
兄家族が、俺たちの家に突然やってきた。
そして――長女を置いて、引っ越していった。
※
兄も兄嫁も、昔から甥っ子ばかりを溺愛していた。
甥は確かにすごい奴だった。
教科書を一読すれば全部覚えるほどの頭の良さ。
運動もできて、人気者だったらしい。
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それに比べて長女は――。
「出来が悪い」と勝手に決めつけられ、ほとんど放置されていた。
その頃、彼女はまだ小学生だったが、まるで幼稚園児のように細くて小さな体をしていた。
風呂には一か月に一度しか入れてもらえなかったらしい。
身体中は汚れ、髪の毛も固まっていた。
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初めて家で風呂に入れてやったときのことだ。
嫁が一緒に入っていたんだが、途中で泣き出した。
「頭を洗ってあげただけで『ありがとう』って泣くんだよ。
『暖かいお風呂だね』って、泣くんだよ…」
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食事を出せば、
「おいしいね、暖かいね」
と笑う。
その姿を見て、胸の奥に何かが突き刺さった。
この子は、こんなにも何も与えられてこなかったのか。
「これはもうダメだ」
そう思って、兄に言った。
すると、兄はあっさりこう言った。
「100万よこせば、そいつはやるよ」
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嫁が、唇を震わせながら怒った。
「…100万。子どもをなんだと思ってるの!」
俺は怒るよりも、ただ呆れ果てた。
「これが俺の兄貴だったんだな」と。
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次の日。
俺は自分の貯金から100万円をおろし、嫁に渡した。
すると、嫁もこう言った。
「実は私も、用意してた」
そうして俺たちは、200万円を兄に渡した。
「これで俺たちの子どもだな!」
言葉にしながら、胸の中に何とも言えない気持ちが込み上げてきた。
子どもを金で買ったみたいで…。
でも、彼女を絶対に幸せにしたい、そう思った。
※
その時、俺たちはまだ22歳だった。
突然の「親」になった俺たちを、近所の人たちは驚いた顔で見ていた。
でも、みんな本当に優しくて、いろんなことで助けてくれた。
※
長女が12歳のときに、次女が生まれた。
俺たちはちょっと不安だった。
だけど長女は、たくさんたくさん次女を可愛がってくれた。
おかげで次女は、今や立派なお姉ちゃんっ子に育った。
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昨日、俺の誕生日だった。
長女が言った。
「お父さん、誕生日おめでとう!」
そう言って、手作りの煙草ケースをくれた。
これがまた、すごく凝ってる。
木と革でできていて、手に馴染む使い心地のいいやつだ。
「吸いすぎないように」
そんな一言も添えられていて…。
なんかもう、胸がいっぱいになった。
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昔とは比べ物にならないくらい、今の長女は明るい子だ。
友達もたくさんいて、よく家に遊びにも来てくれる。
勉強もできる。多分、俺に似なかったんだな。良かった。
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そのかわり、次女はというと…アッパラパー(笑)。
でも、毎日元気に走り回ってるし、友達にも恵まれている。
そのうち落ち着くと信じてる。多分な。
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ふたりとも、これからどんどん大きくなって、いずれは結婚して家を出ていくんだろうな。
そう思うと、少しだけ寂しい。
でも、きっとそれでいい。
※
今日、久しぶりに兄から年賀状が届いた。
そこにはこう書かれていた。
「東大に受かったよ。息子。幸せな家族です」
……そうか、そっちはそっちで幸せなんだな。
だけど俺は、胸を張って言える。
俺たち家族のほうが、ずっと幸せで、ずっとあったかい家庭をつくってる。
「ありがとう」って泣いたあの夜から、俺たちは本当の家族になったんだ。