南洋のパラオ共和国には、小さな島が幾つも点在している。
戦争中、これらの島々には日本軍が進駐していた。その中の一つの島に駐留していた海軍陸戦隊は、学徒出身の隊長の元、地元住民との間で摩擦を避け、互いに尊重し合いながら生活していた。
陸戦隊は住民に対して公正で、作業に人を使う際には必ず代価を支払い、善き隣人として振る舞っていた。特に、音楽を愛する兵士たちによる唱歌の演奏は、島の人々に愛され、彼らもやがて『ふるさと』や『さくら』などの日本の曲を歌えるようになった。
しかし、戦況は次第に日本に不利になり、米軍の襲来が避けられない状況になっていった。島の若者たちは、日本軍と共に戦いたいと志願し、隊長を訪ねた。しかし隊長は怒り、彼らにパラオ本島へ去るよう命じた。島の人々は失望し、悲しんだ。
島を去る日、桟橋に集まった住民たちを、日本兵たちが見送りに来た。彼らは『ウサギ追いしかの山』を歌い、帽子を振りながら別れを告げた。その中には、あの隊長の姿もあった。彼の笑顔と共に、住民たちは隊長の過去の言葉が、実は彼らを救うためのものだったと理解した。
二週間後、米軍が周辺地域に殺到し、224名の日本軍は全滅した。島を去った住民たちは、彼らの勇気と優しさを永遠に心に刻んだ。