私は幼い時に両親が離婚して、父方の祖父母の家に引き取られ育てられました。
田舎だったので、都会で育った私とは周りの話し方から着る服、履く靴まで全てが違いました。
そのため祖母は私が小学校に上がる時、みんなが友達になってくれるように、近所の同じ年の子供達に色鉛筆を買いました。
そして初めて学校へ行く朝、一緒に集合場所(集団登校のため)に来て、一人一人に
「○○の事よろしくね。仲良くしてあげてね、お願いね」
と頭を下げ、色鉛筆を渡してくれました。
※
無事学校から帰宅し、家で祖母と
「学校楽しかったー」
という話をしていると、見知らぬおばさんが訪ねて来ました。
どうやら今朝、色鉛筆を配った子達のお母さんとの事です。
「これ、お宅がうちの子に渡したんでしょ? 迷惑なんですよ。
こんな事される理由も無いし、要りませんから」
こんな事を話していたと思います。
祖母は一生懸命に説明していましたが、理解される事は無く、その方は色鉛筆を置いて帰って行きました。
私は『怖い人だな…』と思いながら、隠れて見ていました。
祖母はそれに気付いていなかったのでしょう。肩を落とし、声を殺して泣いていました。
私が走って行き、
「おばあちゃん大丈夫?」
と背中をさすりながら覗き込むと、祖母は
「大丈夫だよ。おまえが可哀想で心配で…。友達が出来るか、虐められないか心配で…。
涙が勝手に出てきただけだから、心配しなくていいんだよ」
とても悲しくなりました。
※
祖母は毎日、
「虐められたりしてないかい? 友達は出来たかい?」
と、私の心配ばかりしていました。
「うん、虐められてなんかないよ!友達、沢山出来たよ!」
いつもそう答えていました。
私は毎日虐められていました。
「親が居ないから悪い子だって、かーちゃんが言ってたぞ!親なしー!かーちゃんが口聞くなってさ。悪い子がうつるから!あっち行け!」
誰にも言えませんでした。
祖母は毎日心配して、私を見ては泣いていたから…。
とても言えませんでした。
学校の虐め、両親に会えない辛さ、祖母の優しさに、毎晩布団の中で声を殺して泣きました。
何で生まれて来たんだろう。
何で私だけこんなに辛い思いをするんだろう…。
何で…何で…。
※
そんなある日、学校から帰ると祖母が泣きながら私の事を抱き締めて来ました。
「ごめんね…ごめんね…」
何だか私も悲しくなり、一緒に泣きました。
どうやら近所の人が、私が毎日虐められている事を祖母に話したらしいのです。
あの時の祖母の辛さは、私よりも遥かに辛いものだったのでしょうね…。
※
私が成人した頃、祖母はすっかり年老いてしまいました。
痴呆が始まり、毎日同じ事ばかり聞くようになりました。
祖母とは離れて暮らしていたので毎日電話し、三日おきに手紙も書いていました。
※
あれは祖母が他界する少し前の事。
いつものように電話で話していると、祖母が
「○○ちゃんは私が産んだ子だったかなぁ?」
「うん、そうだよ、私はおばあちゃんの子だよ…」
「そうだったねぇ。私が産んだ子だ」
実の子のように思い続けて育ててくれていた祖母。
最後は本当に祖母の子になれた事、今でも忘れません。
あなたの子供で本当に幸せでした。
おばあちゃん、沢山愛して育ててくれて、本当にありがとうございました。