泣ける話や感動の実話、号泣するストーリーまとめ – ラクリマ

迷惑掛けてゴメンね

お見舞いの花(フリー写真)

一年前の今頃、妹が突然電話を掛けて来た。家を出てからあまり交流が無かったので、少し驚いた。

「病院に行って検査をしたら、家族を呼べって言われたから来て。両親には内緒で」

嫌な話だということは簡単に想像出来た。

妹は胃癌だった。初期の段階だが、すぐ手術をしなければいけないということだった。

「お父さんとお母さんに言ったら、びっくりすると思うから、お兄ちゃんを呼んだ。迷惑掛けてゴメン」

親父は二ヶ月前に胃潰瘍を患っている。

お袋は神経が細かいので、こう言った話には耐えられないだろう。

だから妹は俺を呼んだのだと言う。

妹は少し優秀なプログラマーで、手術の費用などは心配するなと笑っていた。

高額医療保障制度もあるし、大丈夫。

でも、お父さんとお母さんにだけは内緒にしておいて。

手術が終わったら言うから。

迷惑掛けてゴメンね、迷惑掛けてゴメンねと、何回も繰り返す妹に、俺は

「迷惑じゃないよ」

としか言えなかった。

医者に話を聞いたら、本当は初期などではなかった。

大分進行していて、既に末期だと言う。

手術中に死ぬかもしれないとも言われた。

手術しても助からないかもしれないとも言われた。

それで俺は両親に言ってしまった。

親父は絶句して、お袋は精神的なショックで一時的に左耳が聴こえなくなった。

でも、二人ともすぐに入院した妹に会いに行った。

妹が俺を責めた。

「何で言ったの。言わないでって言ったじゃない」

俺は謝ることしか出来なかった。

死ぬかもしれない妹に、とにかく両親を会わせてやりたかった。

でも本当は、妹の死を一人で背負う事が辛かったのだと思う。

俺は弱い卑怯者だと思う。

手術の日、手術室へ移される前に、妹が俺に言った。

「迷惑掛けてゴメンね」

俺はやっぱり、

「迷惑じゃないよ」

としか言えなかった。

手術は腹を開いただけだった。

検査で判ってはいたが、手術をしても無駄なほど癌が進行していた。

それから二ヵ月後、妹は死んだ。27歳だった。

死ぬまで、俺は毎日病院に通った。仕事の合間にも顔を出した。周囲には良い兄貴に見えたと思う。

そんなに仲が良い兄妹ではなかったと思うが、それでも毎日病院に通った。

妹は何度も、

「迷惑掛けてゴメンね」

と謝った。

意識が無くなる二日前、俺に

「お父さんとお母さんに教えたって、責めてゴメンね。迷惑掛けてゴメンね」

と言った。

俺は、

「迷惑じゃないよ」

としか言えなくて、何だか自分の方が死にたくなった。

もうすぐ妹の命日だが、今でも後悔している事が沢山ある。

もっと気の利いたことを言ってやりたかった。

調べればもっと良い病院があったかもしれない。探してやりたかった。

今まで全然甘えなかった妹が最後に俺を頼ったのに、俺は何もしてやれなかった。

27年間、もしやり直せるのだったら、俺はもっと強くて良い兄貴になりたい。

でも、それは叶わない。

立ち直るまでまだもう少し時間が掛かりそうだが(一年も経ってまだ立ち直っていないのかと自分でも思う)、妹の分までしっかり生きて行ってやろうと思っている。

もっと強くて良い兄貴になって、天国の妹が自慢に思ってくれるような人間になりたい。

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