。

でも、その言葉の意味を、ようやく理解し始めていた。

妻は、合計20本のテープを残した。

娘が成長したとき、少しずつ見るようにと託されたものだった。

やがて、その日が来た。

妻は突然倒れ、病院に搬送された。

医師からは、こう言われた。

「残された時間は、そう長くありません。できるだけ会話をしてあげてください」

私は一時も離れず、ずっと手を握っていた。

妻がゆっくりと目を開けた。

その顔は、穏やかに微笑んでいた。

「どうした? こんなときに、そんなに幸せそうな顔して」

そう尋ねると、妻はこう言った。

「だって……○○は泣き虫だから。私が笑ってお別れしないと、きっとずっと泣いちゃうでしょ?」

私は涙をこらえきれなかった。

声は出さずに、ただ涙を流した。

妻は、くすっと笑って言った。

「やっぱり、泣き虫だね」

彼女の手は、少しずつ力を失っていった。

「○○、私、幸せだった。あの時、結婚してくれて……ありがとう」

それが、妻の最期の言葉だった。

葬儀が終わり、部屋を整理していたとき、封筒が見つかった。

中には、私宛の手紙が入っていた。

『○○へ

元気にしてる?

これを見てる頃、私はもう天国にいると思います。

○○は、私にたくさん優しくしてくれたね。

驚かされることもあったけど、毎日がすごく楽しかった。

娘が生まれて、あなたが泣いて喜んでくれたとき、私、心から“産んでよかった”と思った。

あの子、元気にしてる?

私がいなくても、ちゃんと育ててね。

前にも言ったけど、あの子は私が生きていた証なの。

だから、よろしくね。

本当はもっと書きたいことがたくさんあるけど、ここで終わりにします。

私はいないけど、これからもずっと、あなたたちのことを見守っています。

○○は泣き虫だけど、あの子の前では男らしくしてね?

もう泣かないって、約束だよ?

私は、○○のことをずっと愛しています。

妻より』

手紙には、いくつも涙の跡があった。

あれほど笑っていた妻も、本当は泣いていたんだ。

その優しさに触れ、私は再び泣き崩れた。

お前も、泣き虫じゃないか――

そう思いながら、手紙を抱きしめた。

それから、七年が経った。

娘は今、小学五年生になった。

妻に似て、優しい子に育っている。

今日、妻への手紙を書いていた娘を見て、私も真似してみることにした。

『最愛の妻へ

今日、娘があなたに手紙を書いていました。

その姿を見て、俺も久しぶりにあなたへ手紙を書きたくなりました。

あなたが残してくれた愛は、今も俺たちを包んでいます。

娘は、あなたにそっくりで、元気に笑っています。

仕事は忙しいけれど、あの子と過ごす日々が、俺の支えになっています。

俺に、あの子に、たくさんの幸せをくれて、本当にありがとう。

今もずっと、あなたを愛しています。

俺たちのこれからの幸せを、空から見守っていてください。

写真を一枚、同封します。

今日、娘とふたりで撮った写真です。

どうか見て、また笑ってください。

俺はもう、泣き虫じゃなくなったよ。

これも、全部あなたのおかげだよ。

ありがとう』

心から愛した人へ、そしてその人と私をつないでくれた娘へ。

今、ようやく――感謝の言葉を、言葉にできた気がする。

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