泣ける話や感動の実話、号泣するストーリーまとめ – ラクリマ

厳しい母

鉛筆と参考書(フリー写真)

私の母はとても厳しい。

身の回りの事は全て自分でやらされていた。

勉強も部活も一番じゃないと気が済まない。

定期テストで二番を取ると、

「二番は敗者の一番だ」

と凄く怒られた。

いつだって母は他の誰かと比べた。

私よりも上の人。

どれだけ良い点数を取っても、母は笑顔を見せてはくれなかった。

一番、一番、一番、一番…。

プレッシャーで円形脱毛症になり、声も出なくなりかけた。

しかし私はその他にも、大きな問題を抱えていた。虐めだ。

学級長などに選ばれていた私は、前で話す事が多かった。

多感な時期の中学生は、出る杭は打ちたくなるものだ。

毎日が地獄だった。

そんなある日、帰ろうとして教科書をリュックに詰めようとすると、机の中に教科書が一冊も無かった。

血の気が引いた。

探し回ると、洗面所の蛇口から水が勢い良く飛び出ていて、その下に私の教科書があった。

お母さんに怒られる。

それしか思わなかった。

それでも帰るしかなかった。

家に着いて欲しくない、本気でそう思った。

しかし、家に着いてしまった。

案の定、母の車は家にあった。

ずぶ濡れになって、ところどころ破けている教科書を母の前に出し、私は土下座した。

ごめんなさい、ごめんなさい、と訴えた。

頭は真っ白だった。

母が私の前に座った気配がした。

殴られる。そう思った瞬間、母が私を抱き締めた。

ぐっぐっと、母の嗚咽が聞こえた。

「ごめんね、ごめんね。気付いてあげられなくてごめんね」

と母が泣きながら私に謝ってきた。

毎日死にたいと思っていた。

生きる意味が分からなかった。

何で頑張っているのかも分からなかった。

でも、私は悲しくて悔しかったんだなあと思った。

私も涙が止まらなくなった。

久しぶりに母の腕で泣いた。

それから私は学校に行かなくなった。

世間体ばかり気にする母が、仕事を休職してまで私と居てくれた。

今、私は県内で一番の進学校に居る。

恩返しをしたい。

良い会社に入って、母を楽にしてあげたい。

目標がある勉強はとても楽しい。

あの時、抱き締めてくれた母の匂い、力強さ、私は一生忘れない。

モバイルバージョンを終了