8年前、九州の西日本新聞に掲載され、映画化された物語があります。これは特攻出身の学徒兵たちの話です。
当時東京に住んでいた私は、銀座の東映でその映画を軽い気持ちで観に行きましたが、そこには多くの老紳士たちがいました。
エンドロール時、隣に座っていた老夫婦のおじいさんが突然立ち上がり、拍手を始めました。
当時21歳だった私には、同じように拍手することができませんでした。
特攻とは、大東亜戦争において約4000人のパイロットが若くして命を散らしたものです。その中の一つの実話を紹介します。
昭和20年5月、米軍が沖縄に侵攻している中、二人の若い陸軍将校が佐賀県の鳥栖小学校に突然訪れました。上野歌子先生が応対しました。
彼らは、特攻出撃前に一度で良いからピアノを弾いて、自分たちだけの演奏会を開きたいと願いました。
目達原の基地から歩いてやって来たという彼らに、上野先生はピアノを弾く機会を提供しました。
放課後の静かな音楽教室で、二人は交替でピアノに向かい、ベートーベンの『月光』などを奏でました。
次第に集まってきた学童たちは、彼らの演奏に耳を傾けました。
演奏が終わると、上野先生は彼らに感謝の意を表し、「海行かば」を子供たちと合唱しました。
二人の少尉も声を合わせ、一緒に歌いました。
帰る時、二人は「この戦争はいつかは終わるが、自分たちが死ななければ、この国を子供たちに残すことはできない」と言い残し、去って行きました。
翌日の朝、鳥栖小学校の上空で一機の飛行機が姿を現し、南の空へ飛び去って行きました。
その飛行機には、前日の演奏会を開いた二人の若き魂が乗っていたのかもしれません。
今でも、その時のピアノは鳥栖小学校に保管されています。