大正生まれの祖父は、妻である祖母が認知症になってもたった一人で介護をし、祖母が亡くなって暫くは一人で暮らしていた。
私が12歳の時に、祖父は我が家で同居することになった。
でもその時、祖父もまた認知症になっていた。
私が成長して行くのと反比例するかのように、祖父は一人で出来ないことが増えて行った。
母は仕事を辞め、祖父の介護に専念した。
両親が私に構ってくれる時間が減って、私は祖父を憎むようになった。
旅行も行けない。
トイレも汚れる。
私の名前すら分からない人と暮らしている現実が嫌で、
『おじいちゃんさえいなければ』
と思うこともあった。
そのうち祖父のことを『あの人』と呼ぶようになった。
なので大学は県外の学校を選び、一人暮らしを始めた。
※
「おじいちゃんが危ないかもしれない」
母親から連絡が来て急いで実家に帰ると、ほっそりとした祖父が寝ていた。
もう徘徊したり暴れたりする様子はなく、とても穏やかに寝ていた。
とにかく涙が止まらなかった。
『死なないで欲しい』と心から思った。
※
その数日後、祖父は息を引き取った。
私はちゃんと知っている。
私が3歳の頃、母が病気で入院した。
母の両親は既に他界しており、私の預け先に困っていた。
すると祖父は、
「例え5分でも○○(私)を一人にしてはいけない。何かあってはいけないから、うちに預けなさい」
と、高齢に加え、認知症の祖母の介護をしていたのにも関わらず、毎日子守りを引き受けてくれたこと。
私が祖父の家へ遊びに行くと言えば、布団をポカポカに干し、流行りのお菓子を買い、可愛いポチ袋にお小遣いを入れて待っていてくれてたこと。
そして、祖父が私のために口座を作っていてくれたことも。
まだ認知症がまだらだった時に、私が
「将来は海外で仕事をしたい」
と言っていたのを聞いて、母にお金を残すよう伝えていたらしい。
私のために沢山のことをしてもらっていたのに、何故あの時、祖父を嫌ってしまったのか。
今でも本当に後悔している。
伝えられるのであればお礼を言いたい。
そして色々な話をしたい。
※
今年、海外赴任が決まった。
祖父が残してくれたお金で大学院まで行かせてもらったおかげだ。
おじいちゃん、本当にありがとう。
天国に逝ったらしっかりとお礼するね。
大好きです。