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母が折り続けた千羽鶴

老婦人

母が倒れたのは、私が担任を持ったばかりの四月だった。

朝、保育園に着いてすぐに妹から電話が来た。「お母さん、脳梗塞で救急搬送された」という短い言葉が、耳の中でしばらく意味をなさなかった。

幸い、命に別状はなかった。

けれど母はそれから長いリハビリ生活に入り、実家の商店街にある小さな手芸店は、ひとまず閉めることになった。

母は商店街の外れで、ずっと手芸店を営んでいた。

毛糸や布地、ボタン、ファスナー。そういうものが所狭しと並んだ、十坪もない店だった。

私が幼い頃、商店街の子どもたちはよくその店に立ち寄った。手芸の材料を買いに来た親の隣で、子どもが退屈そうにしていると、母はサッと折り紙を取り出して、鶴や兎を折ってみせた。子どもが目を丸くするのを見て、母は決まってにこにこしていた。

私が保育士になったのは、そういう母の姿を見て育ったからだと思う。

子どもの笑顔が好きだ、という気持ちは、母からもらったものだった。

でも、そうして仕事が忙しくなるにつれ、私は母と連絡を取る頻度が減っていった。

実家まで車で一時間もかからないのに、「仕事が落ち着いたら」「また来月」と言いながら、半年、一年と過ぎていった。

母から電話が来ても、保育園の行事が重なっていれば折り返せないことが多かった。

「お母さん、今忙しいから。また夜に電話するね」と言って、そのまま夜になって疲れて寝てしまう日が続いた。

母はいつも「ああ、そうか。気をつけてね」と言うだけで、それ以上は何も言わなかった。

私はそれを、「母は理解してくれている」と都合よく解釈していた。

商店街に顔を出す機会も、自然と減っていった。帰るたびに、いつのまにかシャッターが増えていく商店街が、なんとなく後ろめたくて、足が遠のいた。

母が入院してから一か月後、私は一人で実家の片付けに行った。

妹は仕事の都合でどうしても来られず、父はもう十年以上前に他界している。

久しぶりに入った母の部屋は、思ったより整然としていた。

本棚には手芸の本が並び、机の上には色とりどりの折り紙の束が、ひもで束ねられて積んであった。引き出しには使いかけの糸巻きが並んでいて、どれも母らしく丁寧に整理されていた。

私はそれらをひとつひとつ触りながら、「こんな部屋だったっけ」と思った。

最後にこの部屋に来たのがいつだったか、思い出せなかった。

押し入れの奥に、大きなダンボール箱があった。

引っ張り出すと、ずしりと重かった。

ガムテープを剥がして蓋を開けると、中には折り鶴がびっしりと詰まっていた。

赤、青、黄、緑。千代紙の鶴。白い和紙の鶴。小さなものから手のひらほどの大きなものまで、数えきれないほどの鶴が入っていた。

そして、それぞれの鶴には、小さく番号が書いてあった。

「1」「2」「3」——。

一番大きな鶴を手に取ると、「1」と書いてあった。折り目はしっかりしていて、でも紙が少し薄く、古い。

「1000」と書かれた鶴もあった。「5000」と書かれた鶴もあった。一番新しそうな鶴には「11847」という数字があった。

一万一千羽以上。

私が生まれてから今まで、毎日一羽ずつ折り続ければ、ちょうどそのくらいになる。

箱の底に、封筒が一枚あった。

宛名は「律子へ」——私の名前だった。

手が震えた。

封筒を開けると、母の字で便箋が何枚か折り畳まれていた。

読み始めた。

——律子、これを読んでいるということは、もうお母さんはいなくなったということかな。ちゃんと手に取ってくれてよかった。

——この鶴はね、律子が生まれた日から折り始めたんです。

——産院のベッドで、あなたが眠っているのを見ながら、最初の一羽を折った。小さくて、真っ赤な鶴。あなたに長生きしてほしくて、幸せになってほしくて、それから毎日一羽ずつ折り続けました。

私は文字を追いながら、涙が止まらなくなっていった。

——本当は千羽鶴を渡すつもりだったんだけど、千羽になったとき、「まだ渡すタイミングじゃないな」と思って。あなたが結婚するとき、かな、とか。子どもが生まれるとき、かな、とか。そうこうしているうちに、もうこんなにたまってしまいました。笑ってください。

——あなたはいつも忙しそうで、お母さんはなんだか電話するのも遠慮してしまって。あなたが「仕事があるから」と言うたびに、「そうか、頑張っているんだな」って思っていました。寂しいとは思わなかった。本当に。ただ、たまにあなたの声が聞きたいなと思うことはありました。

——保育士の仕事、大変でしょう。でも律子がそれを選んだとき、お母さんはとてもうれしかった。あなたはお母さんと同じものが好きなんだな、ってわかったから。子どもの笑顔が好きな娘に育ってくれて、ありがとう。

——毎日鶴を折るとき、お母さんはあなたのことを考えていました。今日はどんな子どもたちと遊んだんだろう、元気にしているかな、って。折り終えると、なんだか一日があなたに届いた気がして、それで十分でした。

私は手紙を胸に抱えたまま、母の部屋の床に座り込んでいた。

窓から差し込む午後の光が、折り鶴の影を畳の上に映していた。

一万一千羽以上の折り鶴。

毎日一羽ずつ、三十二年間。

私が電話をしなかった夜も、母は折り紙を手に取っていたのだ。黙って、丁寧に、私のことを考えながら。

遠慮していたのはお互いさまだった。母も、私に気を遣い続けていた。

どうして電話一本くれなかったのだろう、と思いかけて、でも私も同じだったと気づいた。

「また今度」と言いながら、ずっと後回しにしていたのは私も同じだった。

手紙の最後の一行を、もう一度読んだ。

——これだけの鶴を折る間、ずっとあなたのことを考えていました。幸せに、元気に、と毎日祈っていました。だからきっと、大丈夫です。

——これからも律子らしく生きてください。たまにはゆっくり休んで。好きなものを食べて。そしてね、たまには実家に帰っておいで。お母さんは待っています。——お母さんより

私はゆっくりと立ち上がり、折り鶴を一羽ずつ、そっと箱に戻した。

「1」と書かれた最初の鶴だけ、ポケットに入れた。

翌週、私はリハビリ病院に母を見舞いに行った。

言葉はまだうまく出てこない母が、私の顔を見てゆっくりと目を細めた。

私はポケットから折り鶴を取り出して、母の手に握らせた。

「一番最初の鶴だよ」と言うと、母は口の端をかすかに動かした。

笑っているのかどうか、うまく読み取れなかった。

でも、その手がゆっくりと私の手を包んだ。

私は泣きながら、「ありがとう」と言った。

何に対してのありがとう、なのかは、うまく説明できなかった。三十二年分の祈りに対して、遅すぎた気持ちを受け取ってもらえたことに対して、それだけではない、もっとたくさんのことに対して。

でもきっと母には、伝わったと思う。

保育園に戻った翌朝、子どもたちが「先生、折り紙して」とせがんできた。

私は折り紙の束を出して、鶴の折り方を教えた。

不格好でも、子どもたちは真剣な顔で折っていた。

「先生、できた!」

小さな手が鶴を差し出してきた。

私はそれを両手で受け取りながら、「じょうずだよ」と言った。

こういう時間を、母はずっと好きだったんだな、と思った。

そして私は、これからは毎週実家に帰ろうと決めた。

電話も、もっとこまめにしよう。

「また今度」は、もうやめようと思った。

母が毎日折った鶴の数だけ、私に届いていた祈りがある。これからはその分、ちゃんと返しに行こうと思った。

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