いまいち仲が良くなかった父が、入院する前夜にワインを取り出し、
「まあいつまで入院するか分からないけど、一応、別れの杯だ」
なんて冗談めかして言ったんだ。
こんなのは初めてのことだった。
ワインが大好きだった父は、取って置いたビンテージを開けて僕と自分に注ぎ分け、乾杯した。
母も珍しいこともあるものだと言って、これまた珍しく家の中で写真を撮った。
父と初めて対座して酒を酌み交わすというのが、何とも居心地が微妙なもので…。
かと言って下戸なのですぐに酔ってしまい、父はカラカラと笑いながら、
「これじゃあ酒でまだお前に負けることはないな」
と言っていた。
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その後、間もなくして入院。
末期の食道癌で、家に帰ることなく闘病4ヶ月で呆気なく逝った。
あれが最初で最後の父と息子の晩酌だった。
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父の遺品を整理していると、納屋からワインがまだ幾つか出て来た。
僕は銘柄の良し悪しはよく分からないが、ラベルを見てみると、何か文字がメモしてあった。
『○○(僕の名)大学卒業用』
『○○就職時用』
『○○結婚時用』
僕は瓶を抱いて、ずっと泣いてしまった。
ワインを開ける機会を奪った病気を恨んだ。
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それ以来、下戸ながら月の命日には赤ワインを開け、父を思い出すようにしている。
僕はもう結婚まで済ませ子供も出来たが、父の遺したボトルは開けていない。
もっと酒を教えてもらえば良かったと、本当に思う。