泣ける話や感動の実話、号泣するストーリーまとめ – ラクリマ

一番大切な人

恋人(フリー写真)

当時21歳の私と倫子は、その日ちょっとしたことで喧嘩をしてしまった。

明らかに私が悪い理由で。

普段なら隣同士で寝るのに、この日は一つの部屋で少し離れて寝た。

1995年1月17日の朝、大きな揺れがあった。

あまりに大きな揺れに慌てている間に、凄い音と共に屋根などが崩れてきた。

運良く私も倫子も無事だった。

しかし、お互いを確認するのは声だけだった。

二人の間には大きな瓦礫の壁があった。

私は窓に近い側に居たので、隣近所の方が瓦礫を少しどけてくれて、自力で出ることができた。

私は倫子を助けるために近所の方と力を合わせて、4人がかりで瓦礫をどけようと必死だった。

倫子は、

「真っ暗で怖いけど、私は大丈夫だから」

と叫んでいた。

1時間か2時間か、時計も無く判らなかったが、ある程度作業が進んだ。

これなら助かると思った。

しかしその時、周りの人が

「隣の家から火の手が上がっている」

と言った。

隣の家はこちらに傾いていた。

危険だと周りは言った。

皆、ピッチを上げて作業をした。

しかしその時、隣の家が崩れてきた。

私も周りも、その場から反射的に離れた。

そう、見捨ててしまった。

どのくらいその場に居たのか分からない。

ずっとその場にへたり込んで座っていた。

「消防はどうして来てくれなかったんだ」

「神はどうしてこのようなことをするのか」

「瓦礫をどけ始めた時にもっと上手くやっていれば、助かったんじゃないのか」

「見捨ててしまった………」

「どうして自分も死ななかったのか」

こんな言葉が頭をずっと巡っていた。

周りは、仕方が無かったんだと言った。

気に病むな…と…。

そんなこと、できるはずがないことは周りも分かっていただろう。

私はその言葉を聞いてから、ずっと泣いていた。

後日、瓦礫の山から倫子の骨だけが見つかった。

たった1.5メートルの距離の差だった。

たった1.5メートルの距離の差が『一番大切な人』を失う距離だった。

16日に喧嘩したことが、

素直でなかった私が、

最も失ってはならない『大切な人』を失う結果にしたのだ。

喧嘩をしていなければ、二人とも助かったかもしれない。

そうでなかったとしても、倫子を一人にすることは無かった。

そして、見捨てることも…。

私は1995年1月16日に戻りたい。

そして君と一緒に居たい。

阪神大震災。

経験をしていない人にとっては解らないことだと思う。

しかしそれは仕方が無いことだとも思う。

ただ、これから1月17日に阪神大震災の話題が出た時に、

「今更…」

とは言って欲しくない。

そういったことがあったことを知っておいてほしい。

そして今、恋愛をしている人に。

あなたは大切な人を手放さないで下さい。

今すぐにでも謝れることなら、すぐに謝ってください。

後から後悔しても、全て戻って来ないのですから。

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