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ここ一番の踏ん張りどころ

日本料理(フリー写真)

神戸観光ホテルで修業した時は、往生しましたよ。板長にいじめられたんです。

僕、仲居さんとのチームワークを良くしようと思って、彼女たちに気を遣っていたから、結構可愛がられていたんです。

だから「ろくさんお願いね」という風に、何かと声をかけられる。

それは本来、板長など上の人を通してもらわないといけないことだったから、板長はおもしろくない訳です。

僕は当時20代前半。向板(むこういた)という魚をおろす係をしていました。

それ以外に板場の進行役でもあったため、一日約15時間は働きましたよ。

忙しいからなるべく早く調理場で準備したいのに、板長が意地悪をして開店の1時間前でないと調理場に入れてくれない。

準備にはどんなに急いでやっても、たっぷり2時間は必要でした。

僕は調理場を動き回り、いつも以上に『早く、綺麗に』仕事をする工夫をするのです。

その様子を見た先輩は、僕のことを『駆逐艦』と呼んでいました。

それでも板長は「このボケ、遅いぞ」と罵声を浴びせてくる。

折角作った料理も気に入らないとひっくり返される。

それが毎日毎日続くものだから『もうこの商売をやめようか』と思うようになりました。

僕は子どもの頃から辛いからといって、途中で投げ出したことはない。

それがこの時ばかりは、真剣にやめようかと考えました。

でも、考え直したんです。

折角ここまで修業して来たのに、やめてしまったらまた一から出直しでしょう。

ここが踏ん張りどころだと思いました。

そして『どうやっても、もうこれ以上はできん』というぐらいまでやってみることにしたんです。

『早く、綺麗に。早く、綺麗に』と唱えながら、死に物狂いで仕事をこなしました。

どんなにいびられてもへこたれない僕を見て、板長のいじめも徐々に治まって行ったのです。

あの時、頑張れたから今の僕がある。

もし苦しいことから逃げ出すことを選択していたら、ズルズルと落ちるところまで落ちていたと思う。

人生には『ここ一番』という踏ん張りどころが何度かある。

どんな分野でも一流と呼ばれるのは、そういう『ここ一番』の局面で踏ん張ることのできる人だよね。

二流は踏ん張れないから、今まで築き上げて来たものまでガラガラと崩してしまうんだ。

人間、一度でも崩れることを許したら崩れ癖がついて、次の『ここ一番』も頑張れない。

料理人 道場六三郎さん

出典元: 『致知』1999年3月号 特集「一流と二流」

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