レミオロメンの「3月9日」という曲が流れる度に、私は泣きそうになります。
両親は、私が10歳の時に事故死しました。
あの日は家族旅行に行っていました。
帰り道、高速道路を走っていると、大型トラックがスリップしてぶつかって来て、私達の車は中央分離帯にガリガリと押し付けられました。
私は気を失っていて、気が付くと病院でした。
目が覚めたのに、何故お父さんとお母さんに会えないのか分かりませんでした。
暫くして、目を真っ赤にした祖母が入って来た時、小さいながら全てを悟りました。会えない状況にあるのだと。
父と母は重症を負っていて、喋るのもやっとで、顔は原型を留めていませんでした。
そんな自分達に、私を会わせたくなかったのでしょう。
※
一週間ほど経ち、両親はほぼ同じ時刻に息を引き取りました。
私は最後まで、大人の事情で会うことが出来ませんでした。
お葬式には、沢山の人が居ました。
みんな揃って泣いていました。
私は終始泣きませんでした。いいえ、泣けなかった。
そんな私を見て、親戚の人達は私を「頭がおかしいんじゃないのか?」などと言いました。
空っぽな家に帰った時『ああ、一人なんだ』と実感しました。
※
その夜、祖母が私に二人の携帯電話を差し出してきました。
ボイスメモのアプリを開いて、私は一つの項目をタップして聴き始めました。
1時間くらい、何度も何度も聴きました。
紛れもなく両親の声でした。
かすれた声で絞り出すように吹き込まれていました。
「れい〜、元気ですか?
お父さんもお母さんも、れいを置いて行く訳じゃないよ。
けど、居なくなっちゃってごめんね。
お父さんもお母さんも、れいが大好きです。
だから最後にれいをぎゅーってしたかったなぁ。
これからは、れいをぎゅーってしてあげる事が出来ません。
れいが泣いている時、慰めてあげることもね。
でもね、これだけは覚えておいて。
貴方は、私達の娘です。
貴方の笑った顔が大好きです。
だから、どんなに辛くても、笑ってね。
お母さん達は、ずっとずーっと大好きです。
私達の娘に産まれてきてくれて、ありがとね」
私は、泣きませんでした。
笑いました。
ありがとう!
そう叫びました。
その時に誤って Apple Musicを開いてしまいました。
すると勝手にレミオロメンの「3月9日」が流れ始めました。
「3月9日」は、事故の時も聴いていた、二人が大好きな曲です。
その曲を聞いた途端、とめどない涙が溢れてきました。
うずくまって声を上げて泣きました。
※
今でも泣きそうになるけど、私は強くなったよ。
ありがと。
これからも大好きです。