私と淳子は、結婚して社宅で暮らし始めました。
台所には四人がやっと座れる小さなテーブルを置き、そこにピカピカの二枚のお皿が並びます。
新しい生活が始まることを感じました。
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ある日、いつも通りに夕食をしていると、はにかみながら淳子が言います。
「赤ちゃんができたから…」
「そうか」
としか言葉が出てきません。
次の言葉も、
「そうか、そうか」
です。
淳子はうんと頷き、
「私、お母さんになるんだ」
と涙を流します。
女性が母になるとはこういうことなんだ。そう思ったことを覚えています。
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無事、景子が産まれました。
生後百日目に、お食い初め(おくいぞめ)をします。
子どもが一生食べ物に困らないように願い、赤ちゃんに食べ物を食べさせる儀式です。
ただ口にすると言っても、食べる真似をするだけです。
まず、ご飯を食べさせます。
景子は、少し舐めると苦そうな表情で、直ぐに大声で泣き出します。
その様子に、私も淳子も大笑いです。
テーブルの上には、私と淳子、そして景子のお皿。
三枚のお皿が初めて並んでいます。
家族が増えた。そう思いました。
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やがて康平が産まれて、食卓のテーブルには四枚のお皿が並ぶようになりました。
家族のイベントがあると、お皿には色々なものが盛られます。
誕生日にはバースデーケーキ、お雛様やこどもの日にはお祝いのもの、お月見にはお団子、クリスマスはケーキ…。
みんな、とっても素敵な笑顔です。
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数年後…。
景子が亡くなります。
闘病中は、家族が離れ離れになっていました。
家族全員が揃って、久しぶりの朝食です。
食卓のテーブルには、三枚のお皿が並びます。
景子のお皿は、遺影の前に置かれています。
景子は、もう居ない…。
その現実を知らされます。
言葉にならない悲しさ。
ただ無言で食べました。
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景子の誕生日。
淳子がバースデーケーキを買って来ました。
景子が大好きだったいちごのケーキです。
チョコレートには、
『景子ちゃん お誕生日おめでとう』
とデコレーションされています。
みんなでハッピーバースデーを歌いました。
景子ちゃんも一緒、そんな気がします。
今もお祝いをしています。
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康平が下宿をすると、テーブルのお皿は二枚になりました。
家の中は、大きな穴がぽっかり空いたような気持ちです。
寂しいねと、どちらともなく言葉を交わしました。
康平は滅多に家に帰って来ません。
でも、偶に帰省して三人分のお皿になると、家全体が明るくなります。
家族が一緒に居る、小さな幸せを感じるのです。
本当に不思議なことです。
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四枚から三枚になった時は、人生の不幸を感じました。
でも、二枚から三枚になると、幸せを感じるのです。
お皿は同じ枚数なのに。
テーブルのお皿に盛られていたのは『私の心』でした。
悲しい、辛い、寂しいことがあるからこそ、幸せも感じられる。
そう思うのです。