被災した時、私は中学生でした。家は完全に崩壊しましたが、たまたま外に近い部屋で寝ていたため、腕を骨折するだけで済み、何とか自力で脱出できました。しかし、奥の部屋で寝ていた母と妹は助からなかったのです。
事故の夜は真っ暗で、怪我をしている私には手作業で何かをすることが不可能でした。明け方になってようやく、近所の人々の助けを借りて瓦礫を取り除き、必死に掘り起こしましたが、時既に遅しでした。
半日が過ぎた頃、自衛隊の隊員を見つけ、夢中で救助を求めました。彼らは数時間を費やして母と妹を瓦礫から救い出してくれましたが、残念ながら二人ともすでに息を引き取っていました。
さらなる不幸が追い訪れ、その後家は火事で焼け落ちました。もし自衛隊の方々が駆けつけてくれなければ、妹の遺骨さえも焼け跡から拾うことになっていたかもしれません。
妹の遺体を慎重に取り出す際、
「ごめんなぁ」と呟いた自衛隊員の顔は、私は一生忘れることがありません。
あの時の混乱と絶望の中で、自衛隊の方々はただ救助にあたるだけでなく、私の怪我の手当てにも尽力してくださいました。政治家が何を言おうと、私たちはその時の彼らへの深い感謝の念を持っています。
本当にありがとうございました。