私の両親は小さな喫茶店を営んでいます。
私はそこの一人娘で、父は中卒で学歴はありませんが、とても真面目な人でした。
バブルが弾けて景気が悪化して来た頃、父は仕事の暇な時間にお店を母に任せ、バイトに出るようになりました。
景気はどんどん悪くなり、お店はモーニングやランチの時間以外はガラガラ、バイトも掛け持ちするようになりました。
バイトが一つ増え二つ増え、一番厳しい時は、朝のモーニングの時間にお店に出て、それが終わったら弁当配達。そして再び店でランチをこなし、その後、郵便配達へ。
それが済んだら、店の閉店処理。
月曜から金曜までそうやって過ごし、土曜日は一日酒屋の配達のバイトへ行き、日曜もアルペンで荷物運びのバイト。
足も肩もいつもパンパンで、母が夜によくマッサージをしていたのを覚えています。
五十代で細身の父が休む間も無く、私の学費と住宅ローンのために働いてくれました。
結婚して親になって、本当に思う。
お父さん、凄過ぎるよ。
おばあさんの葬式の時、酔っ払った父が言った、
「お前のためなら何でも出来る。例え火の中でも飛び込めるぞ」
という言葉は本気だったと思う。
家族のためにあんなに一生懸命になれる人を、私は他に知りません。
私にも働き者のお父さんの血が流れているのだから、どんなことでも乗り越えて行こうと思います。