
俺が30歳のとき、一つ年下の女性と結婚した。
今では、娘が三人と息子が一人。
長女は19歳、次女は17歳、三女が12歳。
長男は10歳。
この話をすると、よく聞かれるのが――
「長女と次女は奥さんの連れ子?」
違う。そうじゃない。
長女と次女は、俺と血がつながっている。
けれど、俺の“子ども”ではないんだ。
※
俺には、三歳年上の姉がいた。
姉は25歳で結婚し、二人の娘をもうけた。
しかし、義兄は夢ばかりを追いかける男で、職を転々とし続けた。
デザイナーだ、設計士だ、最終的には議員になると選挙に立候補までしたが、どれも失敗。
借金も膨らみ、姉も必死に働いていた。
※
そんなある日。
深夜のコンビニのバイトを終えて帰る途中、姉夫婦は飲酒運転の車に追突された。
二人は、そのまま帰らぬ人となった。
結婚したばかりだった俺は、何も手につかず、ただ呆然とした。
『なんでこんなことが起きるんだ』『神様なんていない』
そんなふうにしか考えられなかった。
※
5歳と3歳の姪たちが残された。
今後どうするか、家族で話し合いが始まった。
俺の両親は、姉の苦労をよく知っていたから、
「私たちが育てよう」と言ってくれた。
けれど、義兄の家族は「お父さんはもう定年で収入もない」と難色を示した。
じゃあ、自分たちが引き取るかと言えば、それもはっきりとは言わない。
結局、俺は姪たちに聞いた。
「俺と一緒に住むか?」
二人は、うなずいた。
嫁に相談すると、こう言ってくれた。
「二人産んだと思えばいいよ」
裁判を起こすとまで言っていた義兄の家族も、
「若くて、収入のある人が育てるなら」と納得してくれた。
こうして、俺は突然、二人のパパになった。
※
姪たちは素直だったけど、「パパ」「ママ」と呼ぶことには抵抗があったらしい。
次女は比較的早く、嫁のことを「ママ」と呼ぶようになった。
嫁はそれを聞いて、一人で泣いていた。
俺のことを「パパ」と呼び始めたのは、次女が小学校に入った頃だった。
でも、長女はなかなか呼んでくれなかった。
「ママ」と呼ぶまでに、7年かかった。
そして俺は、ついに「パパ」とは呼ばれなかった。
それでも――高校生になった長女が、自分の夢を語るようになった。
※
「音大に行って、音楽の先生になりたい」
嫁が三者面談でその話を聞いたとき、俺はすぐにピンと来た。
姉は小さい頃からピアノを弾いていた。
長女も、三歳からピアノを習っていた。
――きっと、母の記憶を心の中で繋いでいたんだろう。
彼女は東京の音大を希望し、推薦を受け、この春、無事に合格した。
結局、俺は最後まで「パパ」と呼ばれることはなかった。
彼女は、ずっと俺のあだ名で呼んでいた。
※
長女が東京に旅立つ日、俺は海外出張中だった。
帰国すると、嫁から一通の手紙を渡された。
長女が、家族全員に宛てて書いたものだった。
その手紙を読んで、俺は声を出して泣いた。
※
○○ちゃんへ
泣きながら、(次女の名前)と二人で○○ちゃんと暮らし出したのを、昨日のことのように覚えています。
怒られてムカついたし、
一緒に遊んでくれてすごく嬉しかったし、
本当に感謝してます。ありがとう。
そんな私を東京の音大にまで出してくれて、
本当に、本当にありがとう。
今まで以上に、言うこと聞いて、
いい子になって帰ってきます。
最後に。
パパ、本当にありがとう。大好き。
※
……泣いた。どうしようもないくらいに。
「パパ」と呼ばれたのは、その手紙が初めてだった。
けれどそれで十分だった。
ああ、俺も――お前のことが、大好きだよ。