
兄が絵日記をやめたのは、私が中学に上がった年の夏だった。
あの頃の兄は毎晩、夕飯のあとに食卓の端で小さなスケッチブックを開いていた。その日見た雲の形とか、庭に来た蝶の色とか、他愛もないものばかりだったけれど、兄の描く絵にはどこか光があって、私はそれを横目で見るのが好きだった。
「兄ちゃん、今日は何描いてんの」
「ん。薬局の裏に咲いてた百合」
私たちは信州の高原にある小さな町で育った。父が営む調剤薬局の二階が自宅で、窓を開ければ八ヶ岳の稜線が見えた。空気は夏でもひんやりとしていて、朝露に濡れた草の匂いが部屋まで届いた。
兄は五つ年上で、よく黙って笑う人だった。私が泣いても怒っても、兄はただ「そうか」と言って、あの穏やかな目で私を見ていた。夏の夕方、薬局の裏手にある小さな畑で父がトマトを摘んでいると、兄は必ずそこにいて、赤く熟れたトマトの色を絵日記に写していた。
兄の絵には不思議な力があった。上手い下手ではなく、見ているとその場所の空気ごと思い出せるような、そんな絵だった。ある日の絵には、雨上がりの薬局の前の水たまりが描いてあった。水たまりに映った空の色が、本物よりきれいだった。私は子どもながらに、兄はこういう目で世界を見ているのだと思った。
※
兄が絵日記をやめた理由を、私は知らなかった。正確に言えば、聞かなかった。
あの夏、母が体を壊した。長くはないが入退院を繰り返すことになり、薬局の仕事は父一人では回らなくなった。兄は高校三年生で、美大を目指していたはずだった。進路相談の三者面談で画集を持っていった話を、私は覚えている。
けれど夏が終わる頃、兄は薬学部の願書を取り寄せていた。
「絵は趣味でいいかなって思って」
兄がそう言ったとき、私は何も言えなかった。何か言うべきだったのだと、ずっとあとになって気づいた。
兄は国立の薬学部を出て、まっすぐ実家に帰った。父の隣に立ち、処方箋を捌き、近所のお年寄りに薬の飲み方を説明する。あの絵を描いていた手が、薬包紙を折る手になった。
※
私は東京に出た。同じ薬剤師の免許を取ったが、実家には帰らなかった。駅前のチェーン薬局で働き、都会の喧騒の中に自分を紛れ込ませた。
年に一度、正月に帰る程度になった。兄と顔を合わせても、仕事の話を少しして、酒を一杯飲んで、それで終わりだった。兄は相変わらず「そうか」と言って笑っていた。
兄に対して、ずっと後ろめたさがあった。
本当は絵を描きたかったはずなのに。本当は美大に行きたかったはずなのに。母が倒れて、私がまだ子どもだったから、兄が犠牲になったのだ——そう思っていた。私が東京で好き勝手に暮らしていられるのは、兄が我慢してくれているからだ、と。
だから兄の前に立つと、いつも居心地が悪かった。目を合わせるたびに「ごめん」と言いたくなって、でもその「ごめん」を口にしたら、兄の人生をもっと惨めなものにしてしまう気がして、結局黙っていた。
※
先月、兄から珍しく電話があった。
「薬局の倉庫を片付けてたら、お前の昔のもんが出てきたぞ。取りに来るか」
行かなくてもよかった。宅配で送ってもらえばいい。でもなぜか、行こうと思った。東京駅で特急に乗り、松本でローカル線に乗り換え、さらにバスで三十分。車窓の風景が都会のビル群から山並みに変わっていくのを、ぼんやり眺めていた。
三月の高原はまだ寒く、バスを降りると空気が肺に刺さるように澄んでいた。停留所から薬局までの坂道を歩きながら、子どもの頃は毎日この坂を駆け上がっていたことを思い出した。あの頃は何も考えていなかった。兄がいて、父がいて、薬局があって、それが世界の全部だった。
十年ぶりに見る薬局は、看板の文字が少し褪せていた以外、何も変わっていなかった。引き戸を開けると、漢方薬の匂いが鼻をついた。この匂いだ。子どもの頃から変わらない、甘くて苦い、あの匂い。
「おう、来たか」
兄はカウンターの奥から顔を出した。白衣の胸ポケットにボールペンが三本刺さっていて、白衣が馴染みすぎていて、それ以外の兄の姿が思い出せないほどだった。カウンターの脇に、近所のおばあさんが処方箋を持って座っていた。
「あら、弟さん? お兄さんにそっくりねえ」
兄が「ちょっと待ってな」と私に言って、おばあさんの薬を丁寧に説明し始めた。血圧の薬の飲み合わせについて、ゆっくりとした口調で話す兄の横顔は、どこか父に似ていた。おばあさんが帰り際に「ありがとうねえ」と頭を下げると、兄は「気をつけて帰ってくださいね」と引き戸を押さえた。
「こっち。二階の押し入れにまとめてある」
兄のあとについて階段を上がった。二階はリフォームされていて、かつて私たちの子ども部屋だった六畳間は、今は兄の書斎になっていた。
壁に目が止まった。
水彩画が三枚、飾ってあった。
一枚は薬局の裏手に広がる高原の風景で、夕暮れ時の八ヶ岳が薄紅色に染まっていた。もう一枚は冬の朝の薬局で、ガラス戸に霜がおりた様子を、白い筆致で丁寧に捉えていた。最後の一枚は春の道で、雪解けの水が光を弾いていた。
どの絵にも、兄の絵日記にあった、あの光があった。
「兄ちゃん、これ——」
「ああ、週末にちょっとな。天気のいい日に、裏の丘に椅子を持っていくんだ。気持ちいいぞ」
兄はそう言いながら、押し入れの段ボールを引っ張り出した。中には私の昔の教科書やノートが入っていて、その一番下に、見覚えのあるスケッチブックがあった。
兄の絵日記だった。
「ああ、それも出てきたんだよ。懐かしいだろ」
※
何気なくページをめくった。蝶、雲、庭の花、通学路の猫。子どもの筆致だけれど、色の選び方に才能の欠片が確かにあった。
最後のページに手が止まった。
描かれていたのは、絵ではなかった。兄の丸い字で、こう書かれていた。
「きょうでえにっきはおしまいにする。おとうさんのやっきょくは夏やすみもあかりがついてて、夕がたになるとこの町でいちばんあたたかい場所になる。ぼくは絵もすきだけど、あの場所がすきだ。いつかぼくがあの明かりをつける人になりたい」
日付は、あの夏だった。
指先が震えた。
兄は犠牲になったんじゃなかった。
母が倒れたから仕方なく薬学部に行ったんじゃなかった。
兄はあの夏、自分で選んでいたのだ。夕方の高原に灯る小さな明かりを、自分の手で守りたいと思ったのだ。
私がずっと背負っていた「ごめん」は、兄には届かない言葉だった。届かないのではなく、最初から、必要なかった。
「おい、どうした」
兄が覗き込んできた。私は絵日記を胸に抱えたまま、声が出なかった。
「兄ちゃん」
「ん」
「壁の絵、すごくいいな」
それだけ言うのが精一杯だった。兄は少し目を丸くして、それから照れたように笑った。
「そうか。じゃあ一枚、持ってくか」
※
帰りのバスの中で、兄がくれた水彩画を膝に載せていた。夕暮れの八ヶ岳の絵だった。
バスの窓の外に、高原の夕焼けが広がっていた。遠くに、薬局のある通りの灯りが一つだけ見えた。
私はこの十五年間、兄を可哀想な人にしていた。自分の罪悪感を薄めるために、兄を被害者にして、私を加害者にして、それで何かのつじつまを合わせていた。
兄はただ、好きな場所で好きなように生きていた。絵もやめていなかった。あの穏やかな笑い方は、諦めた人の笑い方ではなかった。
バスが山を下りはじめた。窓の外が暮れていく。
ぼんやりと、この夏は少し長く帰ろうと思った。兄の隣でカウンターに立って、漢方薬の匂いを嗅ぎながら、週末には裏の丘に椅子を二つ並べて、兄が絵を描くのを横で見ていたい。
その間に私は、兄に一度も言えなかった「ありがとう」を、どうやって伝えようかと考えていた。