
僕がかつて看取った患者さんに、スキルス胃がんを患っていた一人の女性がいました。
余命3ヶ月と診断され、彼女はある病院の緩和ケア病棟に入院してきました。
※
ある日の午後、病室のベランダで一緒にお茶を飲みながら話していたときのこと。
彼女はふと、こう口にしたのです。
「先生、助からないのは分かっています。だけど……少しだけ長生きさせてください」
まだ42歳の若さでした。
言葉に詰まり、僕は黙ってお茶を口に運びました。
※
しばらくの沈黙の後、彼女はゆっくりと続けました。
「子供がいるんです。卒業式まで、生きたいんです」
「母親として、卒業式のその日、子どもの姿を見届けたいんです」
その時は9月。
余命3ヶ月とされていた彼女に残された時間は、せいぜい年末まで。
でも彼女は、春まで──卒業式まで生きる、と言ったのです。
※
子どものために、という強い願い。
その想いが、何かを変えたのだと思います。
そして本当に──奇跡が起きました。
彼女は春まで生き抜き、卒業式に出席することができたのです。
※
こうした出来事は、医学的にも実証されています。
希望を持って生きる人ほど、がんと闘う「ナチュラルキラー細胞」が活性化するという研究があるのです。
希望は、体の中にある見えない三つのシステム──
すなわち、内分泌・自律神経・免疫──それらを活性化させると言われています。
彼女の体の中でも、希望がそのすべてを目覚めさせていたのかもしれません。
※
そして、さらに不思議なことが起こりました。
彼女には二人のお子さんがいました。
上の子は高校3年生、下の子は高校2年生。
僕たちスタッフは、せめて上の子の卒業式までは生きてほしいと願っていました。
しかし彼女は──
余命3ヶ月と告げられてから、なんと1年8ヶ月も生きたのです。
そして、二人のお子さん、両方の卒業式に出席することができました。
それから1ヶ月後、静かに息を引き取りました。
※
彼女が亡くなったあと、娘さんが僕のもとを訪ねてくれました。
娘さんが語ってくれた話は、思わず息をのむようなものでした。
※
僕たち医師は、彼女の「子供のために生きたい」という強い想いを尊重し、体調が許す限り、外出の許可を出していました。
娘さんは、こう言ってくれました。
「母は、家に帰ってくるたびに、私たちにお弁当を作ってくれました」
最後の帰宅のとき──
彼女はすでに、立つことすらままならない状態でした。
僕たちは言いました。
「じゃあ、家の空気だけ吸ったら、すぐに戻ってきてくださいね」
※
でもその日、彼女は家で台所に立ちました。
立てるはずのない体で、最後の力を振り絞って。
子どもたちのために、台所に立って、お弁当を作ったのです。
※
娘さんはそのときのことを、涙をこらえながら語ってくれました。
「お母さんが最後に作ってくれたお弁当は、おむすびでした」
「そのおむすびを持って、私は学校に行きました」
「久しぶりのお弁当が、本当に嬉しくて、嬉しくて……」
「でも、昼休みにお弁当を広げたとき、なかなか手がつけられなかったんです」
「嬉しいのに、切なくて、胸がいっぱいになって、涙が止まらなかった」
※
彼女の人生は、42年という決して長くはないものでした。
でも──
命は、長さではありません。
彼女は、たったひとつの命で、精一杯生き抜きました。
そして、子どもたちに「生きるということ」を、確かにバトンタッチしていったのです。
※
卒業式のあの日、母の姿を見た子どもたちが感じた愛。
おむすびに込められた想いは、きっとこれからも消えることなく、子どもたちの中で生き続けていくのでしょう。