
母が倒れたのは、私が担任を持ったばかりの四月だった。
朝、保育園に着いてすぐに妹から電話が来た。「お母さん、脳梗塞で救急搬送された」という短い言葉が、耳の中でしばらく意味をなさなかった。
幸い、命に別状はなかった。
けれど母はそれから長いリハビリ生活に入り、実家の商店街にある小さな手芸店は、ひとまず閉めることになった。
※
母は商店街の外れで、ずっと手芸店を営んでいた。
毛糸や布地、ボタン、ファスナー。そういうものが所狭しと並んだ、十坪もない店だった。
私が幼い頃、商店街の子どもたちはよくその店に立ち寄った。手芸の材料を買いに来た親の隣で、子どもが退屈そうにしていると、母はサッと折り紙を取り出して、鶴や兎を折ってみせた。子どもが目を丸くするのを見て、母は決まってにこにこしていた。
私が保育士になったのは、そういう母の姿を見て育ったからだと思う。
子どもの笑顔が好きだ、という気持ちは、母からもらったものだった。
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でも、そうして仕事が忙しくなるにつれ、私は母と連絡を取る頻度が減っていった。
実家まで車で一時間もかからないのに、「仕事が落ち着いたら」「また来月」と言いながら、半年、一年と過ぎていった。
母から電話が来ても、保育園の行事が重なっていれば折り返せないことが多かった。
「お母さん、今忙しいから。また夜に電話するね」と言って、そのまま夜になって疲れて寝てしまう日が続いた。
母はいつも「ああ、そうか。気をつけてね」と言うだけで、それ以上は何も言わなかった。
私はそれを、「母は理解してくれている」と都合よく解釈していた。
商店街に顔を出す機会も、自然と減っていった。帰るたびに、いつのまにかシャッターが増えていく商店街が、なんとなく後ろめたくて、足が遠のいた。
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母が入院してから一か月後、私は一人で実家の片付けに行った。
妹は仕事の都合でどうしても来られず、父はもう十年以上前に他界している。
久しぶりに入った母の部屋は、思ったより整然としていた。
本棚には手芸の本が並び、机の上には色とりどりの折り紙の束が、ひもで束ねられて積んであった。引き出しには使いかけの糸巻きが並んでいて、どれも母らしく丁寧に整理されていた。
私はそれらをひとつひとつ触りながら、「こんな部屋だったっけ」と思った。
最後にこの部屋に来たのがいつだったか、思い出せなかった。
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押し入れの奥に、大きなダンボール箱があった。
引っ張り出すと、ずしりと重かった。
ガムテープを剥がして蓋を開けると、中には折り鶴がびっしりと詰まっていた。
赤、青、黄、緑。千代紙の鶴。白い和紙の鶴。小さなものから手のひらほどの大きなものまで、数えきれないほどの鶴が入っていた。
そして、それぞれの鶴には、小さく番号が書いてあった。
「1」「2」「3」——。
一番大きな鶴を手に取ると、「1」と書いてあった。折り目はしっかりしていて、でも紙が少し薄く、古い。
「1000」と書かれた鶴もあった。「5000」と書かれた鶴もあった。一番新しそうな鶴には「11847」という数字があった。
一万一千羽以上。
私が生まれてから今まで、毎日一羽ずつ折り続ければ、ちょうどそのくらいになる。
箱の底に、封筒が一枚あった。
宛名は「律子へ」——私の名前だった。
※
手が震えた。
封筒を開けると、母の字で便箋が何枚か折り畳まれていた。
読み始めた。
——律子、これを読んでいるということは、もうお母さんはいなくなったということかな。ちゃんと手に取ってくれてよかった。
——この鶴はね、律子が生まれた日から折り始めたんです。
——産院のベッドで、あなたが眠っているのを見ながら、最初の一羽を折った。小さくて、真っ赤な鶴。あなたに長生きしてほしくて、幸せになってほしくて、それから毎日一羽ずつ折り続けました。
私は文字を追いながら、涙が止まらなくなっていった。
——本当は千羽鶴を渡すつもりだったんだけど、千羽になったとき、「まだ渡すタイミングじゃないな」と思って。あなたが結婚するとき、かな、とか。子どもが生まれるとき、かな、とか。そうこうしているうちに、もうこんなにたまってしまいました。笑ってください。
——あなたはいつも忙しそうで、お母さんはなんだか電話するのも遠慮してしまって。あなたが「仕事があるから」と言うたびに、「そうか、頑張っているんだな」って思っていました。寂しいとは思わなかった。本当に。ただ、たまにあなたの声が聞きたいなと思うことはありました。
——保育士の仕事、大変でしょう。でも律子がそれを選んだとき、お母さんはとてもうれしかった。あなたはお母さんと同じものが好きなんだな、ってわかったから。子どもの笑顔が好きな娘に育ってくれて、ありがとう。
——毎日鶴を折るとき、お母さんはあなたのことを考えていました。今日はどんな子どもたちと遊んだんだろう、元気にしているかな、って。折り終えると、なんだか一日があなたに届いた気がして、それで十分でした。
※
私は手紙を胸に抱えたまま、母の部屋の床に座り込んでいた。
窓から差し込む午後の光が、折り鶴の影を畳の上に映していた。
一万一千羽以上の折り鶴。
毎日一羽ずつ、三十二年間。
私が電話をしなかった夜も、母は折り紙を手に取っていたのだ。黙って、丁寧に、私のことを考えながら。
遠慮していたのはお互いさまだった。母も、私に気を遣い続けていた。
どうして電話一本くれなかったのだろう、と思いかけて、でも私も同じだったと気づいた。
「また今度」と言いながら、ずっと後回しにしていたのは私も同じだった。
※
手紙の最後の一行を、もう一度読んだ。
——これだけの鶴を折る間、ずっとあなたのことを考えていました。幸せに、元気に、と毎日祈っていました。だからきっと、大丈夫です。
——これからも律子らしく生きてください。たまにはゆっくり休んで。好きなものを食べて。そしてね、たまには実家に帰っておいで。お母さんは待っています。——お母さんより
私はゆっくりと立ち上がり、折り鶴を一羽ずつ、そっと箱に戻した。
「1」と書かれた最初の鶴だけ、ポケットに入れた。
※
翌週、私はリハビリ病院に母を見舞いに行った。
言葉はまだうまく出てこない母が、私の顔を見てゆっくりと目を細めた。
私はポケットから折り鶴を取り出して、母の手に握らせた。
「一番最初の鶴だよ」と言うと、母は口の端をかすかに動かした。
笑っているのかどうか、うまく読み取れなかった。
でも、その手がゆっくりと私の手を包んだ。
私は泣きながら、「ありがとう」と言った。
何に対してのありがとう、なのかは、うまく説明できなかった。三十二年分の祈りに対して、遅すぎた気持ちを受け取ってもらえたことに対して、それだけではない、もっとたくさんのことに対して。
でもきっと母には、伝わったと思う。
※
保育園に戻った翌朝、子どもたちが「先生、折り紙して」とせがんできた。
私は折り紙の束を出して、鶴の折り方を教えた。
不格好でも、子どもたちは真剣な顔で折っていた。
「先生、できた!」
小さな手が鶴を差し出してきた。
私はそれを両手で受け取りながら、「じょうずだよ」と言った。
こういう時間を、母はずっと好きだったんだな、と思った。
そして私は、これからは毎週実家に帰ろうと決めた。
電話も、もっとこまめにしよう。
「また今度」は、もうやめようと思った。
母が毎日折った鶴の数だけ、私に届いていた祈りがある。これからはその分、ちゃんと返しに行こうと思った。