俺が結婚したのは20歳の頃だった。当時、妻は21歳。学生結婚だった。
二年ほど貧乏しながら幸せに暮らしていたのだが、ある時、妊娠が発覚。
俺は飛び上がるくらい嬉しく、一人ではしゃいでいた。
「無茶はしないで」と言う妻の言葉も無視して、次の日には退学届けを提出。
叔父さんの経営している会社にコネで入れてもらった。
とにかくやる気満々で『働きまくって子供を元気に育てるんだ!』ってなもんだった。
いま考えても単純だったと思う。
※
しかし、そんな幸せも長くは続かなかった。
その後、暫くして、交通事故で妻がお腹の子と一緒に死んだのだ。
この辺りは本当に今でもよく思い出せない。
何やら言う医者に掴み掛かって殴り飛ばしてしまった事、妻を轢いた車の運転手の弁護士を殴り飛ばした事は薄っすら覚えている。
無茶苦茶だった。
それでも何とか葬式を済ませ、手続きなどもこなし、何日か実家で休んだ後、家に戻った。
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それからは日付の感覚も無く、ただ呆然としていた。
テレビも視ず、ただ米を炊いて食う、それだけの毎日だった。
自分が鬱なのだとか、落ち込んでいるのだとか、そういう思考も無かった。
自分でも状況がよく解っていなかったのだと思う。
何となく、カッターで指先を軽く切っては治るまで放置するという、いま思うと殆ど病気のような事を繰り返していた。
夜中に突然、意味も無く涙がぼろぼろ出て来たりもした。
死のうという事すら思い付かなかった。
当時の事を友人や親に聞くと、様子伺いの電話などにはきちんと受け答えしていたというのだが、あまり覚えていない。
恐らくそんなこんなで半年は生活していたと思う。
※
そんなある日、夢を見た。
どんな夢だったかは殆ど覚えていない。
とにかくひたすら謝っていたように思う。
ふと目が覚めて、
『あぁ…何か悪夢を見たな』
と身体を起こすと、目の前の光景に心臓が止まるかと思った。
目の前に小さな女の子がちょこんと座って俺を見ていた。
『何だこれは、夢か? まだ夢の中に居るのか?』
そう思いながら、自分の心臓の鼓動で視線がぐらつくのを感じた。
咄嗟に水子の霊だと思った。
死んだ俺の子が化けて出たのだと。
その時が初めて、自分の妻と子供が死んだ事をちゃんと認識した時だったように思う。
その子が、
「大人なんだから、ちゃんとしなきゃだめなんだよ!」
と俺を叱り付けた。
もう混乱に次ぐ混乱だ。
汗がダラダラ出て、心臓麻痺で死ぬんじゃないかと思った。
※
その時、部屋のドアから大慌てで隣の部屋の奥さんが入って来た。
「すみません!この子、勝手に入っちゃって…」
そこでやっと現状を把握した。
よくよく見れば、この子は隣の家の子供で、妻が居た頃は何度も会話を交わした事のある子だった。
ドアを開けっ放しにして寝ていたところに入って来た、実在の人間だ。
幽霊じゃない。
『ああ、違うのか』
と思った瞬間、何だか目の前の膜が剥がれたような感じで、俺はその子にしがみついて号泣していた。
「すいません」と「ありがとうございます」を意味不明に連発していたと思う。
※
後から聞いた話では、そこの一家は引き篭もっていた俺の事を心配してくれていたらしい。
それで何度も夫婦で何をしてあげたら良いか、と相談していたのだとか。
その相談を一人娘のその子は聞いていて、落ち込んだ大人を励ましてやろうと活を入れに来たらしい。
凄い奴だ。
※
とにかく、その日が切っ掛けで俺はカウンセリングに通い始め、二ヶ月ほどで何とか職場復帰する事が出来た。
届けも出さずに休んでいた俺を休職扱いにしてくれていた叔父には、本当に感謝している。
隣の夫婦とも仲良くなり、寝起きの悪い旦那を起こしてくれ、とか言う無理のある理由で毎朝家に呼ばれ、朝飯をご馳走になった。
とにかくもう俺の周りの人間が神様のように良い人達だった。
俺は救われたし、妻と子供の死をちゃんと悲しむ事が出来た。
※
その娘さんが先月結婚した。
(既にその隣室の親子はマイホームを建て引っ越して行ったのだが、今だに仲良くしてもらっている)
親戚が少ないからという理由で式にまで呼ばれ、親族紹介の後、その子と話す時間があった。
俺とその子は口が悪い感じの関係で(15歳も年が離れているのに)、その日もあまりにも綺麗になったその子に動揺して
「オメーもまだ18歳なのに結婚しちゃって、勿体無いな」
などと俺が言うと、笑いながら
「寂しいのか、あんた?(笑)」
などと言いやがるので、
「寂しいよ!」
と言ってしまった。
「俺は昔、お前に助けてもらった。お前のお父さんとお母さんにも助けてもらった。
だからお前の事が大好きだ。だから寂しい!」
と捲し立てると、また号泣していた。
30歳を過ぎたおっさんがヒックヒック言いながら花嫁の前で号泣だ。かなり恥ずかしい。
気付くとその子も大泣きだ。
新郎側はびっくりしただろうな。
親以外のおっさんと新婦が大泣きしているんだから。
※
俺は今でも結局独り身だが、その子が困ったら何が何でも助けてやろうと思っている。
恥ずかしいのでその子には言わないけどな。
もう俺にとって、あの子は自分の娘みたいなものなのだ。
俺の二人目の子供だ。
本当に、ありがとう、ありがとう。いつまでも幸せにな。