色鉛筆のアルバムと母の宝物
うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた頃、家にはカメラなんてなかった。 だから母さんは、その代わりに色鉛筆で俺の姿を描いて、アルバムみたいにしてくれていた。 絵は…
お母さんのことを考えると、なぜか涙が出てくる——それだけ深く、それだけ大きな存在です。母の愛情、母の苦労、母への届かなかった「ありがとう」。お母さんにまつわる泣ける話・感動する話をまとめました。
うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた頃、家にはカメラなんてなかった。 だから母さんは、その代わりに色鉛筆で俺の姿を描いて、アルバムみたいにしてくれていた。 絵は…
60歳を過ぎて、癌だと告げられても、私は治療はしないつもりでいます。 5年前には一人娘も無事に結婚しましたし、親としての務めも、もうひと通りは果たせたと思ってい…
常葉大菊川(静岡)に敗れた日、日南学園(宮崎)の左翼手・奥野竜也君(3年)は、闘病中の母に思いを託して甲子園に立った。 彼の胸の奥で燃えていたのは、家族が抱き続…
カァチャン、元気にしていますか。 あなたがいなくなって、もう九年が経ちました。 九年という歳月が流れたのに、私はまだあなたを思い出しては涙してしまいます。 大人…
料理のできない二十六歳の父と、五歳の息子。嫁が旅立って一ヶ月、冷凍庫を開けると、丸い字の札が貼られたタッパーがぎっしり並んでいた。最後に残った引き出しの蓋に書か…
日曜の昼下がり、久しぶりにミスドへ寄ったときのことだ。 ※ 注文を済ませ席につくと、背中越しのすぐ後ろに、若い父親と三歳くらいの男の子が座った。くりくりの目が印…
娘の振袖を選ぶ呉服屋で、ふいによみがえった母のはしゃいだ姿。ほとんど家にいなかった私に、母が一度だけ会社へかけてきた電話の意味を、親の心を知る時がきて、ようやく…
母は毎年、梅雨が明けると麦茶を製氷皿で凍らせていた。薄まらんように、と。脳の病で手が震えるようになっても、その習慣だけはやめなかった。私はある朝、その製氷皿を落…
遠足の日のことでした。 お昼ご飯の時間になり、担任の先生は子どもたちの様子を見ながら、芝生の上を歩いていました。 色とりどりのお弁当が並び、笑顔と笑い声があふれ…
五歳の俺を迎えた義母は、血のつながりを一度も口にしないまま、毎月二十五日に郵便局へ通っていました。母が亡くなって見つかった一冊の通帳に、ほんとうの愛の形が記され…
僕がかつて看取った患者さんに、スキルス胃がんを患っていた一人の女性がいました。 余命3ヶ月と診断され、彼女はある病院の緩和ケア病棟に入院してきました。 ※ ある…
新潟の式場で流れた、亡き母のビデオレター。鉄筋工の父へ宛てた最後の五行に、二百人の会場が音をなくしました。半年後、画面が三度だけ下がる理由と、箱に書かれたひらが…
日曜日の河原で食べたおにぎり、千円が払えず入れなかった球場、外のベンチで広げた弁当。幼い頃に父を亡くした俺と、働き詰めだった母。母の涙と最期の「野球……ごめんね…
俺がまだ小学校に上がる前、父親は交通事故で亡くなった。 母親は、女手ひとつで俺を育ててくれた。 ※ 家は貧しく、県立高校を受けたが落ちてしまい、私立に通う余裕も…
2006年2月1日、京都市伏見区・桂川の河川敷で、一組の母子が静かに“終わり”を迎えようとしていました。 事件として報じられたのは、無職の片桐康晴被告が、認知症…