先日、大伯父の葬儀に参列しました。
静かに流れる読経を聞きながら、大伯父がただ一度だけ、戦争中の話をしてくれたことを思い出していました。
医師だった大伯父は軍医として従軍し、フィリピンで米軍の反攻に遭いました。
配属されていた野戦病院が米軍に包囲されそうになり、司令部からの命令で、山を越えて反対側の海岸に脱出することになったそうです。
定められた期日までに目的地に到着しなければならない強行軍です。
自力で歩けない重傷患者は残し、歩ける患者と看護兵だけを連れて山越えを始めたのですが、行けども行けども山また山の山岳地帯。補給も無く、持参した食料はすぐに底を尽きました。
水一つ汲むにも遥か眼下の谷底まで降りて谷川の水を汲み、また登らねばならないという困難な道で、すぐに患者から落伍者が出始め、遂には看護兵までが体力の無い者から落伍し始めました。
患者は行軍の途中で倒れる者が多く、看護兵の場合は小休止が終わって出発する時に立てなくなる者が多かったそうです。
初めのうちは看護兵や仲間の患者たちが助け起こして一緒に歩いたそうですが、何しろ何日も食べていないのですから、皆体力がありません。
そのうち、助けようとした者も体力を使い果たして動けなくなることが続くようになり、遂に、倒れた者に手を貸すことを禁じる命令が出されたそうです。
大伯父も飢餓と疲労でフラフラになり、自分もいつまで持つか分からないと思ったそうです。
それでも将校待遇の軍医ですから、お付きの従兵に荷物を持ってもらうことができ、何とか落伍せずに付いて行く事ができました。
それで大伯父は、
「もう軍医と言っても名ばかりで、患者を助けることもできないけれど、この従兵だけは何とかして国に帰してやりたい」
と思ったそうです。
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ある日、小休止が終わって出発の号令が掛かり、大伯父がやっとの思いで立ち上がったところ、いつもは先に立ち上がっている従兵が座ったままでいます。
どうしたと声を掛けても、従兵は俯いたまま返事をしません。疲労困憊して、行軍を続ける気力を失ったのです。
それに気付いた大伯父は従兵に近寄ると、ふらつく足を振り上げて従兵の顔を蹴りました。
重い軍靴で顔を蹴られて倒れた従兵がキッとした顔で見上げると、大伯父は、
「貴様、親でもなければ兄でもない者に顔を蹴られて悔しくないか!悔しかったら立ってみろ!」
と精一杯の大声を張り上げて罵りました。
従兵が立ち上がったので、大伯父は本当に嬉しかったそうです。
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その後、大伯父も従兵の方も苦しい行軍を乗り切って無事に目的地に到着しました。
しかし既にそこにも米軍が来ていたため、結局、野戦病院の生き残り全員が捕虜になり、終戦後に日本に復員しました。
大伯父とその従兵だった方とは、その方が亡くなるまでずっと親交があったそうです。
おじさん。従兵さんと、また会えてよかったね。